『鹿の王』上・下(上橋菜穂子)角川書店
100万部を超えるベストセラー小説です。
舞台は、氏族が互いに争い、勝者が敗者を奴隷にするという異世界です。
主人公は、東乎瑠(ツオル)帝国と壮絶な戦いの末に敗れたガンサ氏族の生き残りのヴァンという戦士。
ヴァンが奴隷として働いていた岩塩鉱を狼に似た獣が襲います。
獣に噛まれた者は全員、黒狼熱という伝染病にかかって死ぬのですが、ヴァンと女の赤子だけが生き残るのです。
物語は、この黒狼熱の陰謀を解き明かし、奴隷になっても決して屈服せず復讐のために生きる者たちを追いかける展開となっていきます。
雄大なストーリーのなかに、愛があり、葛藤があり、策謀や騙し合い、医学にかける情熱や祖国への憧憬などが入り混じっているのです。エンターテイメントの傑作といっても過言ではないでしょう。
この物語を読んで、まず感じたのは現代日本への警鐘です。
ヴァンはまるで日本のことを象徴しているようにも思えます。ヴァンが東乎瑠帝国との戦いを振り返ってこんなことを言っているのです。
「おれたちは最初から一瞬たりとも東乎瑠帝国に勝つなどという、ありえぬ夢は見ていなかった。大切なのは負け方だった。
降伏したあと、故郷の皆に生きやすい日々が訪れるよう、落としどころを探る駒になってくれるかと氏族長にいわれたとき、おれは心底ほっとしたよ」
まるで太平洋戦争で死んでいった日本兵のようなセリフを著者はヴァンに言わせています。
そもそも著者がこの小説を書こうと思ったのは生物進化論に関する『破壊する創造者』という本を読んだときです。「人の身体を侵す敵であるウィルスが時として、身体を変化させる役割を担う」という考え方がこの小説の着想でした。
人間の体は細菌やウィルスやら、日々共生したり葛藤したりしている場所です。これはそのまま外の場所でも当てはまる原理です。敵と戦い、共生するなかで体の内のことも、外の社会も変化をとげていくというテーマがこの物語には込められています。
しかし、変化の途上には必ず失われていくものがあるのです。『鹿の王』のことを物語ではこう語っています。
「飛鹿の群れの中には、群れが危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃がす鹿が現れるのです。長でもなく、仔も持たぬ鹿であっても、危難にいち早く気づき、わが身を賭して群れをたすける鹿が。
たいていは、かつては頑健であった牡で、いまはもう盛りを過ぎ、しかし、なお敵と戦う力を充分に残しているようなものがそういうことをします。
私たちは、こういう鹿を尊び〈鹿の王〉と呼んでいます」
鹿の王は、若者たちを戦争に駆り出す支配階級の老人たちとは対極にあります。もしも、戦争が起きた場合、真っ先に命を落とすのは若者たちです。老人たちは安全な場所でトランプゲームでもしながら指示を出すのです。今後、もしも日本が危機的状況になったとき、「鹿の王」と呼べる人が出現するのでしょうか、本書はそんな問いかけをしているように感じました。
(高橋フミアキ)