文学の森を散歩しているとあらわれてくる!
山中湖畔に広がる文学の森公園。
山の斜面に広がる公園なので、
坂道が多くて体力の落ちた年寄りには、
少しきつい。
こじんまりとした小さな建物
公園内に凛として立っている小さな建物だった。
三島といえば、
市ヶ谷駐屯地での割腹自殺が
あまりにも有名で衝撃的だったものだから、
後世の人たちから、
「あ、あの自衛隊の駐屯地で腹を切った人ね」
というふうに覚えられているようだ。
三島の肉声が聞こえる貴重な映像が見られる!
50分程度の映像を見た。
三島の声が流れてきたときは、
少し感動した。
小さい頃の写真を見ると、
幼い可愛さのなかに、
凛とした高貴な匂いを感じさせる。
三島文学の特徴には、
その文体の美しさが際立っているが、
かれはその外見も生き方も、
宝石のようにキラキラ輝くほどの
美しさを放っている。
文は人なり!
作家の人間が文に現れるんだなあ~~
青年へと成長していった三島!
本名は平岡 公威(ひらおか きみたけ)、
1925年(大正14年)1月14日に四谷に生まれ、
1970年(昭和45年)11月25日)市ヶ谷駐屯地で亡くなった。
ペンネームの三島は
静岡県三島からきている。
同人誌の編集会議をかねた一泊旅行が修善寺にあり、
三島を通ったことから思いついた。
そのとき富士を見たとき
「ゆき」と思った。
それで由紀夫としたという。
三島の思春期は戦時下にあり、
美的な天皇制に傾倒していく。
学習院高等科を主席で卒業し、
東京帝国大学法学部に入学する。
処女短編集『花ざかりの森』は、
この世の形見として書いた。
戦時中、群馬の中島飛行機工場に勤労動員される。
軍事工場だったため爆撃目標となり、
多くの三島の知人が死んだ。
三島の書斎は質素なものだった!
作家となった三島の書斎が再現されていた。
みるとかなり質素なものだった。
三島が作家デビューしたのは、
1949年『仮面の告白』を発表したときだった。
同性愛を取り上げた作品だけに、
当時はかなりセンセーションを巻き起こした。
ちなみに、
美智子皇后さまが独身のころ、
実は三島とお見合いをしていた。
三島を育てた川端康成
三島がはじめて鎌倉に住む川端を訪ねていったのは、
1946年21歳の学生のころだ。
川端は
「君は文学者になりたいのか、
文壇人になりたいのか?」
と初対面の挨拶程度に訪ねた。
「有名な作家になりたい」
と三島は情熱を持って答えた。
「君はまだ学生で一本立ちしてもいないのに、
最初から有名な作家になるつもりで、
僕を利用しに来たのか?」
川端は怒ってみせた。
三島はそこでひどく反省し、
川端の忠告を素直に受け入れた。
それ以後、
川端は同人誌に三島を推薦したり、
文学上のアドバイスをしたり、
生涯、三島と川端は師弟関係を続ける。
三島作品が海外で広く読まれるようになり、
何度かノーベル文学賞にノミネートされるようになった。
しかし、三島の右翼的な政治活動に、
スウェーデン・アカデミーは難色示した。
そして、
日本ではじめてノーベル文学賞を受賞したのは、
川端康成だった。
川端は
「私がノーベル賞が取れたのは、
三島君のおかげだ。
彼作品がヨーロッパの人々に読まれるようになって、
私の小説もやっと理解されるようになったのだ」
と語っている。
当時の西洋読者人たちは
結末がはっきりした小説を読んでいるので、
川端のような
「花がいま咲きました」的な終わり方にはなじみがない。
文体も俳句や短歌のような美しさをまとっている
川端の作品は、
西洋人には受け入れにくかったはずだ。
■三島由紀夫文学記念館
◇入館料 一般 500円
◇開館時間 午前10時~午後4時30分(ただし、入館は午後4時まで)
◇住所 山梨県南都留郡山中湖村平野506-296