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小説『聖なる記憶』1

 

1、メンタルクリニックの医師が激怒する

 

 西新宿でメンタルクリニックを開業している医師の源五郎丸哲は激怒した。

 

クリニックの売り上減少の原因が、通りの反対側にオープンしたカフェのせいだとわかったからだ。

「東京リラクゼーションカフェ」がオープンしたのは半年前、年間の売り上げ集計をみると、たしかに、その頃からじょじょに下がっている。

 

看護師の20代女性、真田知香がそのブログを見つけた。

 

掲示板のスレッドには「西新宿のメンタルクリニック」とあるが、これはまぎれもなく「源五郎丸メンタルクリニック」のことだ。

「院長がチビで小太り、いけすかない野郎」と書いてあった。

 

やたらと薬を出すこと、毎週通院するように強引に次の予約を入れさせること、

グループ療法に欠席すると院長がひどく怒り出すことなど、

記事を読むと「源五郎丸メンタルクリニック」でやっていることとぴたりと符合する。

 

記事には「いろいろ試したけど決して治らなかった私のウツが、わずか3時間のセラピーで完治した」とある。

そして、そのセラピーを受けたのが「東京リラクゼーションカフェ」、店名は「Panacea(パナケア)」。

ブログには実名で書いてある。

 

「どういうこと? チビで小太り、いけすかない野郎って! これ、ボクのこと?」

 源五郎丸哲はパソコン画面から目を離し振り向いて看護師に言った。

 

「たぶん」

 看護師の知香はチューインガムを噛んでいる。

 

 源五郎丸哲は、パソコンのマウスを強く握りしめて震えている。

思わずマウスを噛んでしまう。

 

 

ブログ管理人のハンドルネームは「スピリチュアルヒーラー@Reina」とある。

プロフィール写真には、可愛い女の子のアイコン画像があった。

 

「この、レイナって、誰よ?」

 

「たぶん、うちの患者だった人じゃないっすか?」

 

「記事には、7年間意味のない薬を飲まされ続けたと書いてあるよ。7年も通ってた患者といえば・・・」

 

「斉藤のおばはんだね」

 知香がかがみこんでパソコンのキーボードを操作する。

 

豊満な胸の谷間が源五郎丸哲の鼻先に迫ってきて男の下半身を刺激する。

そのとき、源五郎丸哲は、ボスに対する態度が悪くて遅刻常習犯のこの看護師を雇い続けている理由を思い出す。

20代の看護師は、幼い顔立ちながらも、90センチ以上のバストとくびれたウエストを持つパーフェクトボディだった。

そして、時々、ギュウッとハグしてくれる。

 

44歳で独身の源五郎丸哲にとって、精神衛生上不可欠なスキンシップだった。

 

 

 

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「斉藤のおばはんって?」

 源五郎丸哲は患者の名前と顔をひとつも覚えていない。

ほとんど興味がなかった。

 

 知香が大きな胸を源五郎丸哲の肩に押し当てながら、パソコン画面に斉藤のカルテを映し出す。

「55歳のおばさんじゃん」

 

 カウンセリング・レポートを知香が読み上げる。

 

「名前は斉藤洋子。55歳。主婦。料理も掃除も洗濯もできない。

家のなかは荒れ放題。

ご主人に離婚を迫ると、ご主人はやさしい人で『君は1人では生きていけないだろ?』と言った。

夫婦は冷え切ったまま同居を続けている」

 

 15種類の薬を毎週処方していた。

薬の副作用で胃壁が荒れ、肝臓にも支障があらわれていたので、その手の薬もプラスしている。

集まって話すだけの退屈なグループ療法も、毎週欠かさず参加していた。

そんな真面目な患者が、突然、来なくなった。

 

「この斉藤のおばはんが、他の患者をたぶらかしている可能性は?」

 

「大いにある」

 ボインな看護師の知香が源五郎丸哲の顔に指をはわせて撫でる。

 

「この何とかというカフェにうちの患者が取られてる」

 

「間違いない」

 

「でも、カフェなのに、何でウツが治るのかな?」

 

 首筋を撫でられた源五郎丸哲は少しいい気持になる。

 

「カフェは表の顔で、裏ではヒプノセラピーをしてるらしい」

 

「な、なに? そのヒップッピーっていうのは?」

 

「ヒプノセラピー。催眠療法のこと」

 

「何か、怪しいねぇ」

 

「怪しい」

 

 

 

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 源五郎丸哲はさっそくパパに電話した。

 

源五郎丸哲の父親は日本医療界のドンで「病院王」と呼ばれている。

 

日本全国に200以上の病院を持ち、一大帝国を築き上げた人物だ。

マスコミにも政界にも財界にも顔がきく。

 

源五郎丸哲が医大に入学できたのも、

その大学を卒業できたのも、

新宿に病院が開業できたのも、

すべて父親の力によるものだった。

 

最悪の成績で医大を卒業した源五郎丸哲が手術などできるはずがなく外科医には絶対になれなかった。

かといって内科医として大学病院に入るのも無理な話だ。

 

そこで、父親は悩んだあげく、

適当に診察して薬を処方すればいいだけの心療内科のクリニックを開業させた。

 

「パパ!」

 

「どうした?」

 

「うちの患者が、近くのカフェに取られてる」

 

「カフェ?」

 

「裏でヒップッピーとかいう、怪しい催眠をしているらしい」

 

「ああ、催眠療法か、それはヒプノセラピーというんだ」

 

「それって違法じゃないの?」

 

「ああ。日本じゃ、まだ医療として認められていないから民間療法として誰でも営業できる」

 

「いろいろ試したけど決して治らなかったウツが、わずか3時間のセラピーで完治したんだって、そんなの、あり得るの?」

 

「あるかもな。海外の研究論文には催眠療法の成功事例がいっぱいある。私は忙しいんだ」

 

「クリニックの売り上げが下がってるんだよ」

 

「ああ、わかった。近くの病院の精神科から軽症の患者をそちらに回すよう手配しておくよ」

 

「ありがとう。パパ」

 電話は切れた。

 

 

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 知香がパソコンで何かを打ち込んでいた。

「スピリチュアルヒーラー@Reina」のブログの掲示板にコメントを書いているのだ。

 

「何それ?」

 

「おもしろいでしょ?」

知香はニンマリと笑う。

 

「うん、いいねぇ」

 源五郎丸哲の怒りはだいぶおさまっていた。源五郎丸哲は立ち上がり、知香に向かって両手を広げる。

 

「ハグして?」

 知香がゆっくりと近づいてくる。

 源五郎丸哲はフワフワしたいい香りを強く抱きしめた。

 

 

「これで、また売り上げは回復するよん」

 

(つづく)