大佛次郎記念館


大佛次郎という名前を知っていますか?

いまでは読む人も少なくなっていますが、昔は大人気の作家でした。

 

大佛次郎は「だいぶつじろう」と読みません。「おさらぎ、じろう」と読みます。

本名は野尻清彦といいます。

大佛というペンネームは、鎌倉の大仏の裏に住んでいたからだそうです。

 

 

明治30年(1897年)に横浜で生まれました。

東京帝国大学を卒業後は、外務省に勤務します。

このころ、文学青年仲間と同人雑誌『潜在』を創刊しています。

 

1924年に小説『鞍馬天狗』が大人気となり、作家業に専念するようになりました。

『鞍馬天狗』の第一作『鬼面の老女』は映画化されています。

1950年に『帰郷』により、芸術院賞を受賞します。

1973年に『天皇の世紀』を執筆半ばで永眠しました。

 

『鞍馬天狗』 『赤穂浪士』 『日蓮』など、

時代小説家のイメージが強いですが、

 

『霧笛』 『帰郷』など、

現代小説でも大ヒットを飛ばしています。

 

ノンフィクションでは、

『ドレフュス事件』 (1930)
『パナマ事件』 (1960)
『パリ燃ゆ』 (1964)
『天皇の世紀』 (1969–73、絶筆)

 

 童話

『スイッチョねこ』 (1971)

 

新作歌舞伎

『若き日の信長』 (1952)
『築山殿始末』 (1953)
『江戸の夕映え』 (1953)
『魔界の道真』 (1957)
『大仏炎上』 (1960)

 

など、

かなり多方面で執筆をしています。

 

昔はジャンルなどなかったのでしょうね。

 

 

記念館のなかに、次郎の作品名『霧笛』という店名の喫茶店があります。

ガラス張りの明るい店内で、落ち着いてお茶ができます。ハーブティのケーキセットがお勧めです。

 

小説『霧笛』は、明治時代の横浜を舞台とした開化物と呼ばれる作品です。

 

 

主人公の千代吉は、イギリス人クーパーの屋敷で下男として働いています。

同じように西洋人の館で働いている‘お代官坂の富’とけんかをし、

富を負かして、

「豚常をやっつけてくれ」と頼まれます。

 

しかし、千代吉にはそんなことを言いながら、

富は豚常の前では卑屈な態度をとってぺこぺこしているのです。

 

 本心では豚常を嫌いながら、豚常にへこへこする富。 

 

 

千代吉から博打でもうけた金をすべて譲られて、

千代吉に身体を許すお花。 

 

千代吉に、お花がクーパーの愛妾であることをほのめかす豚常。

日本人でありながら外国人居留地に住まう人々の鬱屈した思いが、

細やかな心理描写から鮮やかに浮かび上がってきます。

 

 

 

 

そんな中で、ただ一人千代吉だけが、

自分の意思を強く持ち、決して人の思惑に屈しようとしません。

 

その姿勢を、本人は「打たれ強い」といっています。

 

実際、千代吉は、小さいときからどんなに殴られても

決して参ったとは言わなかったという経験を持ちます。

 

殴っても殴っても降参しないため、

相手の方が終いには気持ち悪がって殴るのをやめてしまうというのです。  

 

そういった、一見相手の言いなりになっているかのように見えながらも

決して自分を曲げないという態度は、

外国人居留地に暮らすには一番合わない性格のようです。

 

                                            

千代吉はすりを働こうとしたところを見咎められて、

クーパーの屋敷にそのまま連れてこられたのですが、

それは、クーパーが自分ではとても太刀打ちできないような相手だと思ったからです。

 

クーパーがお花の旦那であることを知り、

彼のお花に当てた手紙を盗み見てしまってから、

千代吉の頭に描かれていた偉大なるクーパー像が崩れていきます。

 

クーパーも所詮ただの人間だったと気づいたとき、

千代吉の頭に「クーパー恐れるに足らず」という思いがむくむくとわきあがります。 

 

それでも、普通の人間なら、むしろそれを逆手にとってクーパーに取り入ったりするのですが、

千代吉はどこまでも傲岸に自分を押し通します。

 

それが若さゆえなのか、

環境によって作り出された性格なのか。

 

自分から破滅に向かって突き進んでいくような千代吉の態度は、

はかない居留地という地にあってその危うさがいっそう際立ちます。

 

 

 

大佛次郎記念館は、港の見える丘公園内にあります。

 

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