『ヘタな人生論よりイソップ物語』(植西聰)
イソップ物語と言えば小学校のとき読んだ記憶がありますが、
たしかにヘタな人生論よりもためになったような気がします。
教訓的な物語が多いなか、
うふっと笑わせてくれるものもありました。
『北風と太陽』などは、
世界中の人々が知っているお話で、
経済や政治などにも隠喩として使われます。
韓国の北朝鮮に対する「太陽政策」というのは、
この物語からきているのです。
いわば、
汎用性のある物語の原型だと言えるでしょう。
イソップ物語をすべて知っているようで、
知らない話もいくつかありました。
今回、ちゃんと勉強してみようと思い購読してみました。
こんなお話があります。
1)『胃袋と足』
胃袋と足が、お互いの能力のことで競い合っていました。
「キミには食べ物を消化することしか取り柄がないとはお粗末だね。
悔しかったら、
ボクみたいに走ってごらんよ。
もし、走れなかったら、
よちよちと歩くだけでもいいよ」
このように自慢げにいう足に対し、
胃袋は次のように反論しました。
「なるほど、
キミのいうことも一理ある。
しかし、キミねえ。
食べ物をしょうかすることしかできないというけど、
ボクが栄養を補給しなかったら、
キミはどうなるんだい?
たぶん衰弱してしまい、
走ることも歩くこともできなくなると思うんだけどなぁ」
※これはイソップ物語で多くみられる物語作りの手法で、
「二項対立」です。
2者を対立させ、
その葛藤のおもしろさで読ませています。
2)『ヤギ飼い』
ある日、ヤギ飼いが放牧してあったヤギたちを集めてオリに入れていると、
そのなかに野生のヤギが数匹紛れ込んでいました。
ヤギ飼いは、
苦労もお金もかけずにヤギが増えたので喜び、
野生のヤギを大切に扱いました。
次の日はあいにく嵐がきて放牧できなかったので、
オリのなかで世話をしました。
しかし、
ヤギ飼いは野生のヤギにはたくさんのエサを与えたのに、
昔から飼っていたヤギにはわずかばかりのエサしか与えませんでした。
その翌日のことです。
嵐がやんだので、
ふたたび放牧にでかけたのですが、
野生のヤギは、そこから逃げようとしました。
「あんなに大事にしてやったのに、
逃げるとは恩知らずなヤギめ」
ヤギ飼いがこう文句をいうと、
野生のヤギは、
こう言い返しました。
「だからあんたが信用できないのさ。
昔から一緒にやってきた者を粗末に扱って、
新入りを大事にするなんて、
また新入りがくれば、
そっちのほうを大事にするに決まっているからね」
※これは人間社会のちょっとした人情の機微を、
動物に置き換えて物語にしたパターンです。
会社の上司や家族など、
人間関係のなかで、
「こういうことって、
ちょっとおかしいよな」と思ったことを、
メモに書きとめておき、
こんなふうな物語を作ってみるとおもしろいですよ。
3)『ライオンとネズミ』
眠っているライオンの上に、
ネズミがうっかりして、
駆け上ってしまいました。
目を覚ましたライオンは、
ネズミをとらえて食べようとしました。
するとネズミはライオンに、
こう命乞いをしました。
「こんなちっぽけな私を食べても、
たいしてお腹の足しにはなりません。
もし逃がしていただけたら、
出来る限りのご恩返しをしますので、
どうか助けてください」
ライオンはネズミに助けてもらうことなど
一生ないだろうと思いながらも、
逃がしてあげることにしました。
その日から、
およそ1年が過ぎたある日、
ライオンは人間のつくったアミのワナに、
引っかかってしまいました。
ライオンはアミのなかで宙づりになり、
身動きがとれないので、
泣き叫びました。
すると、
その声を聞きつけたネズミが飛んで来て、
「以前のご恩は決して忘れてはいません。
助けて差し上げましょう」
といって、
小さな歯でアミをかじりはじめました。
ネズミが一所懸命かじりつづけたので、
アミのワナは破れ、
ライオンは逃げることができたのです。
※「恩返し」は世界中の人々の心の琴線に触れるようです。
感動的な物語を作りたかったら、
そこに「恩返し」の要素を入れてみるといいでしょう。
イソップ物語は、
人生の教訓として読むこともできますが、
このように創作術のテキストとしても読めます。
(高橋フミアキ)