文章の基本は次の3つのテクニックです
1)60文字以内の短文で書くこと
2)無駄な言葉は削除すること
3)具体的な情報を入れること
◆1月の文章スクールでは「連鎖式構成法」を指導しました。
これは、次のような文章テクニックです。1分目を補足説明(具体的に)するのが2文目であり、2文目を補足説明するのが3分目。3文目を補足説明するのが4分目。
さらに、1段落目を2段落目が補足説明するように書くのが連鎖式構成法です。
このテクニックを身につけると、巨万の富がやってきます!
読者を飽きさせないで、まるでジェットコースターに乗ったように一気に最後まで読ませるような文章が書けるようになるからです。
◆2月の文章スクール(3回シリーズ)では、「共鳴のテクニック」を伝授する予定です。
これも基本的なテクニックで、これさえ身につければ、文章の最後をどうやってまとめればいいかで悩まなくなります。
◆3月の文章スクールでは、「謎のテクニック」を伝授します!
あ、そうそう、講義のなかでも言いました。
文章を書きだす前にマインドマップを描くことを忘れないでね。
一見、まどろっこし作業のように思えますが、
マインドマップを描いて頭のなかを整理して書くほうが早く書けます。
では、
課題を下記の掲示板にコピー&ペーストしてくださいね。
渡邉 勝 (月曜日, 23 3月 2015 03:14)
「人間はどう生きていけばいいのか」
人間が生きていくというのは、自分と他人との関連性、関係が大切だと思います。
よい関係をつくるには、感謝の気持ちとその気持ちをあらわす「ありがとう」が大切です。
この大切な事は、子供時代に考えて身につけてほしいです。
ちょうど、卒業シーズンなので、小学校を卒業する6年生の子供たちにお話ししたいと思います。
皆さん、卒業おめでとうございます。今日は、皆さんに大切な話をしたいと思います。少し難しいかもしれませんが、皆さんも一緒に考えてください。
テーマは、「人間はどう生きていけばいいのか」です。
中学生になると、「自分らしさ」とか「個性」が大切と考えるようになり、周りの人の事を考えない人が多くなります。
また、「自分の人生なんだから、どうやって生きようと、他人は関係ない」と言う人もいます。
このような考え方は、間違っています。
皆さんは、本日、こうして元気に卒業式を迎えています。そんなの当たり前と思う人もいるかもしれません。
でも、よく考えてください。
今日まで、自分1人の力だけで12年間生きてきたわけではありません。
皆さんは、生まれたばかりの事を覚えていますか。誰も覚えていないと思います。2~3歳頃からの記憶ならあるのではないでしょうか。
生まれてからそれまでは、どうなっていたのでしょうか。
分かりますね。
お母さんとお父さんが一生懸命に、育ててくれたのです。おじいさん、おばあさん、近所の人、お医者さんなど多くの人が、皆さんに関係してきました。
自分は生きていると自覚する前から、すでに多くの人のお世話になっている事を、理解しなくてはいけません。
今、ここにいて生きている事が、多くの人のおかげであると思う、感謝の気持ちが大切です。
感謝の気持ちを表す時、なんと言いますか。
「ありがとう」
ですね。
「人間はどう生きていけばいいのか」がテーマでした。
皆さんが関係する、人たちに対して感謝の気持ちを持ち、「ありがとう」と言いましょう。
お母さんには、「生んでくれて、ありがとう」「ご飯を作ってくれて、ありがとう」
お父さんには、「育ててくれて、ありがとう」「遊んでくれて、ありがとう」
友達には、「仲良くしてくれて、ありがとう」
先生には、「教えてくれて、ありがとう」
中学生になっても、高校生になっても、大人になっても、感謝の気持ちと「ありがとう」を忘れないでください。
卒業、おめでとうございます。
土井 葉子 (火曜日, 24 2月 2015 01:52)
人間はどう生きていけばいいのでしょうか?
「人は自由にその人らしく“ありのまま”で生きられれば素晴らしい」と誰もが思うでしょう。でも本当にありのままでケセラセラと楽しんでいて良いのか信じられない時もあります。「好き勝手に行動したら我がままになる」「向こうがあんな事したのだから許さない」と人はなかなか受け入れることが出来ないのです。しかし“在るがまま”となると意味は少し違うような気がします。在るがままとは人、動物、自然“存在そのもの”であり、お互いの存在を大切に思う気持ちを持てば何が起きても信頼できるはずだと思うのです。
人間が地球に存在し始めた頃は、どう生きるかなど問題ではありませんでした。自然の中で本能のまま生きていたのです。長い間に人は仲間を増やし、助け合って生きて来たのですが、それでもどこかで今も争いは起きています。人々は恐怖に怯え「自衛のため」とたくさんの武器を持ちました。
安心安全と言われた日本も、国連が発表した幸福度ランキングでは世界43位です。アメリカは17位、中国は93位とGDPの高い国が幸せではないのです。しかも「戦争はしない」と言ってる日本人がイスラムの過激派に殺されたのですから脅威です。そんな人たちを大切に思えるはずもありません。しかし、そもそも大量破壊兵器を作り売って膨大な利益を得ているのは先進国です。元を辿れば争いの元を作ったのも先進国。誰が悪いか犯人捜しをしても、答えは出ません。実際恐ろしい戦争など身近には起きていないのだから「心配しても始まらない、楽観的に全てを天に委ねよう」と布団をかぶってしまいたくなるのです。世界平和など荷が重いのです。
世界中で“愛と豊かさ”のコンサルをしているAさんが言いました。「人は”あるがまま”で完璧です」と。「例えばイスラム国の人やひどい虐待をしている親も完璧ですか?」とわたしが質問するとAさんは「そうです」ときっぱり答えました。Aさんはアジアのある貧しい村にいた時の話をしました。「父親に両腕を切り落とされた男の子が、家の前に座って物乞いをさせられていたんです。なんてひどい親だって思うでしょ。でもその子はわたしに言ったんです。きれいな目で“お父さんを責めないで。お父さんも苦しんだんだ。僕が悪いんだよ、きっと前世でとても酷い事したんだ。でもぼくが物乞いをすると妹達が食べる事できるから嬉しいんだ。だから次はきっと僕は幸せな人に生まれ変わるんだよ”って。わたしなら虐待をされてる子供を見たら、まずそばに行って抱きしめ話しを聞きます。かわいそうとか思い込みで助けるのは危険です」と。
確かに「悪い」と言った瞬間その対極に闇が生まれます。闇を作り出したのはわたし達。思い込みで人は争い、関係の無い人達まで巻き込んできました。わたし達は闇の反対もまた作り出すことができるのです。調べてみても戦争を平和的に終わらせるにはガンジーのように「がまんする」と「許す」の二つしかないと言われています。それはどちらも苦痛です。 “尊重する”の言葉を付け加えるとそれはだいぶ違ってきます。我慢は“信頼”に、許すは“謙虚”に変化します。人間はどう生きればいいのかと聞かれたら、わたしは自分も含め”あるがままを尊重すること“だと心から言えます。
土田珠代 (月曜日, 23 2月 2015 23:36)
人間はどう生きていけばいいのでしょうか?
スマホを片手に、情報はたくさん手に入れているのに、コミュニケーションはどんどん減っています。
生活は豊かになったのに、笑うことは少ない。
テレビでは連日美味しそうな食べ物が登場するけれど、心は餓えている。
それが現代人の姿ではないでしょうか。
でも、本当は人間は人と関わって人のために生きたいと潜在的に願っているはずです。
なぜなら、人の役に立つと嬉しいからです。人が喜んでいる顔を見ると心がほんわか温かくなるからです。
先日、知り合いの青年が私にこんな話をしてくれました。
彼が家から最寄りの駅に向かってテクテク歩いていると、知らない男性が近づいて来ました。そしてその知り合いの青年に「財布を落として電車に乗ることができない。500円貸してください」と言ったそうです。知り合いの少年は、その男性にこう言いました。
「500円では足りないといけないので、1000円差し上げます。返済は不要です」と。
負けた! この青年の生き様に私は正直そう思いました。
その青年の財布から1000円札は消えましたが、彼はそれはそれは幸せだったでしょう。
「正直で誠実であれば人はあなたをだますかもしれない。それでも正直で誠実でありなさい」マザーテレサの言葉です。
人の反応は関係ない、ただ人のために生きなさいという言葉です。
それが人間にとって一番幸せな生き方なのだというメッセージに聞こえます。
しかし、このような生き方は人が悪を犯すことを増長させるのではないか、という懸念もわいてきます。
自助努力の精神も削いでしまうかもしれません。
人を正しく導く責任の放棄とも取れます。
そうかもしれません。ただ正直で誠実な人に接した時の喜びや感動は、いつか悪を犯すかもしれない可能性を低くすることもあると思うのです。
いつか自助努力の精神を鼓舞することだってあり得ます。
「人間はどう生きていけばいいのでしょうか?」こう聞かれたら、私はきっと
「人のために生きる。これが一番幸せな生き方だから」と答えるでしょう!
再送 国友 利恵 (月曜日, 23 2月 2015 18:29)
先生、送信後肝心なところが抜けていることに気づきました。ぶさいくで、すみません。差し替え可能でしたら、お願いいたします。
(本文)
人間はどのように生きていけばいいのでしょうか?
こんな質問をしたら、私のまわりは「ぷぷっ、マジ?」ってふきだすに違いない。
多少の問題や悩みがあってもそれなりの生活ができ、帰る家もある。蛇口をひねれば水が出て、スイッチ一つでガスも電気も使えるのが日常だ。
ニュース報道で内外の悲惨な事件や紛争に胸を痛めても、次に流れる○○特集なんちゃらで、頭はすぐに切り替わってしまう。要するに「日本的普通の生活」にどっぷり漬かってしまっているのだ。こんな享受だけの毎日が正しいといえるのだろうか?
多感なときは人間いかに生きるべきかを、もっと真摯に考えていた。ナイチンゲールに啓発され、「他者に尽くす生き方」に共感したのもこのころだ。
ナイチンゲールが看護の道を志した時代、けが人や病人の世話は、売春婦や卑しい身分と位置づけられた女性が、強制的に従事させられていた。他人の看護は誰からも敬遠されていたからだ。
ナイチンゲールは裕福な家庭の出身だ。彼女の決断に、家族は猛反対。しかし、使命を自覚したナイチンゲールは屈せず、医療の最前線で凄まじい闘いを開始する。たゆまぬ努力と献身の結果、現代看護を確立し、清潔な環境と適切な処置を可能にした。入院設備やナースコールまでも考案する。看護への認識は一変し、患者に尽くす姿は「白衣の天使」と称賛された。
ディズニーアニメの「ベイマックス」にも、他者に尽くす姿が描かれている。
主人公は自分の能力を持て余し、14歳で人生を放棄していた天才少年ヒロ。彼を救ったのは、マスターにとことん献身することをプログラミングされたベイマックスだ。彼との出会いで一番大切なことに気付いたヒロは、持てる能力のすべてを尽くしてベイマックスの再生を実現する。
「尽くす」という行為は何やら古めかしく、偽善的な気がしなくもない。「まずは自分でしょう」とのご意見もしかり。だけど自分ほどあてにならない存在もない。言い訳、妥協、挫折。きっと多くの人が経験済みのはず。私なんてその集大成といってもいい。そんな私でも、人のために作る料理はかなり上手い。友達を懸命に激励したり、家族のために奔走したりもする。相手が喜んでくれると気持は高く舞い上がり、それまで手つかずだった自身の課題を一挙に解決したことだってある。
ナイチンゲールが偉業を打ち立てられたのも、ベイマックスがヒロを変えられたのも、きっと根っこは同じである。
だから、「人間はどのように生きていけばいいのでしょうか?」と問われたら、私は
「他者に尽くす生き方をすることです」と答える。
「人に尽くす」生き方は、相手だけでなく、自分のヴォルテージまでも引き上げ、思いがけない地点まで到達することができるのだ。多分。
坪田直也 (月曜日, 23 2月 2015 14:07)
人間はどう生きていけばいいのでしょうか?日本人の二人の人質が、「イスラム国」によって、殺されたのは記憶に新しい出来事です。なぜ、「イスラム国」の人間たちは、彼らを殺したのでしょうか?彼らはどう生きていこうとしているのでしょうか?その生き方は正しいのでしょうか?自分には、彼らの生き方が正しいとは思えません。自分のかかわった人間を幸せにする。それが正しい生き方なのです。
明治維新以降、日本は富国強兵を掲げ、日本の国威を広げようと世界に進出していきました。その結果、他国と対立し、やがて戦争へ突入していきました。そして当時の日本国民は、お国のため、天皇陛下のためにと、戦争に勝つために身も心も捧げました。それが当時の正しい生き方だったのです。では今の日本ではどうでしょうか?今の日本人で、お国のため、天皇陛下のために、生きている人間はそれほど多くはいません。今の日本人は間違っているのでしょうか?
「イスラム国」の人間は、自分たちの神のために闘っています。そのために平気で人を殺し、残虐な行為もします。それが彼らの生き方です。日本人はどうでしょう?日本人で神ために生きている人はほとんどいません。日本人ほど、神と疎遠な国民はいないかもしれません。日本人は間違っているのでしょうか?
今の日本人が誰かのために生きているとしたら、それは自分の近しい人のためです。そして今の日本は、明治維新以降の日本よりも、「イスラム国」よりも、はるかに豊かで幸せです。人間は、自分のかかわった人間を幸せにすればそれでよいのです。
かかわった人間を幸せにするために、また争いが起こると考える人もいるかもしれません。でも世界中の人間が同じ考えなら、絶対に争いは起きません。なぜなら、必ずすべての人が誰かしらとかかわり、そのかかわりの輪は世界中に広がっているからです、そして誰もその輪からはみ出ることはないからです。
今、人の役に立ちたい、そう思っている日本人はどんどん増えています。東北の震災以降、特に増えました。やさしさはその人とかかわった人間たちを幸せするはずです。国のために生きなくても、神のために生きなくても、世界を幸せで包むことは出来るはずです。人間はどう生きれば良いのでしょうか?それは、自分のかかわった人間を幸せにすることです。
土井菜穂 (月曜日, 23 2月 2015 06:37)
人間はどう生きていけば良いのでしょうか?私の経験をお話しします。29歳のときに、とあるパートの面接で試験を受けました。試験に小学校で習った引き算の問題が出たのですが、私は解くことが出来ませんでした。2桁の繰り下がりの引き算で、少々複雑だったとはいえ、小学校で習ったことが出来なかったのです。私は愕然としました。
私はこんな生き方で良いのでしょうか。良いはずがありません。私は、人間は常に成長しながら生きるべきだと強く思います。
人類は誕生してから700万年と言われます。その間、人類は常に心と行動を進化させてきました。言語の発生・道具の使用・火の使用などから始まった進化は、今やここには書ききれないくらい複雑化・多種多様化しています。
私は思うのです。人類全体がこれだけ進化しているのだから、個である私も進化するべきだと。進化という名の成長を続けながら生きるべきだと思いました。
人間はどう生きていけば良いのでしょうか。それは、常に成長しながら生きていけば良いのです。
河原 正子 (月曜日, 23 2月 2015 00:16)
人はどのように生きるのがいいのでしょうか?
先日、ボーリング場で態度が悪いと店員を土下座させ、その様子をネットで流す、という事件がありました。また、バイト先で食器洗浄機に入っている姿を撮影してツィッターにアップする、いわゆる「バイトテロ」と呼ばれている事件もありました。このように犯罪を自慢するかのごとき行為を目にするたびに、この人たちは悪いことをしてはいけない、と教えられなかったのかと不思議です。私たちは日本という法治国家に住んでいます。法を犯さない生き方が何よりも大切だと考えます。
「法を犯さない」ときくと、殺人や強盗など凶悪な犯罪を思い浮かべます。しかし、このような面白半分で行なったことや、軽い気持ちからした行為でも、法を犯す行為は罪です。ボーリング場の事件では関係者3人が強要の疑いで逮捕され、食器洗浄機に入った学生は退学、多額の損害賠償金を請求されています。この人たちは、そこで初めて自分が罪を犯したことに気付いたかもしれません。つまり、自慢気にネットで流す、ということは本人たちには悪いことをしている感覚がなかったからです。
私の小さいころは、悪いことをしたら親や先生だけではなく、近所の人からも注意され、悪いことは何かを教えられました。また、本やテレビなどからもモラルを学びました。日本には昔から「勧善懲悪」の考えがあり、それゆえ「水戸黄門」や「遠山の金さん」がヒットしたのです。小さい時には「ウソつきは泥棒の始まり」「ウソをつくと閻魔さまに舌を抜かれる」と脅かされました。「ばれないから大丈夫と思ってもお天道さまはお見通しだからね」と悪いことをしてはいけないと諭されてきました。「何が悪いことなのか」は国によっても違いますが、法を犯さないことが一つの基準になると考えます。ですから、前述の事件での逮捕や損害賠償請求のニュースを聞くことで、このような行為が悪いことだと若い人が知り、分別をつけてくれることを願います。
私の好きな言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず」という格言があります。「天の網は広くて粗いが、決して悪事は漏らさない」という意味です。これは老子の言葉ですが、西洋にも「Heaven`s vengeance is slow but sure(天罰はすぐには来ないが必ず来る)」ということわざがあります。つまり、古今東西を問わず、悪いことをするといつかは必ず露見するといっているのです。ですから、法を守り悪いことをしないで生きることが大切だと、私は考えます。
国友利恵 (日曜日, 22 2月 2015 17:33)
人間はどのように生きていけばいいのでしょうか?
こんな質問をしたら、私のまわりは「ぷぷっ、マジ?」って吹きだすに違いない。
多少の問題や悩みがあってもそれなりの生活ができ、帰る家もある。蛇口をひねれば水が出て、スイッチ一つでガスも電気も使えるのが日常だ。
ニュースで報道される悲惨な事件や海外の紛争に胸を痛めることはあっても、続けて流れる○○特集や芸能なんちゃらなんかで、頭はすぐに切り替わってしまう。要するに「日本的普通の生活」にどっぷり漬かってしまっているのだ。
それでも多感なときは、もう少し考えた。ナイチンゲールの生き方を知ったのもそのころだ。
ナイチンゲールが看護の道を志した時代、けが人や病人の世話は、売春婦や卑しい身分と位置づけられた女性が、強制的に従事させられていた。他人の看護は誰からも敬遠されていたからだ。
ナイチンゲールは裕福な家庭の出身だ。彼女の決断に、家族は猛反対。しかし、使命を自覚したナイチンゲールは屈せず、医療の最前線で凄まじい闘いを開始する。たゆまぬ努力と献身の結果、現代看護を確立し、清潔な環境と適切な処置を可能にした。治療に専念できる入院設備やナースコールも考案する。看護への認識は一変され、患者に尽くす姿は「白衣の天使」と称賛されるようになる。
ディズニーアニメの「ベイマックス」にも尽くす姿が描かれている。
主人公は自分の能力を持て余し、14歳で人生を放棄していた天才少年ヒロ。彼を救ったのは、マスターにとことん献身することをプログラミングされたベイマックスだ。彼との出会いで一番大切なことに気付いたヒロは、持てる能力のすべてを尽くしてベイマックスの再生を実現する。
「尽くす」という行為は何やら古めかしく、偽善的な気がしなくもない。「まずは自分でしょう」とのご意見もしかり。だけど自分ほどあてにならない存在もない。言い訳、妥協、挫折。きっと多くの人が経験済みのはず。私なんてその集大成といってもいい。そんな私でも、人のために作る料理はかなり上手い。撃沈している友達を懸命に激励したり、家族のために奔走したりもする。相手が喜んでくれると気持は高く舞い上がり、それまで手つかずだった自身の課題を一挙に解決したことだってある。
ナイチンゲールが偉業を打ち立てられたのも、ベイマックスがヒロを変えられたのも、きっと根っこは同じである。
だから、「人間はどのように生きていけばいいのでしょうか?」と問われたら、私は
「他者に尽くす生き方をすることです」と答える。
「人に尽くす」生き方は、相手だけでなく、自分のヴォルテージまでも引き上げ、思いがけない地点まで到達することができるのだ。多分。
小山陽子 (日曜日, 22 2月 2015 10:04)
人間はどう生きていけばいいのでしょうか?今しがた地震がありました。おもわず、大地震ではないかと身構えてしまいました。4年前の東日本大震災の日、あなたはどこにいましたか?私は東京で、アルコール依存症施設のボランティアに行っており、職員や当事者と一緒でした。最初の揺れが尋常ではなく、30人ほど一緒に施設内で避難していましたが、テレビをつけた当事者たちが「ビルの4階建ての高さだって・・・」と話しているのが漏れ聞こえました。「何を言っているのかしら、そんなことあるわけないじゃない」と心のなかでつぶやきました。まだ、大槌町が最大24メートルの大津波に襲われたのを自分の目や耳で確かめていなかったからなのです。津波の被害状況のニュースを目にして、自然の脅威を感じずにはいられませんでした。人間は海という自然に命を奪われるために生きてきたのでしょうか?私たち人間は自然と共存して生きてきたのです。そして、共存するための知恵を使命感のリレーでつなぐために生まれてきたのです。
みなさんはヤマサ醤油をご存知でしょうか?紀州有田郡湯浅廣村(現在の和歌山県有田郡広川町)は醤油発祥の地。江戸時代安政の東海地震(M8.4)が発生し、その32時間後に襲ってきたのが安政の南海地震(M8.4)です。ヤマサ醤油7代目当主の濱口儀兵衛は福沢諭吉、勝海舟と親交のある人物でしたが、地震後4年の歳月と私財を投じて、「広村堤防」を築き、職を失った人の経済面を助けました。さらに、広村堤防は昭和の南海地震津波(昭和21年)から住民を守りきる働きをしたのです。
こんなエピソードがあります。安政の東海地震、南海地震の儀兵衛をモデルにした「稲むらの火」の物語は尋常小学校の教科書に載りました。驚くことに、アメリカ、コロラド州の小学校では英訳が副読本とされたのです。実は、小泉八雲が感動してイギリスやアメリカで紹介したからなのです。
私たち人間は何千年も昔から自然の恩恵を享けてきました。空気や水・大地・人間の食料となる動植物といった自然がなければ、そもそも生きていかれません。人間は自然と共存し続けてきたのです。時に脅威となる自然を人間は知恵を使い、味方につけて生きてきました。口伝え、石に刻む、書物、現在では映像の録画という方法で。また、様々な国、職業の人が。子が生まれると、その子に自然と共存していくための知恵を親や社会が伝えていったのです。その底辺には使命感が流れています。
「人間はどう生きていけばいいのでしょうか?」
それは、人間が自然と共存するための知恵を使命感のリレーでつなげばいいのです。
ナカムラヨウコ (木曜日, 19 2月 2015 22:56)
人間はどう生きていけばいいのでしょうか。一般に、他者のために尽くすのが、最も崇高な生き方だと言われています。私自身もそう思い、これまで周囲の人にとても気を使い、その人たちのことを優先してきました。でもそうするととても自分が苦しいのです。やりたいことや欲しいものを遠慮していると楽しくないのです。私は、そういう経験から、人間は、自分のために生きるのが大切ではないかと思うようになりました。
私がそういう考えを持ったのは、実は、アダム・スミスの「見えざる手」について読んだときでした。「見えざる手」とは、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として、社会全体で適切な資源配分が達成されるという考え方です。例えば、ねぎが品不足のとき、価格が上昇し、結果として、料理にねぎを使う必要のない人は買わず、料理に使うことが不可欠な人だけがねぎを手に入れます。そして、価格が上昇したのを見た農家がねぎを増産すると、値段が下がりはじめます。つまり、自分が利益を得ようと行動する、または、損をしないように行動することが、モノの値段や配分を適正レベルに導くのです。「自分の要求を満たしていくことで、社会にも良い影響を与える」というこの考え方が、私にはとても新鮮でした。
また、別の視点から、なぜ、自分のために生きるのが大切かというと、今の時代に生きる私たちは、様々な選択ができるため、他人のために自分の人生を使うとしたら、大変勿体ないからです。今の日本は、封建時代や戦国時代と比べ、自分の生き方が自由に選べますし、また、諸外国と比べても、自由度はかなり高いといえます。しかし、そこで問題が出てきます。自分のことばかりを考える人間が増えたら、社会が悪くなるのではないか、そして、利己主義で、困っている人を助けないような冷たい人間があふれたら、社会はどうなるのか。
私はそういう懸念は無用だと思います。自分のために生きていない人ほど、自由に生きている人を批判したり足を引っ張ったりします。自分の人生を生きている人、自分の人生を大切にしている人、自分のために生きている人は、自然と周囲の人にも心が配れます。自分が幸せでいて初めて、心から、自然に、回りの人に本当に尽くすことができるからです。また、歴史上、自分のためだけでなく、他の困っている人のためにと頑張った結果、大きなことを成し遂げた例がたくさんありました。だから、社会が、利己主義の人間だらけになることはありません。自分自身に生きると、他者に尽くす生き方が自然にできます。
人間はどう生きていけばよいのでしょうか。自分のために、自分を大切に、自分の欲求を否定しないで、自分の持っているものを最大に生かしていけばいいのです。そうすれば、自分だけでなく回りも幸せにすることができます。
桑山 元延 (木曜日, 19 2月 2015 15:34)
【2月宿題】
人間はどう生きればいいのか? 生きにくい世の中だと感じることが多い。厚生労働省によると平成8年から平成23年までの15年間で、鬱病をはじめとする精神疾患の患者数は1.5倍に増えている。218万人から320万人。100万人の増加である。それに呼応して書店では自己啓発本が1コーナーとして独立しているほど出版されている。書籍によって結論はまちまちである。一体どこまで頑張ればよいのか? 一方で鬱病の治療法は頑張らない生き方だと言う。結局、人間はどう生きればいいのか? 私は流されながら生きるべきではないか、と思う。
流されて生きるという表現にはマイナスなイメージがある。努力をしていない。主体性がない。自分のやりたいことが出来ない。しかし考えてほしい。「主体性」や「自分のやりたいこと」は、どんな状況で、どう導き出されたものであろうか? おそらく、生まれた直後に「自分のやりたいこと」を決めた人間はほぼいないであろう。だとすれば自分の置かれた状況で受けた刺激によって「やりたいこと」を決めたことになる。言い換えれば、与えられた環境の下でも「やりたいこと」が見つけられることに他ならない。
江戸時代は士農工商制度によって、生まれた環境で生き方がある程度固定されていた。では当時は皆不幸だったのか? そのような記述は見当たらない。逆に生まれによる使命感や役割がはっきりしていた分、今より遣り甲斐に溢れ幸せだったと思われる記述が散見される。
アメリカは自由の国だと言われる。自由に自分の主張を議論する。議論の先には結論と言う名の勝敗がある。主張が通らなかった側は本当に幸せなのか? 争う先に幸せはあるのか?
流されて生きるというのは、一度、相手の理屈に身を投じることである。そこには相手に寄り添うという共生の考えがある。しかし相手の理屈に従う以上、違和感は生じる。人間は居心地のいい場所を求めるものである。違和感を解消しようと色々な努力や工夫をする。努力はここですればいいのである。
違和感を解消するための努力として、自分の価値観を修正する場合もあるだろう。人はそれを成長と呼ぶ。違和感を解消するために改善が必要なこともあるだろう。そのプラスアルファの改善を人はイノベーションと呼ぶ。つまり成長やイノベーションを生み出す作業は「流される生き方」でも実現しうる。
人間一人で考えることには限界がある。三人寄れば文殊の知恵。その方法論に最も近いのは、流される生き方である。成長やイノベーションを生み出すことは、自分にとっても、他者にとっても幸せである。人間はどう生きるべきか? 流されてみる生き方から始めてみるのも悪くない選択だと思う。
金指 善孝 (水曜日, 21 1月 2015 06:05)
今日は心踊るような1日だった
今日は、朝からワクワクしていた。
19時から新宿で高橋フミアキさん主宰の文章スクールに参加することになっていたからだ。
高橋さんは作家でもあり、文章スクールなどを定期的に開催れている。
私と高橋さんの出会いは約5年位前になる。書店でたまたま手に取った本が高橋さんが書かれた本であった。今まで数冊の本は読ませていただいた。しかし、あまり内容は強く印象には残っていない。
書籍に書かれている内容が悪い訳ではなく、自分自身が文章術を学ぶという素地が出来ていなかったことが原因なのだろう。
実は、今回の文章スクールへの参加は相当な覚悟を持って参加している。結果的に、高橋さんから文章を学ぼうと決断するまで数年間の時間を費やし考えた上での決断だったからだ。この数年間は私にとっては必要な時間だったと考えている。
私にはとても悔しい経験がある。
2013年5月にkindleでの電子書籍を商業出版を目指し原稿を書いていたときのことである。
1行の文章を書くのに2時間かかるのは当たり前。場合によっては、一つのフレーズを考えるのに3日かかるような状況でした。
日に日に鬱状態になっていき、文章を書くという行為を苦痛に感じるようになっていました。
出版のご縁をいただいた編集者の方には今でも本当に感謝しているのですが、あるとき電話で言われた一言は今でも決して忘れることができません。
『原稿を読んだのですが、修正するところがたくさんあって大変なんですよね』
投げ捨てるような言い方でした。
原稿は自分自身の作品です。自分自身の分身でもあるのです。
編集者の気持ちも分かります。自分でも原稿のレベルの低さは薄々感じていたからです。しかし、当時は編集者のことばを受け入れることは出来ませんでした。
今まで、1万冊近くの本を読んできました。
死ぬまでに1冊でも良いので出版することが私の夢でした。電子書籍とはいえ、こんなに早いタイミングで出版出来てしまったので、正直心の準備が整っていなかったのかもしれません。
お陰様で電子書籍は7000部以上売れました。しかし、現在は痛感しています。書籍は出版することだけを目的にしてはいけないと。伝える力を伴ったコンテンツでないと後々自分を苦しめることにもなりかねると感じたからです。
電子書籍を上梓後、文章スクールに参加したり、文章スクールを主催している方々や編集者の方々ともご縁はいただきました。しかし、残念ながらことばを表現することに対して腑に落ちるどころか、少しずつ自信を喪失していく結果になりました。
原稿を脱稿してから、書くことが嫌になってしまいました。2013年9月からはたいちょうも壊し、文章のみではなくブログすら書けない状態になってしまいました。多い月は月間100冊読んでいた読書も全く出来ない状態になってしまいました。
しかし、今年に入り少しずつ体調に変化が起きてきました。まるで、今日の文章スクールに合わせるかのように。
今年は、何とか執筆を再開したい。自分の経験をことばを通して伝えていきたい。体調を壊しながらもそのことだけはずっと考えていました。
実は、文章スクールの翌日は職場が変わるという日でもありました。
環境も少しずつ良くなってきました。
もう自分に言い訳は出来ません。
文書スクールの初日に「連鎖式構成法」という手法を教わりました。
スクール中にワークを行ったのですが、不思議とペンがスラスラ走りました。
久しぶりの感覚です。
トレーニング中、自然と数年前に悔しいと感じた気持ちを自分の中で受け入れることが出来るようになっていました。
この、「連鎖式構成法」は自分にとってとても腑に落ちる手法かもしれない。
かすかな手応えを感じながら、帰りの帰路につきました。
新宿駅に向かう道中、自然と表情が笑顔になりスキップするように歩いている自分に気がつきました。
人生にはタイミングが重要です。
これからも、今日自分で感じた心踊るような出来事を忘れずに、日々ことばを表現していきたいと誓った1日でした。
桑山元延 (水曜日, 21 1月 2015 00:45)
今日は少し進歩のあった一日だった。
朝、目を覚ました桑山元延は、まずメガネをなくしたことを思い出した。オークリーというブランドのメガネだ。46,000円。桑山が持っている中では群を抜いて高いメガネだ。価格もさることながら、もっと重要なのは、それが去年の誕生日に妻がプレゼントしてくれたものだということだ。
どこでなくした? 桑山はもやがかかった頭で、おぼろげな記憶を手繰り寄せた。寝起きであることと昨夜の酒が残っているため、頭がうまく回らない。ビールをジョッキで3杯、焼酎を350ml。20代の頃はなんてことのなかった酒量が44歳の桑山にはこたえた。久しぶりの加藤との飲み会で、つい自制を忘れた。
加藤は気のいい奴だ。大学の同級生で付き合いはもう26年。大学から現在も友達付き合いをしているのは、この加藤1人だけだ。桑山がサラリーマンを辞めた時も、30歳でプー太郎をしていた時も、お笑い芸人になった時もずっと変わらぬ付き合いをしてくれた。さらに気がいいだけじゃなく、酒の勧め方がとにかく上手い。桑山の話を楽しそうに聞き、ときに頷き、ときにツッコミを入れ、気が付くと酒がなみなみと注がれている。
電車に乗ったところまでは覚えている。高田馬場から大久保駅まで一駅だけ山手線を乗るはずだった。たった一駅、2分の間に眠り込んだようだ。起きたのは池袋駅だった。時計を見ると3時間が経過していた。延々と山手線をぐるぐる回り、終電の時間になっていた。あわてて電車を降り、改札を通る。もう電車は終わっているのでタクシーを拾う。
桑山はそこで気が付いた。いつもと周囲の景色が違う。酒に酔っているせいではなかった。メガネをかけていないのだ。ポケットを探してみる。ない。バッグの中を探してみる。ない。どうやら落としたらしい。桑山は深くため息をついた。「またか……」
加藤と飲むとロクなことがない。前回飲んだ時はiPhone6PLUSをなくした。買って2か月半。仕方なく新規購入して8万円の出費。仕事ですぐに北海道へ行かなければならなかったので、見つかるまで待てなかった。128Gを使っていたのだが店頭には在庫がなく16Gを購入した。とても使い勝手が悪かった。その後、ボロボロになった状態で使っていた128Gが見つかった。修理に4万円。妻に呆れられた。
それだけではなかった。さらにその前に加藤と飲んだ時は、酔っぱらって駅の階段から転落し、全治3週間の左足首ねん挫。1週間は松葉杖での生活で部屋の中で動き回ることすら大変だった。何も出来ずに家でテレビを観て、ご飯を食べ、寝ているだけ。妻は苦々しくため息をついていた。
さらに遡る事、半年。桑山は飲みすぎて寝過ごした。新宿駅までは起きていた。次の大久保駅で降りるはずが気づけば日野駅。どこだ? 初めて聞く駅の名前。トラックのメーカーでしか聞いたことがない。桑山が慌てて電車を飛び降り駅舎を出ると、駅のシャッターが閉まる音を背後で聞いた。桑山は20分かけてタクシーを拾った。大久保までと行き先を告げると運転手が驚いた。荻窪まででも1万円はかかるという。大久保までなら1万5千円ほどか。桑山は財布の中を覗いた。所持金は3千円と小銭。仕方なく、夜中の2時に桑山は妻に電話した。4度の留守電を経て5度目に妻が電話に出たので事情を話した。「私だって1万円ちょっとしかないわよ」妻の声は明らかに不機嫌だった。
そして今度はメガネだ。しかも妻からのプレゼントだ。桑山に残された選択肢は2つ。妻に知られる前に同じものを買うか、なんとかして見つけ出すかだ。小遣い制の桑山にとって46,000円など蓄えがあろうはずがない。そもそもそんな計画的に貯蓄が出来る性格なら、何度も飲みすぎて失敗することはないだろう。とすれば、必然的に選択肢は1つしか残らない。
桑山はインターネットで調べ始めた。JR東日本の遺失物係の電話番号だ。どうやら東京駅にあるようだ。ならば直接行ったほうが早い。次の仕事場への移動中に東京駅を経由するからだ。
東京駅に着くとインフォメーションコーナーをまっすぐに目指す。遺失物係の場所を訊いた。若くて美人のお姉さんが親切に教えてくれた。地図ももらった。しかし、もう一度、念のために道順を訊いた。桑山は極度の方向音痴だからだ。正直、不安だった。遺失物係は東京駅の一番外れにあった。
地図を片手に遺失物係を目指す。15分歩いた。まだ着かない。道は合っているのだろうか? 何度も地図を見返すが、そもそも自分がどこにいるのか、桑山はわからなかった。次第に不安が大きくなっていった。はたして道は合っているのか? メガネは見つかるのだろうか? 見つからなかったとしたら、どうなるのだろうか? 来年からはもうプレゼントがもらえないかもしれない。それなら、まだいい方だ。二度と口をきいてもらえないかもしれない。ただでさえ会話は減ってきている。それよりももっとひどい事態が待っているかもしれない。
桑山は不安に押しつぶされる寸前だった。救いを求めるように近くの人に地図を見せ、現在地を訊く。もう2本先の道を左に曲がれば遺失物係だそうだ。やや遠回りしたものの近くまで来ていたようだった。
桑山はようやく遺失物係にたどり着いた。2人待ち。40代の男性と体格のいい50代くらいのご婦人。男性は息子が落とした財布を捜していた。問題は金額ではなく、息子が気に入っているその財布だと語っていた。桑山にはその気持ちが痛いほどわかった。男はひととおり説明すると丁寧に頭を下げ去って行った。婦人はしばらくまくし立てていたが、一息つくとうなだれて帰っていった。
桑山の番が来た。メガネの特徴、無くしたと思われる日時、状況。伝え漏れがないよう、過剰なまでに細かく必死に伝えた。先ほどのご婦人の気持ちが今になってわかった。白髪頭の痩せた駅員さんがパソコンを操作する。ずり落ちた老眼鏡の奥で目をしばしばさせながら検索をかけている。「これかなぁ」と呟くと、桑山が言葉を発する前に「違うな」と短く言い切った。駅員は「んーー」と低くうなっていた。「これかなぁ。オーエーケーエルイー」桑山は頭の中でアルファベットを並べなおした。OAKLE……。オークリー!! 「それです」桑山は叫んでいた。駅員はちらとこっちを伺い「23:30。池袋駅のホーム」と呟いた。場所もぴったりである。「どうすればいいですか? どこにいけばいいですか?」
池袋駅には明日行くことにした。駅員は「違う場合もありますから」と念を押した。検索システムでは画像は確認できないからだ。しかし、桑山は確信していた。あのメガネに違いない。使い始めて11ヶ月経つが、街中でオークリーのメガネを目にしたことがなかったからだ。よかった。ホッとした。妻にバレずに済んだ。嬉しかった。妻にバレずに済んだことが嬉しかったのではなかった。酔っ払って、やらかした失敗を今回は自分の手で取り戻せたことが嬉しかった。
桑山は微笑んだ。東京駅の構内の景色が先ほどよりカラフルで華やいで見えた。今日は少し進歩のあった一日だった。
稲葉 靖幸 (火曜日, 20 1月 2015 20:40)
今日はさまよう一日だった。池袋に行った。ワイシャツを買うためだった。西武百貨店に行った。車で行った。駐車券を見ると、13時入庫だった。
「15時までに出たい」
と、奥さんが言う。理由は駐車場代を払いたくないからだ。西武百貨店の駐車場代は、2000円以上の購入で1時間半無料、5000円で2時間無料、3万円で3時間無料だ。5000円以上のワイシャツを買って、2時間で出ようという計算のようだ。
ワイシャツを求めてテナントを回った。ラルフローレン、タケオキクチ、カルバンクライン、ポールスミス。気に入ったものがなかった。5000円強で買えるようなセール品があまりなかった。1月後半だったためだろう。
「靴下を買おう」
と、奥さんが言い出した。14時を過ぎていた。残り1時間だったが、ワイシャツを買えないと見て、方向転換したらしい。2000円以上のものを購入して1時間半無料で出ようということだ。となると残り30分。靴下を3足買った。ラルフローレン、タケオキクチ、コムサデモード。色は黒1足、グレー2足である。
「ワイシャツがなかったから、東武に行こう」
と、奥さんが言う。今度は、東武百貨店の駐車場に向かった。線路をまたぐので、時間がかかった。15時についた。東武百貨店の駐車場代は、2000円以上の購入で1時間半無料、3万円で3時間無料だ。1時間半しか時間がない。再びワイシャツを求めてテナントを回った。ラルフローレン、タケオキクチ、カルバンクライン、ポールスミス。同じようなブランドしかない。また、気に入ったものがなかった。
仕方がないので、駐車場代を無料にするために、2000円分の商品券を買った。
「丸井に行こう」
と、奥さんは言ったが、無駄足になりそうなので、帰ることにした。
河鰭 幹子 (火曜日, 20 1月 2015 16:57)
今日はリベンジを誓った一日だった。
幹子は応接テーブルに移動すると、うきうきしながらキンドルを開きパスワードを打ち込んだ。本棚のページの一番最後にある「売れっ子小説家が小説の書き方を手取り足取り教えます」をクリックする。ひと月前に越したばかりのオフィスは備品の調達が間に合わずまだ段ボールだらけだが、2倍近い広さで明るい空間だ。前のビルからたった徒歩2分の距離だが、会社も幹子も共に心機一転するには、十分な距離と空間だ。
これからは自由時間。小さな会社でほぼ一人で仕事をしている唯一の良い点は、仕事の割り振りを自分で決められることだと幹子は思っている。そして急ぎの仕事は全て片づけ、来客の予定はない。
すでに14時を回っていて、ランチは食べ損ねている。家族経営の小さな飲食店がほとんどの人形町は、14時すぎるとほぼ「準備中」の札がかかる。結果、30メートルに満たない道の両側にひしめきあっている飲食店は全て入れない。幹子は何度もランチ難民になったことがある。仕事に没頭するとランチ営業時間なんてすっかり忘れてしまうからだ。
だが、幹子は今空腹ではなかった。風邪が治りがけのせいかもしれないと思った。普段の薬に加えて5種類もの薬をもう2日も飲んでいる。中に食欲減退の副作用がある薬が3種類もあったのだ。
コーヒーメーカーがポコポコと鳴り、できあがりを知らせる。ゴディバのキャラメルフレーバーの甘い香りが部屋中に満ちる。幹子の頬は思わずゆるんだ。好きな本を広々とした空間でゆっくり読める。こんな幸せを味わえるなんて、去年の今頃は想像もできなかった。銀行との折衝に追われ、生まれて初めてカードローンの口座を開きお金を無担保で借りた。毎月の収入と支出に目を光らせ、些細なお金の使い道で家族と衝突した。
5月頃まで地下鉄のホームに立つのが怖かった。飛び込み自殺の記事を目にするたび、次は自分がやらかすのではないかとおびえていたからだ。当時の心境を友人に口にできたのは、つい最近のことだ。笑い話にできるのは、もうちょっと時間が必要だろうと幹子は思っている。
視線を戻せばキンドルの画面に、「売れっ子小説家が小説の書き方を手取り足取り教えます」の表紙が出ていた。シンプルなデザインだ。スクールの前に読んでおいてね、と先生からのメールにあった。
今日から3回、文章スクールのリベンジだ。わくわくしながらページをめくっていくと、おや、と幹子は眉をひそめた。添削に使用されている小説は、みんなどこかで読んだ記憶のあるものばかりだったからだ。
真ん中まで読み進めて、あ!と思わず声が出た。「愛犬の安楽死」!去年ノロのせいで1回しか出られなかった文章スクールで自分が書いたものが添削されている。一字一字覚えている。幹子自身が書いたものだからではない。最後の一文をどうすればよかったのか未だに考えあぐねているうえに、書き直す勇気がでないせいだ。
幹子にとって、それはのどにひっかかった魚の小骨のような300文字小説だった。できれば蓋をしてしまいたい文章だった。だが、読み飛ばさず添削も含めじっくりと読んでみた。
先生の指摘は納得できる。しかし、複数の人間の心の葛藤や言動を書いては文字数がオーバーしてしまう。300文字で収めるためあの場面を反芻するたび、死を選んだ自責の念や余計なことが思い出される。
幹子は、治療費を払った時のことを思い出した。領収証には様々な項目があった。注射液(安楽死用)や、獣医師注射技術料など細々としたものが記載されていた。幹子はその項目を見た時の気持ちを忘れたことはない。獣医師と看護師にとって安楽死は技術なのだと悟ったのだ。いちいち落ち込んでいたり悲しんでいたら彼らの精神が保たないのだろうなと醒めた目で領収証を眺めたことを。翌日お骨にしてもらう直前、なでた毛がふわふわで指を入れると温かかったことを。一つ一つ、忘れていたことを1欠片ずつ思い出しては、幹子は二重に気分が落ち込む。忘れていた自分が情けなく、思い出したことに腹が立つのだ。
キンドルを開いた時のうきうきした気持ちは、どこかへ消し飛んでいた。何とか読み終えた幹子は、次はもっと明るく軽い題材で書くようにしようと思った。時間を見ると、4時半だ。少し焦げ付いたコーヒーにミルクを入れて飲んだ。甘い香りが幹子のささくれだった心をちょっとだけ癒してくれた。
そう、リベンジだ。去年スクールの同期生だった人たちは文章力のレベルは、以前とは比べものにならないくらいすごいに違いない。
でもいくつだって、いつからだってやり直すことはできる……はずだ。去年は仕事で忙殺されて、やりたいことの半分もできなかった。今年は自分を第一優先にできる年にするんだと誓ったではないか。幹子は拳を握りしめている自分に気づく。
そろそろ出ようと幹子は席を立った。先生は一時間前からいらしているはずだ。今から行けば、先生がモーニングをよく食べているというブラジルに入る余裕もあるだろう。幹子は急に空腹を覚えた。
日比谷線の駅に向かう途中、郵便局の前を通った。薄暗い中、知念里奈のポスターが浮かんでいる。「つまらない一日はあるけど、つまらない人生は、きっとない」。いつも何となくななめにみるだけのコピーだ。だが、今の幹子には自分の背中を押してくれているような気がした。幹子はありがとね、と声に出さずに呟いて歩き出した。
池上 茜 (火曜日, 20 1月 2015 16:22)
今日は学んだ一日であった。街コンの現場を目撃したのだ。東京ドームにて行われたイベントである。全国の名産品が集結し、参加者は旨いものを食べながらいい出会いを!そのような祭りであった。
来場者は、目算で一万人はいたと思う。会場はあっという間に、人混みで埋まった。
これだけの大人数だと、どうやって話す相手を決めるのか不思議だ。彼らは首からプラカードを下げており、『読書』『お酒』『ゴルフ』など、自身が好きな物を表すシールを貼っていた。これにて、自己紹介を短縮するようだ。
さらによく見ると、『奢ります』『奢ってほしい』等のシールを貼り付けている者もいた。『奢ります』は男らしくて好感が持てるが、『俺が認めた女子だけな』との裏メッセージでもある。一方で、『奢ってほしい』は貼らない方がいいのではないか・・。出会いのハードルを自ら上げている気がする。
『私なら奢って!って言うな』一緒にいた、友人(魔性の女)がぼやいた。やはり要求は、きちんと会話で伝えたほうが可愛げがあると学んだ。
岩崎 百合子 (火曜日, 20 1月 2015 11:32)
今日は『痛い』一日だった。
そして、まだ痛みは続いている。
駅の階段をのぼったところで、岩崎百合子は思わず呻いた。
「ううっ、痛い」
痛みが戻ってきた。
かがみそうになる腰に手をあてる。腰痛だ。右の腰骨のあたりに熱っぽい重い痛みがあり、腿の裏が歩くたびにつっぱる。
今日はいつになく一日中腰が痛かった。たぶん年末の疲れが腰に来たのだろう。
電車の中で立っていても、仕事中机の前に座っていても、右足の太い神経が圧迫されていた。
「岩崎さん」と後ろから社長に呼ばれるたびにズクンと痛む。
社長はすぐ後ろに座っており、社長の視界を遮るものが何もないため、百合子は日中背中が緊張してしまう。腰が痛い今日なんかはひたすら「社長外出してくんないかな」と願ってしまう。
何度か腰痛の波をやり過ごし、5時半に業務が終わると、すぐに百合子は癒しの空間に駆け込んだ。マッサージだ。会社から50メートル先のビルの一室にアロマの香りと可愛いお姉さんが百合子を待っていてくれる。
いつもなら痛みをやりすごしながら帰路につくのだが、今日はこれから行くところがある。なんとか腰痛を和らげてそこに行きたいのだ。新宿にあるその場所に。
(30分マッサージを受けてもまだ1時間ある。大丈夫)
百合子はベッドの上に横たわり、マッサージ師の手技にすべてをゆだねた。
期待通り腰痛は和らいだ。もう大丈夫、と電車に乗りながら百合子は思いながら、バックから目的地までの地図を取り出した。A4用紙に印字された地図はさきほど仕事場で取ったものだ。
地図によると、大江戸線・都庁前駅から徒歩10分。出口はA3。階段の上に立った百合子の目に巨大なビルの暗い影がたちはだかる。
「…やっぱ、新宿は都会だわ」
時刻は18時45分。日はとうに沈み、高層ビルが暗い夜空にまぶしい光を放ってそびえたっている。摩天楼だ。
同じ東京でも、百合子の通う港区の芝大門とは全然違う。会社の周りには小さなビルがせせこましく立ち並んで通りも狭いし、芝商店街もある。だが、西新宿はビルのスケールが違う。ビルからビルまで歩くのも時間がかかりそうだ。
きれいなお姉さんの魔法のようなマッサージ効果は数十分しか続かなかったようだ。
腰に重い痛みが戻って来ている。
果たして自分は目的地にたどりつけるのだろうか。左手に地図を握りしめ、右手で腰をさする。
だが、自分は行くのだ、と百合子は思った。
心も新たに決心したからだ。今年は1からちゃんと勉強してみようと。今日はその初日、しょっぱなから休むのはいやだった。
大丈夫、Googleマップの地図のとおりに行けばいいのだ。授業開始は19時。
「A3を出て右、次はヒルトンを見ながら左。うん、あと15分あれば間に合う」
百合子は決然と足を一歩踏み出した。
しかし、5分後百合子はこの時の1歩を悔やむことになる。
腰痛に負けずズンズンと進んでいった先は新宿駅だった。逆だ。もどってどうする。
してみると、A3を左に行けばよかったのか?
百合子は方向音痴であった。90パーセントくらいの割合で道を間違えて迷子になる。
いつも地図を持ち予習して用意は万端なのだが。ここまでしてなぜ逆走するのか、自分でも不思議なほどだ。
(授業開始まであと10分)
間に合うのだろうか?
ため息をつきながら、新宿駅に背を向けた。再び西新宿の高層ビル群を目指す。百合子は途方にくれる。また腰がずしんと重くなった気がする。
暗い夜空に浮かび上がる大きなビルの群れののどこをめざせばたどり着くのだろう。
高橋フミアキ事務所の文章教室に。
おわり
こんにちは。
先週はありがとうございました。
なんとか書いてみました。
書いてみて迷ったのは改行です。
それと連鎖式難しかったです。
ご指導宜しくお願い致します。
まりこ (火曜日, 20 1月 2015 07:24)
「今日は駄目な一日だった。」まり子は書いて手を止めた。1、2秒考えた後「今日は」の「は」を二重線で消しその上に「も」と書いた。ため息が出る。嫌な日々だ。何も進まない。ダイエットも。家事も。小説家修行も。まり子は情けない思いで一日を振り返った。
1月14日朝、カーテンの外の明るさでまり子は目が覚めた。壁の時計に目をやる。8時だった。まり子は風呂場横の脱衣場に向かった。体重を量るためだ。まり子はがっかりした。前日の朝と変わっていない。当然だ。昨日の夕食も8時過ぎにしっかり食べたのだから。
12月にあった2回の忘年会とクリスマス会で1キロ体重が増えた。正月の餅とごちそうでまた1キロ。早く戻さなければと思いながら歳暮で貰った菓子についつい手が伸びる。気がつくとこの1ヶ月で合計3キロも体重が増えていた。
増えてすぐなら体重を落とすのは簡単だ。夕食を軽めにする。そして早めの時刻に食べる。それを3日も続ければ1日で増えた分の体重は落ちる。だが、1ヶ月もかけて増えた体重だ。しかも3キロ。きちんとした計画で取り組まなければ落とせない。
それなのにまり子は、夕食を軽めに7時までに取る、それ以外の方法を考えていないのだ。それをきちんと実行をすれば体重は落ちる。しかし実行する期間が問題だ。まり子のこのごろの代謝能力では体重を戻すためには増えるのに要した時間の3倍かかる。つまり最短で3ヶ月かかる。早めの軽い夕食を3ヶ月も続けるのはかなり困難だ。強い意志と生活のコントロールが要る。
体重計の数字を見ながらまり子は反省する。いつものように暗い気持ちになりながら。今日からは絶対に7時までに食べる。食べ過ぎない、と。
夫は8時30分に起きてきた。定年退職した老夫婦のいつもの朝食が始まる。出掛ける仕事を持たない二人の朝は遅い。夜も遅い。友人の典子は退職してからも目覚まし時計で5時に起きているという。まり子もそうしたいと思う。しかし実行したのは典子とその話をした一日だけであった。
まり子はその日、少し楽しい気持ちで洗濯をした。前日買った赤い下着を洗ったのだ。
これも随分前に典子から聞いたことだった。赤い下着は女性にとっていいらしい。どういいのか、その時は興味が無く聞かなかったのだが、一昨日の夜ふっと思い出したのだ。そうだ、赤い下着だ、と。赤い下着を着れば元気が出るかも知れない。
まり子は元気が欲しかった。昨年の秋ぐらいだろうか。何に対しても強い興味も意欲も持てなくなってもいる自分に気がついた。3日に1回、近所のスーパーに食材を買いに行くのが唯一の外出になっている。出掛けたいという気持ちが起きなくなっていた。見たいものも行ってみたいところもなくなってしまっていた。
「文を書きたい」と燃えるように思った気持ちも消えていた。しかしなくなったわけではなかった。消えた小さな蝋燭が1本、心の中にある、そんな感じだった。
自分自身の変化にまり子は焦りを感じた。
昨日まり子は早速赤い下着を買いに出掛けた。近いスーパーには赤いパンティーだのシャツだのは置いてなく隣町まで車を走らせた。若葉台のショッピングモールで見た赤い下着は想像とは違った。「巣鴨にそういう店がある」という典子の言葉から「おばあさんの下着」というイメージを抱いていた。しかし目の前の赤いパンティーとシャツは華やかでエロティックだった。まり子は頬を赤らめてレジに並んだ。
この下着を付けるときっと元気が出る、赤い下着を干しながらまり子は思った。青い空に翻る下着からは、昨夜感じたようななまめかしさは消えていた。目を射る赤色はまり子に力強さを感じさせた。
昼ご飯の後、夫はスポーツジムに出掛けた。水曜日、土曜日に半日ジムで汗を流すのが夫の週間スケジュールである。
まり子はノートを出した。自分をどうやって変えて行くか考えたかった。
どうやったら変わっていけるか。まり子は考えられることを書くことにした。項目は少ない方がいい。シンプルを心がけて書く。書いていくうちにそれを毎日声を出して読むことを思いついた。誓願文風に書き直し、順番を整理した。そうだ、今日からやろう。まり子はさっそく大きな声で、それを読み上げた。
一、 夜は十一時までに寝て七時までには起きます。
二、 三度の食事はやむを得ない限り自分で作ります。
三、 間食はしません。
四、 その日の汚れ物はその日にきれいにします。
五、 一日に六時間は小説の勉強をします。
小説の勉強は、小説を読むこと、
世の中の事を勉強すること、
文章を書くこと です。
六、 一日に一時間は歩きます。
七、 ゲームはしません。
八、 勉強6時間
睡眠8時間
食事1、5時間
歩く1時間
食事作り+片付3時間
入浴1時間
掃除2時間
用事・雑事1、5時間
1月14日午後2時45分より
今家にはまり子一人しかいない。恥ずかしいことなんかあるものか。まり子は三度繰り返し読んで誓った。
しかし、その後まり子はパソコンに向かいゲームをし始めた。その日やろうと予定し、手帳にも書いた和室の掃除はやらなかった。土曜日に長女家族を泊めるためにもう少しきれいにしようと考えていたのにである。
午後4時半まり子は早い夕食を摂った。5時になったら出掛けるからだ。かねてから申し込んであった高橋フミアキの文章スクールに参加するためだ。スクールは7時から。2時間も時間を見ているのは、駅まで30分歩くためだ。
まり子は5時には出掛ける用意は出来ていた。しかし、まり子は出掛けなかった。部屋にじっとしたままだった。この数ヶ月いつもこうなのだ。予定を立て、準備して、そして、行かない。立てなくなってじっとしてしまう。体が、ではない。心が、である。
5時20分。まり子は思いきって立ったそして家を出た。これ以上ここにとどまっていては遅れてしまう。走った。そしてバスに乗って駅まで行った。
スクールは楽しかった。話を聞き、考え、文章を書く。久しぶりに頭が働いている。帰ったらすぐ宿題をしよう。まり子は高揚した気分で帰路を急いだ。
家の扉を開けるとぷんと酒と蟹の匂いがした。「お帰り」夫が上機嫌で待っていた。富山に住む義母から蟹が送られて来たという。「さあお食べ」夫はせっせと蟹を切ってくれる。「私は少しでいいのよ。もう晩ご飯は食べたのだから」とは言ってみたものの夫をがっかりさせたくない。結局蟹をたくさん食べビールも飲んだ。冷蔵庫にあった甘いサワー類まで飲んだ。
こうして昼間の誓いは立てたそばから破られていった。
「今日も駄目な一日だった。」
ため息をついたまり子は考えながらまた続きを書いた。
「いや、全てダメという訳でもない。今日は文章スクールがあった。すごく勉強になった。これからの生活についてちゃんと考えた。明日からは実行する。風呂上がりに赤い下着もはいた。きっと明日から元気になる。」 そしてしばらく考え、また書いた。
「本当は赤い下着よりも医者に行った方がいいのかも知れない。安定剤か抗鬱剤。まあ、なんてこと!こんなこと初めて考えた。こんな風に考えられたのも赤い下着のおかげかも。うん、きっとそう。きっとだんだん元気になる。」
まり子は日記を閉じた。ベッドに潜り込み目を閉じた。いつもと違って今日は安らかな気持ちで眠れるように思える。そして実際1分も経たずに深い眠りに落ちていった。
国友 利恵 (火曜日, 20 1月 2015 01:48)
今日はオーバーフローな1日だった。
国友 利恵
今日はオーバーフローな1日だった。
それは朝からはじまっていた。月曜日というだけで気が重いのに、バスがこない。もう定刻を7分も過ぎている。延着の時間に比例して、待っている人の列は長くなる一方だ。こんなんじゃ、乗車するのも時間がかかる。遅刻の2文字が頭をよぎり、苛立ちが激しくなったとき、ようやくバスが姿を現した。
セカセカと列を詰めながらも「いつものバス」という安心感に危機感が薄らいでいく。何故遅れているのかを考えれば、原因のいくつかはすぐに思いつくはずなのに、乗った後から、やっと頭が回転し始めた。変わらない景色とノロノロ運転。
―渋滞しているのだ。
気付いた時には、もう遅かった。施錠された扉は、停留所に着くまでは決して開くことはない。閉じ込められた空間で、なすすべもなくイライラだけが募っていく。
動け、早く動け。
やっと目的地に着いたときは、もうかなり参っていた。なのにダッシュしなければ、完全に遅刻する。走る。ただひたすら走った。
日頃身についていない力走は、確実に体力と気力を奪っていく。もうヘトヘトだ。
なんとかデスクに辿り着いたが、わずかに時間が過ぎていた。そ知らぬ顔で着席する自分にちょっぴり嫌悪感。悪いのはバス。悪いのは運。だけどやっぱり感じる自己嫌悪。
こうなると、仕事がスムーズにいくわけがない。案の定、窓口業務や電話応対で、小さなミスを繰り返し、焦ってしまう。焦りがミスを誘発し、完全に負の連鎖に巻き込まれていく。
昼休みになるころには、心身ともに消耗し、自分の時間だけが倍以上過ぎたかのような錯覚に陥ってしまった。まるで逆浦島現象だ。玉手箱を開けなくても、確実に老いてしまいそうだ。
こうなったら、無理にでも流れを変えるしかない。おいしいご飯を食べれば、きっと元気が出る。そう、すべてはランチしだい!! ちょっと奮発してイタリアンでも行こう。自分を鼓舞して、立ち上がる。
勢いよく手にしたバックを覗いて唖然とした。
……財布忘れた。
土井 葉子 (月曜日, 19 1月 2015 22:05)
今日はエビフライな一日だった。
父はエビフライが好きだ。いや、好きだった。
数年前から365日、母がエビフライを食卓に乗せるまでは。
料理自慢だった母は認知症である。もう料理はほとんど出来なくなってしまった。当然スーパーの”お惣菜コーナー”に毎日通うことになる。この買い物が大問題なのである。
今朝も母の買い物に同行するため10時に近所のスーパーで待ち合わせ。
『お父さんの好物はエビフライ』という認識がこびりついてる母をまっすぐ見つめ、私は今日も言う「エビフライは病院の先生が食べちゃいけないって」
母は「あらそう、じゃイカフライ」私「イカフライもだめよ」
(あっ否定語を言っちゃった...)
とたんに顔色が変わる「ああめんどうくさい。死んでしまいたい。」
(いかん…すぐこれだ)
気を取り直し「お父さんにはエビフライを今までたくさ~ん食べさせたから、他のにしよう」と野菜コーナーに腕をくんで連れて行く。
「ほら、煮物もあるし、サラダや キンピラも…」
母「あっ、エビフライ忘れた!」私の手を振りほどいて揚げ物コーナーへ。母は健脚である。
私は走って母に追いつき「お父さんはエビフライは食べられないの」母「なんで?」不毛な説明を繰り返す。
なんとか野菜系の惣菜を選んで一緒に実家に帰った。
先週から財布の中に『エビフライ× イカフライ×』
と白い名刺に書いた紙を入れてみた。
冷蔵庫やホワイトボードにも同じメモを貼り付けてもみた。が、母は「ハイ、今日はご馳走!」と同じ言葉とともに食卓にエビフライ、イカフライその他の揚げ物がこんもり。
(私の書いたメモは?)
見渡すと父専用の冷蔵庫に貼りついている。
(あちゃ、”お母さんへ”と書くの忘れた…)
私「これからはお父さんの食事は私が用意するから、お母さんは自分の好きなもの買って食べてね」とも言ってみた。
母は「あらそう。ありがとう、助かるわ」と言うが、
やっぱり食卓には エビフライと仲間達がド~ン。
他の揚げ物はいろいろだが、エビフライだけは毎日王様のように皿の真ん中に鎮座している。
当の父が「毎日エビフライは食えねえよ」なんぞ言おうものなら強烈な爆風を受ける事になる。
母「今時は男だって買い物に行くんだ。自分で買えばいい。ああ~早くご先祖様に迎えに来て欲しいっ…」と怒鳴りながらも、残り物を見事に平らげる。
90歳の父は背骨の手術をし、15分ほど歩くのがやっとなのだが「俺だって自分で買い物したけど、住子はエビフライを買ってくる」という。
万策つきた。
「お父さん、諦めて。エビフライは出ても食べなくていいから。でも今日はエビフライ買わなかったよ。」
父「バヤリースのオレンジジュース買ってきてくれないか」と頼まれた。昼になったのでいったん自宅に戻り夫と食事をしてから再度スーパーへ。指定のジュースを買ってレジに並ぶと従業員の女性が「あらさっきお母さん来たわよ」母は有名人らしく、スーパー内を歩けば必ずどの従業員にも親しげに声をかけられる。「もしやエビフライ買いました?」その人は眉を寄せて「ええ」
(やられた…)
実家に引き返し食卓を見れば、私の買ったお惣菜は除けられ、エビフライが。
もういい。母は買い物が好きで、エビフライを父に食べさせたいだけ。止めることはできません。エビさんごめんなさい。
もう日暮れていた。
今日何回も往復した坂道を登り自宅にたどり着いた。「ああ散々だったわ」ふとカレンダーを見ると1/15日
「わっ、あなたの誕生日じゃない。ごめん。なに食べたい?」
夫「エビフライ!」
私「冗談?」
夫「マジ。タルタルソース付きでお願いします」
そう、夫の好物はエビフライ。
もう5時近い。私は猛ダッシュでスーパーへ。
山口倫可 (月曜日, 19 1月 2015 14:21)
今日はリンカにとってさんざんな一日だった。
始まりは、まだ夜が明け切らぬ未明の頃に起きた事件である。
リビングから、ダダダダダ、ガス、ズサッという激しい物音がした。
「いたっ!」
リンカの顔の上を、何者かが走り去っていった。飼い猫が暴れ回っているのだ。
夕べ遅くまで仕事をして、朝寝坊したので猫たちは喧嘩をしているのである。朝ご飯をやるのが遅くなると、必ず彼らは喧嘩をする。そうすれば、リンカが起きると彼らは確信しているのだ。つまり、喧嘩はリンカを起こすためのパフォーマンスである。
しかし、その被害は甚大だ。リンカはあわてて洗面所に行く。おでこの上にはくっきりと赤い爪痕がついていた。2センチはあるだろう。
「やばい!こんなに大きな傷、ファンデじゃ隠しきれないよ」
リンカは、困った。猫にご飯をあげながら、とりあえず消毒をし、コントロールカラーを塗ってみる。鏡を近づける。傷跡の線がうっすら見えるが、
「これなら、まあいけるか」
一安心し、仕事に出かける支度をし朝ご飯を食べる。
テレビをつけると、スイスフランが大暴落したというニュースをやっていた。遠い国の、金持ちの話しか関係ない話だとリンカは思う。
後かたづけをして玄関をでると、外は冷たい風が吹き青空の向こうから鉛色の雲がやってきていた。
なんとなくいやな気配を感じながら、リンカは駅へと向かった。
駅に着くと、階段付近に人がたむろしている。なにかに迷っているように、階段の下に降りるのを躊躇している。諦めたように、入った改札を出ていく人もいる。
「なに?なんかあったの?」
そのとき、場内アナウンスが流れた。
「ただいま、笹塚・新宿間において人身事故が発生しました。現在のところ、上下線とも不通になっております。普及の見込みは9時過ぎの予定です。振り替え輸送へのご協力をお願いいたします」
リンカは焦った。7時半発のこの電車に乗らなければ仕事に間に合わないからである。振り替え輸送といっても、リンカの住む柴崎の駅では京王線意外の電車が走っていないのだ。おまけにバスもないのである。一駅歩いてバスに乗り、調布に行けばなんとかなるかもしれない。だが、そうこうしているうちにダイヤは戻るかもしれない。
リンカは迷った。バスも混んで大変なことになっているだろう。このままここで電車が走り出すのを待とうか・・・。
そのとき、目の前にいた女性が意を決したようにホームを後にした。リンカはつられて、彼女の後を追う。
芝崎の駅を出ると、彼女はタクシーを拾って行ってしまった。リンカは仕方なくつつじヶ丘駅まで歩き、調布行きのバスに乗る。バスはギュウギュウ詰めで、息もできないほどだった。隣にいた会社員風の男性同士の話し声が聞こえる。
「なんかさ、多いよな京王線。あん人身事故よ、あれじゃねーか?あの話のせいじゃ・・・」
「あの話ってなによ?」
「今朝のニュースであったじゃん、スイス。かなり大損したやつ大いんじゃね?」
関係ないと思っていたスイスフランの下落。いきなり見直に迫ってきた不幸の話のようにリンカは思った。
なんとかギリギリセーフで仕事場に着くと、朝から大忙しだった。リンカの仕事は、イベント会場での物販である。今日のイベントは天皇皇后杯全国卓球大会だ。午後には、石川佳純の試合もあった。彼女の試合間近になると、会場には多くの観戦者がやってきた。リンカが仕事をしている店では、卓球関連のグッズの他、カフェやお菓子、お弁当も出している。客は朝からひっきりなしで、3人の従業員体制ではやっとまわした。仕事が終わると、3人とも食事もとれずへとへとだった。
重いからだを引きづり、家路につく。芝崎の駅に着き、リンカはなんとなく母に電話をした。今日一日の大変だった出来事を話したかったのだ。母は黙ってリンカの話を聞いた。
「もう、まったく、最悪の日だったよ。今日は厄日だね。ほんっと、疲れた」
そういうと、母はリンカにこう言った。
「嫌なことあってもね、笑顔でいなさい。笑顔を忘れなければ、ひとつ嫌はことがあっても必ず二つは良いことがやってくるから」
リンカは、今日一日の出来事がその言葉でスッと消えた気がした。
長谷川知宏 (月曜日, 19 1月 2015 13:17)
今日はスリリングな1日だった。
19時から始まるセミナーにもう10分も遅れているからだ。
18時に仕事を終えてセミナー会場に向かっているはずだった。
しかし、会社を出たのは18時40分だった。
私の仕事はすでに終わっていたが、Aさんから急遽対処してほしいと言われた仕事があったからだ。
急いで仕事を仕上げ、会社を後にした私は浜松町駅まで全速力で走った。
日頃の運動不足のせいか何度も足がもつれ転びそうになった。
その度に踏みとどまり何とか駅までたどり着いた。
新宿駅に到着し、地図を広げた。
地図には新宿中央公園を通ると記載があった。
なんだか嫌な気がした。
というのも新宿にあまり来ない私は、新宿が怖いというイメージしかなかったからだ。
真っ暗な新宿中央公園に近づいた私は、恐怖に震える足に力を目一杯入れて、急いで通り過ぎた。
ここまで来たらもう大丈夫と腕時計を見ると、
セミナー開始時間からすでに30分が経過していた。
慌てて地図と周りを見渡すと目的の場所が見つかった。
急いでビルに入り、セミナー会場へ到着した。
席についてふっと頭に思い浮かんできたことは、やはり時間に追われるような仕事はしたくないと思った。
土井菜穂 (金曜日, 16 1月 2015 08:01)
今日は有意義な1日だった。普段よりタスクをこなせた。家事はもちろん、用事ややりたかったことも出来たのだ。
朝は8時に起きた。旦那が支度をする気配で目が覚めた。しかしおかしい。いつも7時半に出掛ける旦那が、なぜまだいるのか。旦那に聞いたら、今日は健康診断があり、まず病院に行くので、いつもより出掛けるのが遅いとのことだった。
まもなく旦那は出掛けた。旦那のお見送りを終えてから、朝ごはんを食べた。朝ごはんはローソンのブランのパンケーキだ。ブランとは小麦の外皮のことらしい。パンケーキの生地が赤茶色なのは、おそらくブランの色なのだろう。パンケーキは、マーガリンとメープルソースが挟み込まれていて、生地自体がしっとりしているので飲み物なしでもペロッと食べきれた。
パソコンに向かった。メールの返信をするためだ。宛先は人材派遣会社だ。今、仕事を探しているので、その会社から仕事を紹介してもらうために、以前プロフィールを送った。しかし、もっと詳しい内容が欲しいとのことだったので、より詳しく書いたものを今回送ったのだ。
菜穂は主婦だ。普段は内職をしている。パソコンを使ったデータ入力を行っている。月の収入は、ネイル代1回分を稼げるくらいだ。
ネイルというのは、ジェルネイルのことだ。月1でネイルサロンに通ってもう1年になる。菜穂はジェルネイルにハマっているのだ。
菜穂はまだパソコンに向かっていた。新たな内職を探すためだ。120件の中から、1件良さそうな内職があったので、応募した。
ふと時計をみると、10時だった。そろそろ用事があるので出掛けなくてはと、支度を始めた。
外に出た。雨だった。まずは最寄駅を目指した。最寄駅は、家から徒歩15分弱だ。
電車に乗った。1駅で降りた。あっという間である。
目的地までは、徒歩1分だ。駅の目の前なのだ。
用事が済んだ。時計を見ると13時になっていた。お昼ごはんを食べなくてはと思った。
帰りの電車に乗った。今度は2駅で降りた。ここも家の最寄り駅である。詳しく説明すると、2つの駅の中間地点に菜穂の家があり、どちらの駅も最寄り駅なのだ。
吉野家へ向かった。駅から10分ほどで、目の前にイトーヨーカドーがある。帰りにイトーヨーカドーで食材の買い出しをしたかったので、そこを選んだ。
牛すき鍋膳を注文した。簡単に言うと、菜穂の大好きなすき焼きである。630円だった。普段のお昼ご飯は、200円くらいの冷凍パスタなので、それと比べると贅沢である。
イトーヨーカドーへ向かった。買うものは決まっていた。夕飯の食材と明日の朝ごはんのパンと飲み物だ。手早く各コーナーを回り、レジを済ませて、店をあとにした。
帰宅するなり、マインドマップを書き始めた。この文章を書くために、今日の出来事をなるべく詳しく書いていった。
それが終わると、部屋着に着替えて寝室へ向かった。昼寝をするためだ。昼寝は日課になってしまっている。もっと時間を有効に使えたらと常々思う。
ベッドに横になる。すぐに寝てしまったようだ。
起きたら17時だった。たっぷり3時間寝たことになる。今日もよく寝た。
旦那が帰って来ていた。旦那は菜穂が寝ている間に、旅行の計画を立ててくれていた。今月の25・26日に旅行に行こうと話していたのだが、行き先がまだ決まっていなかったのだ。旦那は候補地を2、3個上げてくれていた。
行き先は白川郷に決まった。雪の中の白川郷を写真に収めたいからだ。
実は旦那と菜穂は、写真が趣味でデジタル一眼レフカメラを持っている。2人で出掛けるときは、必ずと言っていいほどカメラを持ち歩いて撮影をしている。今回の旅行も撮影旅行の意味合いが強いのだ。
ネットで旅行の申し込みを済ませた。次は夕飯を作らなくては。
夕飯は簡単だ。肉を焼いて、焼き肉のタレで味付けし、レタスを添えて完成だ。焼き肉のタレでご飯がすすむし、レタスで野菜も取れるので、良いおかずだ。
夕飯を終えて、パソコンに向かった。この文章を書くためだ。かれこれ4時間書いているが、それももう終わりだ。次の段落でまとめを書けば終わるはずだからだ。
今日1日をまとめてみた。家事はもちろん、用事も済ませ、やりたかったメール返信や内職の応募や旅行の申し込みが出来た。今こうして文章の勉強も出来ている。有意義な1日だった。