夏目漱石は望まれない子として生まれました。
漱石の兄弟は4人の兄と1人の姉がいて、
子沢山でした。
お母さんは、
高齢で末っ子の漱石を生みました。
それゆえ、
母親は漱石を生んだことを
「面目ありません」
と恥じたといいます。
生後すぐに漱石は四谷の古道具屋に里子に出されます。
ところが、
品物の隣で捨て犬のように寝ている漱石の姿を見て、
姉が不憫に思い実家へ連れ戻しています。
ところが、
1歳と少ししたころ、
漱石は塩原家に養子に行くのです。
この塩原の夫婦仲は悪く
しばらくして離婚します。
漱石は9歳のときに実家に戻りますが、
養父塩原と実父夏目の対立により、
復籍ができず、
漱石は塩原姓を名乗るのです。
大学予備門に入学するときも
塩原金之助と願書に記入しています。
ちなみに、
この養父塩原は、
漱石が朝日新聞に入社すると
金の無心に何度も訪れています。
漱石の幼少期から青年期は、
波乱万丈といえるでしょう。
漱石は自分のことを不勉強だったと回顧していますが、
転機がありました。
予備門2年のときです。
大学予備門はのちに第一高等中学校と名前が代わり、
現在は東京大学教養学部となっています。
漱石の転機に、
何があったのか?
そうです。
落第したのです。
そのとき、
追試を受ければ落第は免れたはずですが、
漱石はあえて追試を受けず、
落第の道を選びました。
これを機に遊びほうけていた生活を一変し、
勉学に励むことを決意します。
その後は卒業するまで
一貫して首席を通していますので、
漱石がどれほど勉強したかがうかがえます。
落第という悲しくてつらい出来事を、
みずからすすんで受け入れることで、
奮起したのです。
「苦労は買ってでもしなさい」
と私たちの年代では
よく言われました。
その苦労の種は、
未来の花を満開にさせるのです。
【心にしみる言葉】
「あなたが今まく種はやがて、
あなたの未来となって現れる」
By 夏目漱石
(高橋フミアキ)