小説『めんどくさいコンビニ』


『めんどくさいコンビニ』

 

杉澤 潤 

 

 

 男は下北沢で電車を降りた。

 

「吉祥寺行き最終電車です。閉まるドアにご注意ください」

 

  駅員の声を背に受け、改札を出て自宅へ向かう。細いビルの間に蒼い月が見えた。

 

「あーあ、けっきょく三日連続で残業しちまったなあ」

 

 上司からのメールを確認し、舌打ちする。 

「そんなにせっつくならもっとマシな人材よこせってんだよ。使えないバイトばっかあてがわれたって困るんだよ」 

 

 コンビニの光が見えた。青い看板の下では学生たちがカップラーメンを啜っている。 

「大学の頃は楽しかったな。まんがばっか読んでたけど」

 男は苦笑した。 

「まんがの主人公になりきった気分で、口調まで真似したりして。今となっては痛い思い出だな。黒歴史だ」 

 

 カゴを手に、閑散とした店内を歩く。弁当やカップラーメンの新製品を取り、まんが雑誌をパラパラとめくる。 

「ああ、このシリーズまだ続いてたんだ。ハードボイルドSFか。人気あるんだな」 

 

 
 レジの前に立つと、カウンターの中のアルバイト店員が、読んでいたまんが雑誌から目を上げた。無言で男を睨んでいる。 

 

 なんだこいつ。客がレジに来たらまずはいらっしゃいませ、だろ。なに睨んでんだよ。 

 

「……」 

 

 大学生くらいだろうか。金色に染めた前髪を長く垂らし、何か値踏みでもするようにじっとこっちを見つめている。

 どちらかといえばイケメンと呼ばれる部類に入るだろう。 

 

 やがて店員はゆっくりと口を開いた。 

「…会計か?」 

 

「当たり前でしょ」

 男は憮然とした表情で、カゴをレジの上に置いた。 

「ていうか、なんで客に向かってタメ口なんだよ。あんた学生さん?」

 

 店員は答えず、カゴの中の品物を一瞥して言った。 

 

「なるほど、いい心がけだ。カネも払わずに商品を持ち出したらどんなことになるか、そのくらいはお前にも分かってるようだな」 

「誰だって分かるだろ」 

「欲しいモノを手に入れたかったら、まずはカネを払うべきだ。よく覚えておけ」 

「いや、小学生の時から知ってるし」 

 

クックッ、と店員は笑った。 

 

「こいつはいい。小学生の時から知ってる、か。おそれいったよ。優等生のお坊ちゃまだったってわけか」 

「てか普通だから」 

「だがな」 

店員は男の顔に人差し指を突き付けて言った。 

「時にはその優秀さが、逆に命取りになることだってあるんだぜ。この星では」 

 

「ここは地球だよ普通に!」 

 
 男は、店員の読んでいたまんが雑誌に目をやった。分かった。こいつ、まんがの主人公になりきってんだ。

 ニヒルな悪党キャラを演じてるんだ。 

 

「確かに、支払いをせずに店を出るという選択肢もある」 

「ないよ」 

「もしそうしたければそうするがいい。お前の自由だ。ただその場合、ちょいとばかり面倒なことになるぜ。場合によってはこの星の警察に手間を掛けさせることに」 

 

「だからどういう世界観なんだよ!払うから早く会計しろって!」 

「フフフ、まあいいだろう。会計してやろうじゃねえか。ピッ、ウーロン茶1リットル、105円」

 

 最初からそうしろよ、と男が言いかけた瞬間、店員の手が止まった。

 

 「…このトンカツ弁当だが…、どうする?」 

 

「はい?」 

 

「温めてやっても」

店員はニヤリと口元を歪めた。「いいんだぜ」 

 

「じゃあお願いします」 

店員の顔色が変わった。動転した表情で男の顔を見る。 

 

「き、貴様…まさか…?」 

 

「今度はどうしたんだよ」 

「家に…電子レンジが…無いのかッ?」 

 

いや、あるよ。あるけど! 

「ウチのレンジは古い型で音がでかいんだ。だから夜中に使うとアパートの隣の部屋にメーワクだから」 

 

「な…なるほど…そういうことか」 

店員は額の汗を拭った。「焦ったぜ」意味なく焦るな。

 

 「だが…」

 弁当をレンジに入れて加熱ボタンを押し、店員は男に背を向けたまま言った。

 

 「いいのか?自分の情報をそこまでペラペラと喋っちまって」 

「別にいいよ!とにかく早く会計してくれよ!」 

 

「この星で幾多の修羅場を潜り抜けてきた俺から、一つだけ忠告しておこう」

 店員はそこで間を置いた。真剣な顔で男を見つめている。心なしか、店内BGMの音量がやや小さくなっているような気がした。店の前をバイクが走り抜ける音が聞こえる。 

 

「コンビニ弁当ばかりだと……偏るぞ、栄養が」 

「そんな溜めて言うほどのことじゃない」 

 冷笑を浮かべて店員は言った。

 

 「酒、煙草、30円チョコ。この店では、たいていのモノが手に入る。だが、女だけは売っちゃいねえ」

 「まあ、ローソンだしね」 

 

「それに、」 店員は振り向いた。 

「お前のシゴトに必要なスキルやコネクションも、手に入るとは限らないんだぜ」 

「それは期待してないから」 

 

 
 全ての商品をビニール袋に入れ、店員は言った。 

「聞きたいか?」 

「何を」

「合計金額」 

 

「そりゃそうだろ」 

「教えてやってもいい。ただし!」

 店員はカウンターから身を乗り出し、顔を男の前に寄せる。 「一つ、条件がある」 

 

「つーかレジんとこに金額表示されてるからいいよ言わなくて。えーと745円ね。七百…四十…あ、細かいのないや」 

 男は千円札を店員に渡した。 

 

「つり銭は…255円だな。ネット検索の必要もない。悪いが俺は、この程度の計算なら頭脳内のみで処理することの出来る能力を持っている」 

 

「ふつう出来るでしょ」 

「驚いたか?」 

「違う意味でね」 

 

 
 店員は、黄色い前髪を掻き上げながら言った。 

 

「このつり銭だが…要るか?」 

「要るよ!」 

「本当に必要か? お前にとって」 

「必要だよ寄越せよ!」 

「グッド。それが正解だ。世の中、信じられるものはカネだけだ。俺は女を信用しない。ちょっとばかり痛い目にあったことがあってな」 

 

「てめーのトラウマ失恋なんかどうでもいいんだよ! 釣りよこせ!」 

 

「聞かせてやってもいい」 

「聞かなくていい!」 

 

「あれは確か二年ほど前、ちょうど今日のような驟雨が街の闇を覆っていた」 

「今日降ってないし!」 

 

 その時バックヤードから、四十がらみの男が現れた。 

「あっ、もしかして店長さんですか? このバイトの彼、どうにかして下さいよ!」 

 

「いかにも。それがし当店の店長にござる。当店を御利用頂き恐悦至極。いかがめされた?」 

 

「こんな奴しかいねーのかよこの店!」 

 

(了)