騒めき
姫子
「一筒」を切るか、「二筒」を切るか。
姫子は迷っていた。
平日の深夜だけあって、神田の雀荘は閑散としている。
麻雀は、想像力と観察力で勝負が決まる。
相手の状況を観察し、予測し、自分の最良の完成形を思い描く。
自分が完成できる確率を計算しながら臨機応変に対応する。
いかに冷静に、且つポジティブな想像ができるか・・・
想像というよりは、むしろ妄想かもしれない。
4人が順に牌を引き、自分にとって要らないものを場に捨てる。
それを繰り返して、いかに早く、いかに高い点数の形を完成させるかを競う。
自分が捨てた(麻雀では「切る」という)牌が相手の完成速度を速めたり、
最終的に完成させてしまったりもする。
完成させてしまう決定打を「振り込み」というが、これには細心の注意が必要だ。
大打撃を受けることもある。
「おネエちゃん、なかなか波が来ないねえ。でも、焦りなさんな。夜は長いからな」
「ホントですよね~、気長にお付き合いください」
にこやかに返しながら、溜息が出る。
その日は、だいぶ負けが込んでいた。
場代も払えないとなったら、卓を囲んでいるこのギラついたオヤジたちは何て言うだろう?
いまどき身体で払えとは言わないまでも、もちろんただでは済まないだろう。
それ以前に、姫子には100万円しかなかった。全財産が100万円。
「生きる」という行為にかかるすべてのお金の上限が100万円ということだ。
無くなったらそこで終わり。
飲まず食わずで数日は持つかもしれないが、それ以上でも以下でもない。
無言で次の牌を引いた。
あと1牌で完成する形、聴牌(テンパイ)だ。
心が、騒めいた。
聴牌はもちろんうれしいが、麻雀打ちなら誰もが憧れる「役満」の形までもあと2牌。
役満の数学的な出現率は、最も高いものでも0.049%と言われている。
惜しい場面はよくあるが、滅多にできるものではないことくらいよく分かっていた。
まさか、ね。
順番が来て、また次の牌を引く。
「一筒」
一瞬、手が止まった。
身体中の血がカッと逆流する。
「一筒」を切れば、聴牌は継続する。
次に「三筒」を引けばこの回は私の勝ちだ。
他の誰よりも早そうだし、そこそこ高い点数もつく。
「二筒」を切れば、役満の形で聴牌する。
残り牌の数からして、完成する可能性はかなり低いがまさに起死回生の一手。
これまでの負けを取り返してなおお釣りがくる。
姫子の劣勢に内心ほくそ笑んでいたオヤジたちは、ド肝を抜かれるに違いない。
しかし「二筒」は、「一筒」にも増して非常に危険に思えた。
手に入る点数は4分の1ほどになってしまうが、「一筒」を切った方が
まだマシかもしれない。
理屈ではない、オンナの勘としか言いようのない何かが叫んでいた。
どうする? どっちだ?
いよいよ決断の時がきた。
背筋を流れる冷や汗が一瞬乾く。
今は、何としても点数を稼がなければならない。
目をつぶって、姫子はその牌を切った。
「清老頭(チンロウトウ)」
24枚しかない牌のうち14枚を集める至難の役満。
出現率0.00181%。
姫子のあだ名は「役満番長」になった。
(了)
ひろと (金曜日, 25 9月 2015 15:09)
迫力とスピード感ある文章
力強い
ただ麻雀がわからない自分には内容が入ってこず残念
みか (水曜日, 23 9月 2015 09:53)
単純明快なストーリーラインで、面白かったです。
桑山元 (水曜日, 16 9月 2015 20:39)
「B」
迫力ある緊迫感。
もうちょっと、おじさん達との会話や、ブラフ(はったり)や当たり牌を探る会話などが見たかった気がします
鈴木康之 (月曜日, 14 9月 2015 22:53)
これだと麻雀を知らない人にとっては、牌を切ることで上がれるという
風に思われてしまうと思うのですが・・・
リンカ (月曜日, 14 9月 2015 15:37)
A
麻雀は全く知らない私ですが、緊迫感とスピード感があってハラハラドキドキしました。
荒尾純平 (月曜日, 14 9月 2015 11:13)
麻雀打ちの私には状況の緊迫度の高さが伝わってきて、忘れていた背筋の寒さを思い出させてくれました。とても面白かったです。ありがとうございました。