作家の菊池寛は
「不幸のほとんどは、
金でかたづけられる」
と言っています。
貧乏な幼少期を経て
戯曲『父帰る』、小説『真珠夫人』で
流行作家となり、
大金持ちになった菊池寛の言葉だけに
ズシリと来るものがあります。
菊池はうどんの国、
香川県の生まれです。
高松藩の儒者の家柄でしたが、
禄高ありませんので父親は貧乏士族でした。
維新後、父親は小学校の用務員になりますが、
家計は苦しいものでした。
自伝によると、
小学校の時、
父親が教科書を買ってくれませんでした。
「買ってくれ!」
と父親に言うと
「同級生の教科書を写して使え!」
と父親に命じられます。
その時の心境を菊池はこう言っています。
「私は字がつたないので、
写本をしろなどちうのは無理なのですが、
とにかく情けない思いをしながら写本を始めました」
菊池は学校での成績はよかったようです。
高等学校へ進むときは、
高松師範学校を出て教職に就いていた長兄が
父親の代わりにお金を出してくれます。
上京して東京高師に入学しますが、
休みがちだったせいで除籍になり、
明治大学の法科に入学します。
明治も3ヶ月で退学となり
1高(東京大学の前身)に入るのです。
ここも退学となるのですが、
そのエピソードがちょっとおもしろい。
菊池は一文無しの寮生活。
そこで友人が来ていたマントを
「これを質に入れよう」ということになります。
友人は着ていたマントを
「質屋に入れておいてくれ」菊池に渡して外出します。
マントなどという高級なものを着たこともないし、
ちょうど『金色夜叉』の主人公の貫一が
マントを着ているのが流行していたこともあり
菊池はマントを着て質屋へ行くのです。
ところが、
隣りの寮でマントの盗難事件が発覚しました。
滅多にない菊池のマント姿を目撃した者があり、
真っ先に嫌疑をかけられます。
寮務室で生徒監と菊池は睨みあいますが、
外出した友人に代わって、
ひとまず罪を引き受けるのです。
遅くに戻った友人を詰問すると、
「盗んだものだ」といいます。
友人は
「どうしよう、どうしよう」とうろたえています。
その姿を見て菊池は、
自分が罪を背負い退学することを決めるのです。
菊池を心配した仲間のとりなしで、
学校側は再調査の結果、
菊池と友人の双方を救う準備をしていました。
しかし、
菊池がかたくなに「自分がやった」と突っぱねるので
学校側も退学を認めざるをえなくなってしまったのです。
1高を退学して菊池は京都帝国大学選科へ進みます。
卒業して東京に戻り、
時事新報に就職します。
そこで菊池はこつこつと原稿を書き続けるのです。
『父帰る』を帝大の同人誌『新思潮』に発表しますが、
このときはまったく話題になりません。
菊池の名声を決定づけたのは『真珠夫人』でした。
菊池は新聞小説を書くにあたり尾崎紅葉の『金色夜叉』を意識します。
『金色夜叉』は男の復讐譚ですが、
『真珠夫人』は女の復讐譚です。
設定を巧みに変えて執筆しました。
さらに当時話題となっていた
九州の炭鉱成金に嫁いだ伯爵の娘
柳原白蓮の話をベースに盛り込んであります。
読者を飽きさせない場面展開、
キャラクターの造形、
わかりやすいセリフ、
そして感動、
売れる要素をじっくりと吟味して書き上げた作品です。
『真珠夫人』の大成功から
1923年に雑誌『文藝春秋』を私費で創刊し、日本文藝家協会を設立し、
芥川賞と直木賞を創設します。
成功してからは作家たちの育成に尽力します。
金のない作家にポケットマネーから金を与え、
風呂に入らせたり食事をおごったりしたそうです。
着衣のあらゆるポケットにクシャクシャの紙幣を入れており、
貧乏な文士に金を無心されるとそれを無造作に出していました。
菊池は仕事も100%全力で当たります。
本の帯をつけるのは今では当たり前ですが、
これは菊池のアイデアで、
当時は斬新だったせいで、
本がよく売れました。
菊池は仕事だけでなく、
遊びも100%でした。
麻雀や将棋に熱中します。
麻雀では日本麻雀連盟の初代総裁を務めました。
競馬は有力な競走馬を多数所有していて、
日本中の競走馬の名前や状態をすべて知っていたといいます。
仕事も遊びも100%だった人なんですね。
菊池にこんな名言が残っています。
「来世に希望をつなぐ
信仰などよりも、
現世をよく生きたということが、
安心の種になるのではないか」
(高橋フミアキ)
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文藝春秋社を作ったのも、「芥川賞」を作ったのも菊池寛です。
日本文学に対する貢献度は大きいですよね!
たかりん (土曜日, 27 6月 2015 13:53)
甘い!
「金のない作家に金を与え、風呂に入らせたり、食事をおごったり....」
「貧乏な文士に金を無心されると...」
甘い!
この時代、すでに日本の「ハングリー精神」は亡くなり始めたのか!
アメリカのホームレスと何ら変わりがない。
アメリカでは、教会、地域が無料で食べ物をホームレスに与えているのと同じだ。
「助ける」の意味を間違えているのでは?
「自立」させることこそ「助ける」と同義語なのではないか。
腹が減ったら
「おい、菊池さんの所行って飯、おごってもらおうぜ!」
服が破れたら
「おい、菊池さんの所行って、金もらおうぜ!」
そんな声が聞こえてきそうだ。
「不幸のほとんどは、金でかたづけられる」
おおかた正しいであろう。
しかし、彼が、後輩文士達に伝えるべきだったことは、自身の原点。
「同級生の教科書を写して使え!」
本が売れ、印税ががっぽり入り、裕福になったことで、「原点」を忘れてしまったのか?
残念でならない。
ふみふみ (水曜日, 24 6月 2015 22:04)
元さんの、
人物評は、
素晴らしい!
これはすごい!!
たいしたもんです。
なるほど、
こんなふうに評価することもできるよね、
という、
素敵なお手本ですぞ〜。
みなさん、
見本にしてみてくださいな。
桑山 元 (水曜日, 24 6月 2015 21:59)
「今を生きる」とは、よく聞く言葉である。
もはや手垢にまみれた表現の感はあるが、菊池寛の生き様を知った後でこの言葉を聞くと、とても深い言葉であると痛感させられる。
それほどまでに、菊池寛という人間は今を生き、今を楽しんだ人間であった。
当時、話題だった柳原白蓮の話をたくみに使い「真珠夫人」を書き上げる。
時代性をつかんでいる。
それは言い換えると、「現代を生きている人間が何に興味を持ち、何に苦心しているか」に心を砕いていたということではなかったか。
非常に細やかな心遣いである。
事実、彼は着衣のあらゆるポケットにクシャクシャの紙幣を入れ、文豪文士に無心されると無造作に差し出していたという。
財布ではなく、ポケットに。
わざとクシャクシャにした紙幣を。
しかも無心されるまではこちらからは申し出ず、無心されれば「無造作に」出す。
なんという絶妙な距離感。そして心遣い。
そう考えると、彼の言葉「不幸のほとんどは金で片付けられる」も、彼特有の照れ隠しからきた言葉の様に感じられるから不思議だ。
さらに凄いのは、その根底に優しさが溢れているところである。
後進のために芥川賞を作り、直木賞を作り。
学生時代には同級生のマント盗難事件の罪までかぶって退学したという。
現在、時代性をつかんで一代で財をなしたベンチャー企業の経営者が数多くいる。
彼らは今のニーズをつかみ、今を謳歌し、今を生きている。
だが、そのうちのどれくらいの人間が彼ほどの優しさを持ちながら今を生きているだろう。
一方、自分で選んだはずの職業で今を楽しめずに時間を過ごしている人達もいる。
「今の職場は自分のいるべき場所ではない」と思いながらもアクションを起こせない、あるいは起こさない人達も多い。
菊池寛。
こんな現代だからこそ、雇う側も雇われる側も、今一度読み返す必要がある作家ではなかろうか。