京王線・つづじケ丘駅から、住宅街を歩いて15分ほどのところに、
武者小路実篤記念館はあります。
民家の立ち並ぶ路地を歩くのですが、
ちゃんと案内板があるので、迷うことはありません。
こじんまりとしたかわいい建物です。
武者小路実篤といえば、小説『友情』が有名ですね。
雑誌『白樺』の中心的人物で、
志賀直哉とか、有島武郎などとともに白樺派と呼ばれる作家です。
1885年に生まれ、1976年没。
小説だけでなく、美術活動も活発に行い、
実篤の書画はいまも人気が高く、
「病気でなくなった母が実篤の書画に励まされていました」
と来館者ノートに書いてありました。
「この道より、われを生かす道なし、
この道を歩く。
八十二歳 実篤」
「雨が降った、
それもいいだろう。
本が読める
実篤」
「君は君、
われはわれなり。
されど仲良き。
実篤」
こんな詩が、実篤の絵とともに色紙に収まっているのです。
記念館にいくと購入できます。
理想を求めて建設した「新しき村」
実篤は公卿の家に生まれて、
小さいころは学習院で学び、
東京帝国大学を卒業していますから、
どうも現実ばなれした感性を持っていたようですね。
理想的な調和社会を作ろうと考え、
宮崎県に理想の村を建設します。
その名前が「新しき村」です。
1918年(大正7)のことでした。
この新しき村の精神は、
次の条文にあらわれています。
一、全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に成長させることを理想とする。
一、その為に、自己を生かす為に他人の自我を害してはいけない。
一、その為に自己を正しく生かすようにする。自分の快楽、幸福、自由の為に他人の天命と正しき要求を害してはいけない。
一、全世界の人間が我等と同一の精神をもち、同一の生活方法をとる事で全世界の人間が同じく義務を果たせ、自由を楽しみ正しく生きられ、天命(個性もふくむ)を全うする道を歩くように心がける。
一、かくの如き生活をしようとするもの、かくの如き生活の可能を信じ全世界の人が實行する事を祈るもの、又は切に望むもの、それは新しき村の会員である、我等の兄弟姉妹である。
一、されば我等は国と国との争い、階級と階級との争いをせずに、正しき生活にすべての人が入る事で、入ろうとすることで、それ等の人が本当に協力する事で、我等の欲する世界が来ることを信じ、又その為に骨折るものである。
理想郷を作ろうとした実篤の情熱が、
ひしひしと伝わってくるではありませんか。
熱い人だったんでしょうね。
宮崎の「新しき村」は、
ダム建設のために水没してしまい消滅したのですが、
実は現在も、
埼玉県でこの村が存続しているのです。
村内生活者は23名、
高齢化がすすんで農業が続けられない状態だそうです。
精力的な文学活動
小説、戯曲、詩、随筆など、6300編もの作品を残しているのですから、
その旺盛な創作意欲には圧倒されます。
毎日1編ずつ執筆したとして、
20年近くかかります。
もちろん、小説などは、
1日で完成するものではありませんからねえ。
明治、大正、昭和と激動の時代を生きた人というのは、
みんなよく働くんですね。
すごいです。
緑と池に囲まれた実篤邸
実篤の死後、数々の愛蔵品、遺品、邸宅などが、遺族から調布市に寄贈されました。
これらを武者小路実篤記念館、実篤公園として保存公開されたいるわけです。
実篤公園は、約5,000平方メートルの園内に、
旧実篤邸のほか、
湧水を水源とする大小の池に、
コブシ、サクラ、ツバキ、モミジなど、
四季折々の風情を感じることができます。
こんな場所は実篤は執筆していたんですね。
調布市・武者小路実篤記念館
東京都調布市若葉1-8-30
■開館時間/9:00~17:00
■入館料/大人200円 子ども100円
■休館日/月曜日(祝日の場合はその翌日)