小説『激怒サムライ』


 サムライは激怒した。ブタのように食って寝るだけの生き方をしている日本人、怠け者でやる気を失った日本人、戦いから逃げる日本人らに激怒した。堕落した日本人を覚醒せねばならぬ。必ずわしの魂の剣でひとり残らず目を覚まさせてやる。これこそ我が本懐なりとサムライは決意した。

 サムライはごく普通の高校教師である。いや、ごく普通の高校教師と思っているのはサムライ本人 だけだった。サムライは着物を着、袴をはき、竹刀を持って登校した。ちょんまげのつもりで束ねた 長い髪はどうみてもポニーテールだった。

 愛読書は新渡戸稲造の『武士道』と三島由紀夫の『葉隠れ入門』。座右銘は「武士道とは死ぬこと と見つけたり」。マイフェイバリット・シネマは『ラスト・サムライ』である。『ラスト・サムライ 』に出演していた女優の小雪がことのほか好きだった。年下のつまらぬ俳優と結婚したが、それでも サムライは小雪が好きだった。

 月曜日の朝、うららかな春風に桜の葉がひらひらと舞い落ちていた。学校への坂道を生徒たちがの ぼっている。サムライは草履がアスファルトをこするズリズリという音を立てながら歩いていた。目 の前をとぼとぼと見覚えのある女生徒が歩いている。女生徒はうつむいたまま歩く。肩にかけたカラフルなメッセンジャーバッグがお尻の上で浮いたり沈んだりしていた。

サムライ は急にその女生徒の名前を思い出す。たしか、音無シイコだったはずとサムライは女生徒の背中を軽 くポンと叩く。サムライが担任するクラスの女生徒だった。

「おはよう!」
 サムライは元気よく挨拶をする。ところが、音無シイコは返事をしない。爽やかな月曜の朝。桜の 舞い散るロマンチックな朝。高校教師と女生徒が出会い、教師側が元気に挨拶したにもかかわらず、 女生徒側は挨拶しないのだ。

 激怒した!

 そもそも、日本人は挨拶をしなくなった。「いらっしゃいませ」も「ありがとうございました」も 言わないコンビニの店員。「お待ちどうさま」と言うところを「おしゃしゃま」としか言えない中華 料理店のアジア系アルバイト。「いくら」と「ビントロ」を注文したのに返事もせずに忘れてしまう くるくる寿司の板前さん。いきなり友だちのような馴れ馴れしい口調で話してくる保険の営業マン。  サムライは激怒した。日本は狂っている。挨拶は人として生きる基本的なことだ。「礼」の基本が 挨拶である。その「礼」というものを忘れてしまってどうする。挨拶をしない日本人にサムライは激 怒した。

「ちょっと来い」
 サムライは女生徒の腕をつかみ、生徒指導室に連れて行った。
「ここに座れ。今日は授業に出なくていい。礼について1日、しっかりと勉強しろ」
 サムライは女生徒に作文用紙を渡し、「礼」について考えたことを書くように指示した。
 ところが、女生徒は、
「ヤダ、書きたくない。あんたバッカじゃないの」
 と冷ややかな視線を投げた。
「何だと。それが先生に向かって言う言葉か。もう、頭にきた」
 サムライは女生徒の親に電話を入れた。親を学校に呼びつけてやる。
 電話に出たのは母親だった。
「あんた、誰?」
 とその女は言った。「もしもし」も「はい、音無でございます」もなく、いきなり「あんた誰?」 である。日本人はいったいどうなってしまったのか。そもそも子どもたちが挨拶できなくなったのは 親に責任がある。親が悪い。親が挨拶をするように躾ていないから日本がダメになるのだ。日本をダ メにしたのは、こういう親たちだ。日本の親たちよこの責任をどうとるつもりだ!

 生徒指導室に戻ったサムライは女生徒に言ってやった。
「お前が悪いんじゃない。悪いのはお前をこんなふうに育ててしまった親たちだ」
 そのとき、突然、ドアが開いた。バーコードハゲの校長がススッと入ってきた。
「サムライ先生、この娘を教室に戻してくださいませんか」
 腰の低い校長が、サムライに頭を下げた。
 その校長にサムライは激怒した。
「部屋に入るときはノック! そして、『失礼します』とひとこと挨拶して入るべきでしょ」


 激怒しながらもサムライは校長の指示通り、女生徒を教室に戻した。教室はちょうど昼どきだった。ぺちゃくちゃおしゃべりをしながら弁当を広げる生徒たち。

 そして、な、な、な~~んと!

 誰ひとり「いただきます」と手を合わせる者がいなかった。いかん、いかん、いかん!

 サムライは激怒のあまり教卓を竹刀で力いっぱいに叩いた。
「みんな! 箸をおけ!」
 サムライはごく普通の高校教師だと自分のことを思っていた。 
(了)