300文字小説を書いてみよう!


高橋フミアキの文章スクールの

小説コースの人たちだけが知っているページです。

 

 

300文字小説が書けたら、

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そして、

その300文字小説に対するお誉めの言葉は、

メーリングリストにアップしてあげてくださいな。

 

 

コメント: 294
  • #294

    林夏子 (日曜日, 28 9月 2014 15:40)

    紀行文・紅葉山庭園

    雲ひとつない晴天だが、頬にあたる風がひんやりと心地よい9月下旬の土曜日。
    「秋をテーマにした紀行文」を書くべく、私は彷徨いながら、静岡市葵区にある、駿府城公園にやってきた。
    お堀の周りではランナーの姿も見える。東京の皇居の周りのランナーを彷彿とさせるが、規模はずっとずっと少なく、ゆっくりと思い思いのペースで走っているようだ。ランナー達を眩しく見送って、いざ城郭の中へ。

    駿府城は徳川家康が秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居した折に居城とし、没するまで過ごした場所だという。駿府は大御所時代には江戸と並ぶ城下町として栄えたという。大御所様の居城だけに、天守閣などは城郭史上最大、城内は大変豪華絢爛だったそうな。現在は残念ながら天守は焼失し、広大な敷地が公園として開放されている。たくさんの樹木があるが、見たところどの木も色づいてはいない。

    お堀の内側を一周してみることにした。細い道を石段を登ったり降りたりしながら 公園の奥まで歩みを進めると、立派な生垣が現れた。
    これはなんだろう?私は不思議に思って生垣の回りを廻ってみた。勝手に入れないように四方を生垣で囲ってある。入り口を探してみると、「紅葉山庭園」という看板を見つけた。ここに私の探している秋が見つかるかもしれない。早速入ってみることにした。

    紅葉山庭園は、家康が存命当時、駿府城内にあった紅葉山庭園を再現した庭園で、平成に入ってから作られたという。大名庭園の特徴を多く取り入れたそうで、池や鯉というお決まりのものから、滝や富士山を真似た小山まで作られている。

    さて、紅葉が多少色づいてくれていれば、と期待して紅葉の木を探すと、残念ながら、どの葉もまだ青々としていた。
    朝晩の冷え込みが紅葉を黄色く、さらに赤くする。9月は多少肌寒い朝もあったが、紅葉を色づけるには至っていなかった。
    家康の一生を季節に例えるなら、今川の人質だった幼少期が春、若葉のころ。
    天下分け目の関ヶ原の合戦など真夏の厳しい暑さに耐えて、大御所となって駿府城で過ごしたのがまさに豊穣の、金色の秋の時代だったのではないだろうか。そんな他愛もないことを考えながら築山から園内を見渡すと、まだ夏の強さを残した日の光が作る木々の木漏れ日が美しい。
    優しく流れる滝の音や木の香り。2羽のトンボが秋風に逆らうようにふわりと舞うのにも秋を感じる。
    広い池に黒や朱色の鯉が悠々と尾びれを動かしていて、時間が止まったようだ。
    在りし日の家康もこんな風に庭園で大御所としての政務の息抜きをしたのだろうかと思うとちょっと嬉しい。

    家康の最晩年、鷹狩に出た際倒れ、息を引き取ったのも駿府城であった。そして来年2015年は没後400年の節目の年という。駿府城を観光される場合は、家康公の埋葬された久能山東照宮へもぜひ。

    駿府城公園は静岡駅から徒歩約10分。無料で見学でき、紅葉山庭園は150円で見学できる。

    東京の高層ビル街を後にして新幹線ひかりで1時間。帰りには駅前で静岡おでんとみかんチューハイに舌鼓を打っても終電に充分間に合いますよ。紅葉山庭園の紅葉は山の紅葉から少し遅れ、12月初旬頃見ごろを迎えるそうなので、これからの秋の日帰り旅行にいかが。

  • #293

    夏来みか (月曜日, 15 9月 2014 12:13)

    本当ならば、自死を選んでしまって、あの世でもこの世でもない、砂嵐が吹き荒れるところにとらわれてしまっている父を助けに行きたい。
    しかし、それはできない。
    なぜならば、助けに行くには、自分も死ななければならないからである。
    時間は刻々と過ぎていく。私はどうすればいいんだ?
    世界で最も大切な人を、自死に追いやってしまった、罪悪感と悲しみで私は立ち直れない。何をする気にもならない。何からも逃げ回ってしまう。
    周囲が騒ぎ始めた。「少しは自分の人生を考えろ。生きろ」
    私は決めた。砂嵐に巻き込まれている父を助けに行く。

  • #292

    夏来みか (月曜日, 15 9月 2014 11:01)

    本当ならば、仲違いしてしまって、何年も会っていない娘に会いたい。会って仲直りがしたい。しかし、それはできない。なぜならば、私は脳腫瘍のため、脳の一部を切除したから、顔が半分になってしまっているし、うまく意志の疎通が出来なくなってしまったからだ。

    時間は刻々と過ぎてゆく。私はどうすればいいんだ。
    病状はどんどんと進行する。娘と仲違いしたまま死ぬのだろうか?

    周囲が騒ぎ始めた。私の余命はあと3ヶ月だそうた。

    私は決めた。なくなった顔を直し、とにかく娘にごめんなさい。と言おう。

  • #291

    夏来みか (水曜日, 10 9月 2014 08:23)

    ある土曜日。さおりのところに、高校生の時からの大親友の絵美から、洗濯機ぐらいのサイズの白のプラスチックケースに入った何かが送られてきた。
    それを見て、さおりは疑問に思った。
    絵美はこんなに大きくて重い何をくれたのだろう?
    さおりは、絵美が誕生日プレゼントを送ってくれたのだろうと思った。
    同居人は、
    「誕生日はまだ半年先だろ?彼女がいらなくなった冷蔵庫じゃない?」
    と言った。
    さおりは
    「ああ、そしたら、私がワイン貯蔵専用の冷蔵庫が欲しいって言ってたからそれかな?それにしても大きすぎない?」
    と言った。
    さおりと同居人は確かめることにした。
    玄関から引きずる事も出来ない、大きくて重たいプラスチック箱の蓋に貼ってある、テープを慎重にカッターで切った。箱のふたを開ける。すると、ギュイィーンという音がして、緑色の二つの光がこちらを向いた。さおりと同居人は
    「ぎゃー」と言って、箱から飛び退いた。すると、その箱の中の物は、
    「キョウカラヨロシク」
    と電子音でしゃべった。
    「なに?」
    とさおりは言う。
    箱の中の物は動いたらしく、バタンと大きな音がして、プラスチック箱は倒れた。そしてさらに、
    「タスケテ」
    と言った。おそるおそるさおりは近づいていき、プラスチック箱をたてた。中の物は
    「ハヤク ココカラ ダシテヨ」
    と電子音の声だが、命令口調で言う。
    「はい」
    とさおりは言って、同居人と共に箱の周りを留めていたプラスチックバンドを切る。箱から出てきた物は、足がキャタピラー形状で胴体はピラミッド型、その上に頭が乗っているロボットだった。

  • #290

    夏来みか (火曜日, 09 9月 2014 08:13)

    死ぬ前に

    私は、死ぬ前にどうしても伝えたいことがある人に会いたい。
    理由は、本心と違う態度をとり続けてしまってとても残念なお別れをしたからだ。
    しかし、もう顔が半分しかないから、会う事ができない。
    おまけに、この人生の残り時間が少ないから、私には無理かもしれない。
    どうすればいいのだろう。
    そこで、私は1人のアンドロイドの工学博士と出会った。
    その人は私に、あなたの替わりに動けるアンドロイドをつくってあげますと言った。
    私はその人のアドバイス通りアンドロイドをつくった。
    しかし、私の努力は何の効果もなかった。むしろ、悪化した。
    たとえば、アンドロイドをつくったものの、そのアンドロイドは、やっぱり私と同じように、私の思いと違う態度をとってしまうのである。
    落胆した私のところへ、会いたい人の消息を知っている人がやってきた。
    さて、どうしたものだろう。

  • #289

    尾作  稔 (日曜日, 31 8月 2014 19:19)

      「山陰線、捜査出張の旅」

     「ここで何をしている!」と私は全身に気合いを入れて一喝。東中野、住宅街の裏通り一角に、こじんまりした木造二階建ての美容室でのことである。レジスターをバールでこじ開けていた男がいた。 侵入窃盗だ。
     男はおもむろに立ち上がり顔を上げた、男の目はわずかに外から漏れてくる街路灯の光を帯びキラッとした不気味さを感じさせた。 
     私は男に二歩三歩と近づくと、その男、床に置いてあったバール二本を両手に「ウォーっ」という叫び声でバール二本を振り回し襲いかかってきた。


     「尾作君、ほんとうにあのときは危なかったなあ、大怪我はしたが助かってよかったな」石川刑事が語りかけてきた。
     石川刑事は刑事課、強行犯の係長だ。
     隣に座っている鈴木部長刑事もうなずく。 「下手したらおまえ死んでいたところだな」
     その一年近く前の東中野駅前交番勤務の警ら(パトロール)中の私がまさかの事件の渦に巻き込まれたシーンを語っているのだ。今、山陰線の列車内、出張の旅にいる。

     「明日は巌流島だな」と石川刑事、
     私が格闘の末重傷を負い、逃走した犯人らしき者が他署で別件で逮捕され鳥取刑務所に収監されていた。捜査の過程で突き止めたのだ。
     山陰線列車は西へ西へと進み、鳥取に向かう。途中、「はっ、と」思う駅に停車した。 「亀嵩」(カメダケ)という駅だ。「この名称の駅って実在していたんだ」と深い驚きを覚えた。 私が警察学校在学中だった昭和47年、まだ18歳のときであった、大作家の松本清張原作の「砂の器」という刑事もの映画で犯人のピアニストを追い詰めていくドラマだが、この亀嵩という地はそのドラマの犯人に到達するカギとなった舞台でもある。そのときの映画のシーンが私の脳裏に深く刻まれていた。この亀嵩という地は東北弁と同じずーずーぅ弁を使うらしい。この山陰地方に東北弁。私には理解できなかった、石川刑事も鈴木部長刑事も知らないという。


     列車は鳥取駅に着いた、駅から市内に出たときは既に午後10時を回っていた。市内はビルなどが林立して繁華街のようにもなっているが不思議と車の走る音以外は聞こえてこない妙な静けさを感じる。今日はとりあえずホテルに直行しょうとタクシーを拾った、鈴木部長刑事がタクシーの運転手さんに「ここから鳥取刑務所までどのくらいの時間かかりますか」と尋ねる。
     「刑務所つったら20ぷんくれえべかさ、、、。そお~すうねえ」と私の知っている限りでは東北弁に聞こえた。

     
     翌日、ホテルを出て私たちは鳥取刑務所に赴いた。刑務所の刑務官も東北弁のようであった。「このへやを~おつかいください」と東北訛りである。

     暫くして刑務官が男を連れてきた、私は、はっ、とした。「この男だ」髪はボーズ狩りだが忘れはしない、しかし男は雑談には応じるものの事件のことになると完全黙秘を通す。
     こうして2日間の取り調べが終わった。秋風が吹き始めた鳥取を後に三人それぞれの思いを胸に、口数少なく鳥取駅へと向かう。
     帰りの山陰線列車内、石川刑事が私に真顔で「尾作君、これは無理だ、逮捕状は取れるけど公判維持できないぞ」
     私は悔しさなんかより、「これって、この自分を巻き込んだ事件って何だったんだろうか、、、。自分でもよくわからない心境だ。しかしながら、この旅には目に見えない何か大きな意味が隠されているようだ。

     了 

  • #288

    夏来 みか (木曜日, 28 8月 2014 12:59)

    「美意識」
    こんな問題があった。

    すずは、身体を動かす事が出来なくなってきてしまった。少し動くだけでしんどい。身なりを整えることができない。人に見られたくない外見になってしまった。人に身体を拭かれたり、下の世話をされるのは死ぬほどつらい。特に主人に世話をされるのだけはどうしても避けたい。

    理由はこうだ。
    背中がいたいと思っていたら、大腸ガンであった。手術をしたらあっという間に体力がなくなり、動けなくなってしまったのだ。

    ひとつの案はこうだ。
    このまま、家族に全てをまかせて寝たきりで、下の世話をしてもらう。
    もう一つの案はこうだ。
    死ぬ。
    その時がきた。
    病院から自宅療養のために家に帰った。神様に
    「どうか死なせてください」とお願いをした。動けない、人に自分の汚物の世話をしてもらう身体にはなんの未練もない。神様への願いは聞き入れられた。

  • #287

    夏来 みか (日曜日, 24 8月 2014 12:32)

    「小さな男の子」

    こんな問題があった。
    日曜日の昼下がり、本屋さんで夢中で本を読んでいた。
    スカートを後ろから引っ張る力を感じた。振り返ると、麦わら帽子をかぶり、太陽のイラストが書いてある水色のTシャツを着た、年の頃2歳ぐらいの男の子が、私のスカートを引っ張って、にこにこしていた。この子はどっから沸いてでた?と思い、近くを見回し、保護者を捜した。
    このかわいらしい男の子の保護者が見あたらない。
    「ママはどうしちゃったの?」と聞いても、ひたすらにこにこするだけだ。
    保護者を捜さなければ。
    ひとつの案はこうだ。
    交番に連れて行き、お巡りさんにこの子を託す。
    もうひとつの案はこうだ。
    あまりにかわいいので、保護者がでてくるまで、この子の面倒を見る。
    そのときがきた。
    私は、一緒に保護者を捜すため、その子を家につれて帰った。

  • #286

    山口倫可 (日曜日, 17 8月 2014 21:44)

    「父の想い出」

    父は、ずっと悩んでいたんだと思う
    戦友会に行くか行かないか…
    戦争という記憶を、ずっと消化しきれないでいたのかもしれない

    私は、父が戦争に行ったことも
    戦地で、どんな大変な目にあったのかも
    全く知らずに平和に…本当にいい時代に育った

    高度成長期の真っ只中
    いわゆる現代っ子と言われた私たちの世代
    それが、父の世代の上に成り立っているなんてことは
    思ったこともなかった

    バブルが弾けて間もないころ
    父が、突然倒れた
    それまで家族を背負って、ただひたすら突っ走ってきた父
    何も泣き言を言わず、黙って仕事をしていた父

    大きな手術を受けて退院してきたころに
    一本の電話がかかってきた
    ラバウルで父の上官だった方からの
    戦友会の誘いだった
    父は、初めて重い腰をあげた

    戦友会に行くようになってから、父はポツリポツリと
    戦争で経験したことを話してくれるようになった

    赤紙が来て、家族に別れを告げてでてきたものの
    向かう戦地が決まらず、京都のお寺で数ヶ月お世話になったこと

    やっと決まった戦地はラバウルで
    向かう船の上では、棚のような寝床に雑魚寝させられたこと
    海上では絶えず攻撃を受け、やっとの思いで着いたときには
    同じ港から出た船が、十分の一になっていたこと

    ラバウルでは食料が不足し、ありとあらゆるものを口にしたこと
    足首にある5センチくらいの火傷の後は
    機銃操作で受けた傷で、中にはまだ弾の破片があるということ

    引退後涙もろくなった父は
    『さらばラバウルよ』という曲を聴きながら
    「いつか、ラバウルに行って一緒だった戦友達の遺骨を拾いに行きたい」
    とよく言っていた


    桜の花が大好きだった父
    桜の花の儚さに気づく年齢になって
    はじめて父の思いや、父の語ろうとしていたことが
    ほんの少しわかってきた気がする

    もっと、いろいろ話しておけばよかった。
    「そのとき、どんな思いだったの?」と遺影に向かって訊ねてみても
    こたえはもう、かえってこない

    (了)

    (782文字)

  • #285

    夏来 みか (日曜日, 17 8月 2014 17:40)

    「靖国で会おう」
      俺は、父親として、息子に対して本当にイライラしていた。なぜならば、俺の息子ときたら、まるで、闘争心がない。
    何に対しても、勝とうという気持ちがないのだ。
       売られたけんかは、買わず、ぼこぼこにされて帰ってくる。運動会の徒競走もいつもビリ。少年サッカーチームに入れても、試合のときに出来るだけパスを受けないように走り回るのだ。

    「男なんだから、戦え」と何度叫んだ事か。息子をなんとか、世間で戦っていける人間に教育しなければならない。

    ひとつ目の案はこうだ。
    どんな方法を使ってでも、自衛隊に入隊させ、スパルタにしごいてもらう。

    もうひとつの案はこうだ。
    どこか外国の、全寮制の校則が、厳しい学校へ放り込んでしまい、生ぬるい今の環境から自立させることだ。

        第一歩として、息子にゼロ戦を見せるため靖国神社にある遊就館に連れて行った。

        息子は、深緑に日の丸の機体を、じっと見つめていた。10分も経った頃、こちらを向き不意に言った。

    「久しぶりだな。藤本」
    「なんだ、急にどうしたんだ?」
    「私だ。わからないのか。靖国の桜の下で再会しようと約束したじゃないか」
    「おまえ?」
    「俺のこと、忘れたのか?」

        心なしか、息子の表情がきりっとしている。
        背中に冷気を感じた。キーンという超音波のような音が聞こえ、脳裏に自分のものではない記憶だが、ありありと映像が浮かんできた。
       一度も行ったことはないが、そこは知覧の特攻隊の基地だった。息子は飛行訓練を受けていた少尉だった。私は整備兵だった。身分はちがったが、2人は丁度同じぐらいの年で、時折、深刻な状況を忘れるため身分違いを超えてじゃれ合う仲だった。
        息子が、特攻で飛び立つ時、涙をこらえ、精一杯の笑顔で見送ったのだった。
    「坂東少尉?」
    「思い出してくれたか」
    「ああ」
    「ゆっくり、させてくれないか?この平和な日本に、せっかく、もう一度生まれて来れたんだ。この、平和、この状況を、楽しませてくれないか?」
    背中を覆っていた、冷たいものがふわっと暖かくなり、息子の表情は元にもどった。
    「自衛隊も、全寮制の高校も、やめだやめだ。おまえ、自分の好きなように行け」

  • #284

    おかだなつこ (土曜日, 16 8月 2014 12:53)

    「沖縄の塔」(修正版)

    6月23日、慰霊の日。

    「沖縄には47都道府県のうち、46の慰霊塔しかないんです。唯一、慰霊塔がない県はどこだと思いますか?」

    ある人から、突然投げかけられた質問。なんの予備知識もなく、偶然その日に沖縄を訪れていた無知な私は答えることができなかった。

    すると、その人は答えを持たない私をある所に連れていき、こう教えてくれた。

    「沖縄の慰霊塔だけがね、ないんですよ」

    太平洋戦争の際、国内で唯一想像を絶する壮絶な地上戦が繰り広げられた沖縄の地。平和祈念公園に行けば、まるで競い合うように各都道府県や団体の立派な、ともすれば威圧的な慰霊塔が建ち並んでいるにも関わらず、そして、沖縄に全部で300以上もあるといわれている慰霊塔があるにも関わらず、どれ一つとして「沖縄の塔」と刻まれた碑はないという。

    そしてその人は、目の前にある質素な塔を指さしてこう教えてくれた。

    沢山の遺骨が今なお眠り続けているこの沖縄全体が慰霊塔であり、そして「沖縄の塔」という文字を刻んではいないが、今、目の前にある「魂魄の塔」こそが沖縄の人々にとって「沖縄の塔」なのだ、と。

    魂魄の塔は、悲劇の象徴として知られるひめゆりの塔にほど近い場所にある。2段の石垣は大小の粗末な石を円柱型に積み上げてコンクリートで固められ、その上には凹凸のある珊瑚の板に「魂魄」と刻まれた質素な碑が掲げられている。高さもそれほどない一見すると忘れ去られた遺跡のようなその塔こそが、かつて約3万5千柱の遺骨が納めれられていた沖縄で最初に建立された慰霊塔であり、納骨堂だ。

    誰もが知っている通り、沖縄は激しい地上戦が繰り広げられ、一説によると県民4人に1人が犠牲になったといわれるほどの惨事が繰り広げられた場所だ。しかし、その犠牲者の中には米軍に殺害された人々だけではなく、日本軍による虐殺で命を落とした人が少なくないことを知る人は思いの外、少ない。

    当時、本土決戦を少しでも遅らせたい日本軍は沖縄を盾にした。軍も民間も関係なく、沖縄にいるすべての「日本人」は一丸となって戦うのだと軍民一体戦闘協力を掲げた。当然ながらながらも使役にかり出される住民は軍の内部機密にふれる機会が増えていく。すると日本軍は、住民から敵国に機密が漏れることを極端に恐れ始めた。軍民一体を掲げていたにも拘らず、彼らの本心は沖縄県民は「日本人」ではなく「沖縄人」であったのだ。異なる言葉や習慣を持つ沖縄県民に対する日本軍の警戒は、戦局が悪化するにつれて徐々にエスカレートしていき、ついには「沖縄県民総スパイ説」が唱えられ、軍による住民虐殺が始まるきっかけとなった。

    そうなるともはや、沖縄の住民にとっては米兵も日本兵も敵でしかなかった。日本軍から本土の言葉ではないうちーなぐち(沖縄語)で話すことを禁じられ、少しでも疑わしいと思われた住民が同胞であるはずの日本兵に惨殺された話が今も多数語り継がれている。知りすぎた者は生き残ることを許されない。たとえ捕虜になっても、仮収容所に忍び込んだ日本兵に惨殺されることさえあった。さらには集団自決という名の自死を強要されることもあった。

    そんな残酷な戦争が終息を迎え、戦後まもなく米軍は食糧確保のための農業を行わせるために、村全体が米軍キャンプ地となり住む場所を失った真和志村民を米須原に集めた。沖縄の南部に位置する米須原は、米軍や日本軍に追いつめられた住民達が砲弾にさらされ、多数の命が失われていき、地上戦が終わった後は地獄絵図のような無数の遺体で埋め尽くされていた場所だった。

    そのような土地だ。いざ農作業を行おうとして、どこを掘っても掘ってもでてくるのは遺骨ばかり。当初は反米のきっかけになっては困ると遺骨収集に反対していた米軍も、あまりにものおびただしい遺骨の数に農作業の妨げになると判断し収集を許可したほどだった。後に旧ひめゆりの塔を建立することになる当時の市長、金城和信氏が中心となって遺骨収集隊が組まれ、その数は100人近くになったという。そして集められた遺骨は1946年に建立された魂魄の塔に次々に納められていった。

    その収集隊に参加し、現在、語り部として年に数回魂魄の塔の前で当時の話をするというある女性は、そのときの経験をあるテレビ番組でこう語っていた。

    「やたらと畑の中で草や野菜が青々と茂っているところがあるんですよ。沢山のミニトマトの実がなっていて、どうしてこんなに実がなるんだろうと思って根っこの方を持ち上げてみたらそこには親子の遺骨がね・・・。ここにいるよって知らせてたんだろうねぇ。」

    焼き尽くされた大地に不自然に勢いよく実を付けるミニトマト。真っ赤な実がたわわに実るその下には、生きようとしても生きることが許されなかった悲しみを抱えた親子が眠っていたのだった。

    「ここで亡くなった人達は、ここまで逃げて来て、生きようとして一生懸命努力をした人たちなんですよ。生きることをあきらめてなかった人たちだったんですよ。」

    米軍に、そして日本軍に追いつめられながらも南へ南へと「生きたい」と願いながら逃げ延びてきた人達。遠くは嘉手納からも逃げてきた人がいたという。そして、もう前にも後ろにも進めないことに絶望した人々の無数の命が、荒れ果てた、戦い疲れた米須原の地に散った。そして、その命は不自然に育ちすぎた草木や野菜達となり、その下から「ここにいるよ、お願い、見つけて」そんな声なき声をあげた。その声の主は、犠牲となった沖縄県民はもとより、洋の東西や立場を問わず、それこそ彼らの敵であり、大切な人々を死へと追いやった米兵や、沖縄県民を信じようとしなかった日本兵でもあったはずだ。それにも拘らず収集隊は、どの遺骨も分け隔てなく丁寧に拾い集めていった。そうして集められた3万5千柱余りの遺骨のほとんどは、今は平和祈念公園に移葬され、魂魄の塔には象徴骨として残されたほんの数柱のみが納められているに過ぎないという。

    それでも、人々は慰霊の日には魂魄の塔に供え物をし、手を合わせ、時に涙を流す。たとえそこに骨はなくても、たとえそこががらんどうの塔であっても、ここには分け隔てなく集められた3万5千柱余りの魂が眠っていると信じているからだろう。

    魂魄の魂は勿論「魂」を、魄は「さまよえる浮遊霊」という意味を持つという。追いつめられて逃げ場を失ってもなお、生きたいと願って散った沢山のさまよう魂。その魂の最後の声を一つ一つ拾い集めた人々の思い。沖縄の人々の手で、丁寧に一つ一つ集められた魂と、その魂を拾い続けた人々の思いは今もなお、この塔の中にある。だからこそ、魂魄の塔は沖縄の塔なのだ。今までも、そしてこれからもずっと魂魄の塔は沖縄の塔であり続け、人々は手を合わせ、祈り続けるのだろう。二度と、あのような不自然に育つ植物が生い茂る大地にしないように。そしてあの無数の悲劇を生んだ「戦争」が繰り返されることがないように、と。

  • #283

    佐伯 悠河 (土曜日, 16 8月 2014 00:10)

    『願わくば、花の下にて』

    「戦時中は食べる物がなくてね・・・・・・」
    「コンビニに行けばよかったのに」
    戦争語り部と中学生の、あまりにも隔たった世代の認識がニュースになった頃、東京のある場所では二人の元軍人が語り合っていた。

    「情けない、情けなさすぎて涙が出るというものだ!なにがコンビニだ!どこへ行っても米一粒、水一滴すらないという状況が想像もできんのか」
    憤りのあまり拳を震わせてそう叫んだのは、かつては鬼軍曹で鳴らした斎藤氏だ。激しい感情の高ぶりのせいだろう、その目がわずかに潤んでいる。
    憤懣やるかたない様子の斎藤氏に、おだやかに声をかけたのは山本氏だ。こちらは知性派で知られた元上等兵である。
    「軍曹どの、そのお怒りはよくわかります。確かに、いかに時代が変わったとはいえ、こうまであの時代が忘れ去られてしまっては、我々も立つ瀬がありません」
    山本氏は少し悲しげにそう言う。
    「山本、お前もそう思うだろう!あの地獄のような戦場で戦い続けたわしらの苦労が、まるで馬鹿にされたように感じるではないか。だいたい・・・・・・」
    怒りのまま更に言い募ろうとした斎藤氏を、やんわりとだが山本氏が遮った。
    「しかしですよ、軍曹どの。考えようによっては、これこそ平和というものなのかもしれません」
    「なに?」
    思いもよらない言葉だったのだろう、斎藤氏が怒りも忘れて聞き返す。
    「あの子供にとっては、戦争などテレビの中か、遠い国の出来事にすぎないのでしょう。我々のように、赤紙一枚で召集されることも、銃を手に殺し合うことも、逃げ場のない死の恐怖を感じることもない。戦争など知らない、実感もない、想像もしたことがない。それは本当に平和な国に生まれた人間にのみ許された贅沢なのではないでしょうか。そして、そんな平和な国を子孫に与えたくて、我々は戦ったのではないでしょうか」
    山本氏の口調はあくまでおだやかだ。それを聞く斎藤氏も、次第に深く考え込んでいた。
    ややあって、斎藤氏が口を開く。
    「そうだな、山本。お前の言うとおりだ。この日本は、いまや平和そのものなのだろう。それは素晴らしいことだ・・・・・・だが、やはりわしは今の状況を良しとすることはできんのだよ」
    その言葉にもう怒りの色はない。ただ、やるせなさが漂っていた。
    「なるほど、今の日本は平和だ。戦争で死ぬこともなく、飢えることもない。わしらが戦っていた頃を思えば、まさに天国、極楽浄土と言ってもいいだろう。だが、あの子供をはじめとして、人々はそれを当たり前と思ってはいないだろうか」
    今度は山本氏が聞き返す番だった。
    「と、言いますと?」
    斎藤氏は腕組みをして、言葉を探すようにしながら先を続ける。
    「わしは思うのだよ。この平和な日々に生きておると、それが当たり前のように思ってしまう。だがわしは声を大にして言いたい。このような平和な世の中は、実に希有な、貴重なものだということを。わしらが子や孫の未来を思って、血反吐を吐きながら戦い続け、この平和な日々を遺したように、あの子供らも、自分たちより後の世代に平和な世の中を受け継いでいかねばならないということに、気付いて欲しいのだ」
    山本氏が大きく頷いた。
    「そのとおりですな、軍曹どの。ただ漫然と日々を過ごしていれば済むほど、それは簡単なことではない。平和な日々の貴重さ、それを遺した父祖の想い、それらを深く認識して、次の世代に遺そうと決意する。そんな者達が、一人でも多く出てきてくれるとよいのですが・・・・・・」
    「わしらのことも、もはやすっかり忘れ去られているからな・・・・・・」
    言葉が途切れ、風にそよぐ桜の葉擦れの音がその間を埋めた。
    どこか悄然とした空気を振り払うように、山本氏が再び口を開いた。
    「軍曹どの、今年も我々を忘れていない人々から供えられた酒が届いております。他の皆もそろそろ集まってくる頃。気概に満ちた若人の出現を祈って、一献やりましょう」
    「・・・・・・そうだな、今のわしらには祈ることしかできん。であれば、精々心を込めて天地神明に祈るとするか」

    その言葉を最後に、声は途絶えた。
    あとは、靖国の境内を埋める桜の木々が、緑の葉を揺らす音だけが響いた。
    こればかりは時代を経ても変わらない蝉の鳴き声が、真夏の日射しに灼ける参道に響きわたる中、日本は69回目のその日を迎える。

  • #282

    山口倫可 (木曜日, 14 8月 2014 00:20)

    「父の想い出」

    父は、ずっと悩んでいたんだと思う
    戦友会に行くか行かないか…

    私は、父が戦争に行ったことも
    戦地に行く船の中で過酷な状況にあったことも
    戦地では飢える寸前で戦っていたということも
    全く知らずに、平和に…本当にいい時代に育った

    高度成長期の真っ只中
    いわゆる現代っ子と言われた世代
    それが、父の世代の上に成り立っているなんてことは
    思ったこともなかった

    バブルが弾けて間も無いころ
    走り続けた父が、65歳で突然倒れた
    それまで家族を背負って、ただひたすら突っ走ってきた父
    何も泣き言を言わず、黙って仕事をしていた

    父が大きな手術を受けて退院したころ
    戦地で上官だった方から、一本の電話がかかってきた
    「山口君、みんなと会わないか?」
    父は、初めて重い腰をあげた

    戦友会に行くようになってから、父はポツリポツリと
    戦争で経験したことを話してくれるようになった

    赤紙が来て、家族に別れを告げてでてきたものの
    向かう戦地が決まらず、京都のお寺で数ヶ月お世話になったこと

    やっと決まった戦地はラバウルで
    向かう船の上では、棚のような寝床で雑魚寝させられたこと
    船は、絶えず攻撃を受け、着いたころには十分の一になっていたこと

    ラバウルでは食料が不足し、ありとあらゆるものを口にしたこと
    足首にある5センチくらいの火傷の後は
    本当は機銃操作で受けた傷で、中にはまだ弾の破片があるということ

    引退後涙もろくなった父は
    『さらばラバウルよ』という曲を聴きながら
    「いつか、ラバウルに行って一緒だった戦友達の遺骨を拾いに行きたい」
    とよく言っていた


    桜の花が大好きだった父
    桜の花の儚さに気づく年齢になって
    はじめて父の思いや、父の語ろうとしていたことが
    ほんの少しわかってきた気がする

    もっと、いろいろ話しておけばよかった。
    「そのとき、どんな思いだったの?」と遺影に向かって訊ねてみても
    こたえはもう、かえってこない

    (759文字)

  • #281

    てんし (月曜日, 11 8月 2014 11:43)

    「片足の先生」
    昭和30年4月。戦争が終わって10年が経とうとしていた。焼け野原になった街も、活気を取り戻し、誰もが何とかして生きていこうと頑張っていた頃だ。
    僕は10歳だった。兄と姉が二人ずついた。お母さんは一家6人を隣の豆腐屋では働くことで生活を支えていた。お父さんは生まれてきた僕を見ることなく戦争で死んでしまった。、お父さんが生きていれば、とお母さんがこぼすことがあっても、僕には実感がない。僕にとって戦争は話として聴くだけだ。ただ今よりはましな生活なんだろうなと思ことはあった。その年、学校に新しい先生が赴任してきた。N先生と言った。そして僕らの担任になった。先生が初めて教室に入ってきた時、皆の目が先生の足に釘付けになった。右足の膝から下がなかったからだ。先生は松葉杖をついていた。戦争で敵の銃弾に撃たれ、右足の先を失ったのだと先生は話してくれた。その話しぶりは静かで、とても優しく、兵隊として戦っていたなんて信じられないくらいだった。学校はお父さんや、お兄さん、家族が戦争で死んでしまった子だらけだった。先生は、一人一人に大変だったな、と声をかけ、僕のお父さんが戦争の終わる一月前に戦死してしまったことを聴くと、顔をゆがめ、それでも優しい声で、「そうか。お父さんの分まで頑張っていきるんだぞ」と励ましてくれた。
    先生は、いつも優しかった。授業中、乱暴者のフミ君が隣のミッチャンの鉛筆を取り上げて泣かしたときも、「ダメじゃないか」と諭すようにフミ君を叱った。僕たちは今まで殴られたり怒鳴られたりすることはあっても、そんな風に優しく言われることがなかったので、なんだか気味が悪かった。兵隊サンなのに、弱虫だなあ、と悪態をつく男の子も出始めた。僕も、だんだんと、N先生をからかってみたくなった。
    皆が先生の言うことを聞かなくなっても、先生は怒らなかった。先生の足が悪いことをいいことに、僕らは先生を後ろから叩いて、逃げる遊びを思いついた。叩かれた先生は僕たちを追いかけようとして、松葉杖をつきながらひょこひょこ追いかけた。それでも、楽しそうに笑っているのだった。僕たちは、そんな先生を遠くはなれたところから見て、げらげら笑った。大人が、しかも兵隊だった人が、僕たち子供にやられるのを見るのは、とても愉快だった。
    先生は、足のことについて尋ねても、「忘れたんだ」と微笑みながら答えるだけで、なんだか物足りなかった。僕は、何人くらい敵をやっつけたのか、とか、鉄砲を撃つときはどんな気持ちだったのか、とか、わくわくする話を色々聞きたかったのに。

    そんなある日の午後、学校の近くで、大きな山火事が起きた。家や仕事を失い、山に入り込んだ浮浪者が火の不始末で起こしたものだった。あいにくその日は強風が吹いて,瞬く間に火は燃え広がり、木々の焦げる異様な臭いと共に町中にサイレンが鳴り響いた。
    僕たちは漢字の書き取りをしていたが、それどころじゃない。一斉に野次馬になって窓に駆け寄った。
    「どこだ、どこだ、!」「スゲえ・・・」口々に囃し立てながら黒煙と炎とパチパチと木々の燃える音、人ガ騒ぐ様子を食い入るように見ていた。その時だ。
    「空襲だ! 早く逃げろ!」割れんばかりの怒鳴り声が背後から襲ってきた。
    振り向くと、N先生が今まで見たこともない顔で立ち尽くしていた。何かを見ているようで何も見ていない、逃げろ、逃げろ、とそれから先生はうわ言のように何度も繰り返した。その顔はひきつっていた。僕たちは言葉を忘れ、先生を見つめていた。どのくらい時間が経ったのだろう。
    「先生…」やがてフミ君が恐る恐る声を掛けた。先生は、ようやく周りに気がついた様子だった。「皆、無事か。良かったな…」力なく言うと、突然両手で顔を覆いドスンと尻もちを着いた。肩が小刻みに震えていた。松葉杖がカランと音を立てて転がり、僕の目の前に、膝から下のない右足が力なく投げ出された。それは何だかひどく頼りなく、なぜか哀しかった。
    「先生…」長い静けさの後、僕も先生を呼んだ。教えてください、どうしても聴きたいと思った。「先生、戦争って、一体、どういうものだったのですか?」。

  • #280

    おかだなつこ (日曜日, 10 8月 2014 02:44)

    「沖縄の塔」

    沖縄には、「沖縄の塔がない」とある人が教えてくれた。そう、46都道府県のほか、全部で300以上もあるといわれている沖縄の慰霊塔の中にどれ一つとして「沖縄の塔」と刻まれた碑はないという。

    平和祈念公園に行けば、競い合うように各都道府県や団体の立派な、ともすれば威圧的な慰霊塔が建ち並んでいるというのに、沖縄戦で最大の被害者を出したはずの沖縄の文字が刻まれた碑はないのだ。

    その人はこう続けた。沖縄にとって、沖縄全体が慰霊塔であり、慰霊碑であり、そして「沖縄の塔」という文字を刻んではいないが「魂魄の塔」こそが、沖縄の人々にとって「沖縄の塔」なのだと。

    そう教えてくれた人と共に、6月23日の慰霊の日に魂魄の塔を訪れた私は、入れ代わり立ち代わり供え物を置き手を合わせる沢山の人々の姿を見つめていた。そして、突然現れた喜納昌吉氏が三線の弾き語りで歌う「花」を聴きながら、突然あふれ出たほほを伝う涙をぬぐうことなく、塔を見つめていた。

    「沖縄の塔」と呼ばれる魂魄の塔は平和祈念公園にほど近い場所にある。円柱型に大小の粗末な石を無作為に積み上げてコンクリートで固められた2段の石垣のてっぺんにはサンゴに「魂魄」と刻まれた質素な碑が掲げられている。高さもそれほどない、一見すると忘れ去られた遺跡のようなその塔こそが、県民はもとより敵国であった米軍兵や日本兵の遺骨も含み約3万5千柱の遺骨が納めれられていた沖縄で最初に建立された慰霊塔であり、納骨堂だ。

    沖縄では国内では唯一の地上戦が繰り広げられ、一説によると県民4人に1人が犠牲になったといわれるほどの惨事が繰り広げられた場所だ。沖縄の人々にとって、敵は米軍だけではなかった。日本軍でさえ敵であった。沖縄の住民にとって自分たちを守ってくれる味方と信じていた日本軍。しかし、日本軍にとっては、住民に軍民一帯の戦闘協力を強要していた為、軍内部の事を知りすぎていると警戒していた。当然ながら日本軍は、住民が捕虜となり敵国に機密が漏れることを極端に恐れた。そして徐々に、日本軍側の住民に対する警戒はエスカレートしていき、ついには「沖縄県民総スパイ説」が唱えられ、軍による住民虐殺が始まるきっかけとなる。

    そうなるともはや、沖縄の住民にとっては米兵も日本兵も敵でしかなかった。日本軍から本土の言葉ではないうちーなぐち(沖縄語)で話すことを禁じられ、少しでも疑わしいと思われた住民が同胞であるはずの日本兵に惨殺された話が今も多数語り継がれている。知りすぎた者は生き残ることは許されない。たとえ捕虜になっても、仮収容所に忍び込んだ日本兵に惨殺されることさえあった。

    そんな残酷な第二次世界大戦が終息を迎え、アメリカの占領下の1946年に魂魄の塔が建立された。戦後間もない時、米軍の命令で食糧確保のための農業を行わせるために、村全体が米軍キャンプ地となり住む場所を失った真和志村民は米須原に集められた。米須原は、南へ南へと逃げ延びてきた住民が日本軍や米軍に追いつめられ多数の命が失われていき、地上戦が終わった後は、無数の遺体で埋め尽くされていた場所だった。

    そのような土地だ。いざ農作業を行うために土地のどこを掘っても掘ってもでてくるのは遺骨ばかり。当初は反米のきっかけになっては困ると遺骨収集に反対していた米軍も、あまりにものおびただしい遺骨の数に農作業の妨げになると判断し収集を許可したほどだった。後に旧ひめゆりの塔を建立することになる当時の市長、金城和信氏が中心となって遺骨収集隊が組まれ、その数は100人近くになったという。

    その収集隊に参加し、現在、語り部として年に数回魂魄の塔の前で当時の話をするというある女性は、そのときの経験をあるテレビ番組でこう語っていた。

    「やたらと畑の中で草や野菜が青々と茂っているところがあるんですよ。沢山のミニトマトの実がなっていて、どうしてこんなに実がなるんだろうと思って根っこの方を持ち上げてみたらそこには親子の遺骨がね・・・。ここにいるよって知らせてたんだろうねぇ。」

    焼き尽くされた大地に不自然に勢いよく茂る植物。その下には生きようとしても生きることが許されなかった悲しみを抱えた人々が眠っていたのだった。

    「ここで亡くなった人達は、ここまで逃げて来て、生きようとして一生懸命努力をした人たちなんですよ。生きることをあきらめてなかった人たちだったんですよ。」

    米軍に追いつめられながらも南へ南へと「生きたい」と願いながら逃げ延びてきた人達。遠くは嘉手納からも逃げてきた人がいたという。そして、もう前にも後ろにも進めないことに絶望しながら命を落とした人たち。無数の命が荒れ果てた、戦い疲れたこの大地に遺骨となって放置されていた。

    不自然に育ちすぎた草木や野菜の下から聞こえる「ここにいるよ、お願い、見つけて」そんな声なき声を聞きながら、沖縄県民はもとより、洋の東西を問わず、それこそ彼らの敵であった米軍兵や、残虐の限りを尽くした日本兵でさえも分け隔てなく拾い集めた3万5千柱の遺骨は、今は平和祈念公園に移葬され、魂ぱくの塔にはほんの数柱しか残っていないという。

    それでも、人々は慰霊の日となる6月23日には魂ぱくの塔に供え物をし、手を合わせ、時には涙を流す。たとえそこに骨はなくても、たとえそこががらんどうの塔であっても、ここには集められた3万5千柱の魂が眠っていると信じているからだろう。

    生きたいと願って散った沢山の魂の集まる場所。追いつめられて逃げ場を失ってもなお、生きたいと願って散った沢山の魂の集まる場所。その魂の最後の声を一つ一つ拾い集めた人々の思い。そのすべてが塔の中に詰まっているのだと思うと、塔を目の前にして私はただただ涙が止まらなかったのだった。

    沖縄の人々の手で、丁寧に一つ一つ集められた魂の塔。ここはまさに沖縄の塔だった。今までも、そしてこれからもずっと魂魄の塔は沖縄の塔であり続け、人々は手を合わせ続けるのだろう。二度と、あのような悲劇を繰り返してはならないという思いを重ねて。

  • #279

    あいけん (土曜日, 09 8月 2014 02:33)

    『語りべ』
     
     今朝、突然電話がなった。爺ちゃんが死んだ。死因は老衰だという。
     僕は長崎への帰省予定を1日早め、急遽長崎へと飛んだ。そして爺ちゃんの家に着いたのはその日の午後1時を過ぎた頃だった。
     爺ちゃんの家の玄関を開けると、長い廊下や、熊の木彫り彫刻、そして爺ちゃんのサンダル。懐かしい風景が次々と目に飛び込んでくる。そして、爺ちゃんの妹である靖子おばさんが僕を出迎えてくれた。
    「あら新ちゃん。遠いところからご苦労さま。暑かったでしょう? お爺ちゃん新ちゃんのこと待ってたんよ。さぁ、早く顔を見せてあげて」靖子おばさんの後について、僕は奥座敷に向かった。
    「ほら、お爺ちゃん。よかったね。新太郎が東京から帰ってきてくれたよ」靖子おばさんが話しかけた先には、仏壇の前で眠ったまま動かない爺ちゃんの姿があった。
     懐かしい爺ちゃんの顔。なぜか今まで出なかった涙が急に溢れ出てきた。
    「お爺ちゃんね、明日の平和式典に新太郎と参加するのを凄く楽しみにしてたんよ。どうしてあと1日待てなかったんやろうかね」声を震わせながら靖子おばさんはそう言った。
     そうなのだ、明日は3年ぶりに爺ちゃんと8月11日の平和式典に参加するため帰省する予定だったのだ。
     僕は歯を食いしばりながら爺ちゃんの眠るその顔をじっと見た。涙が頬をつたうたびに、爺ちゃんとの思い出が頭に蘇ってくる。
     爺ちゃんは毎日のようにお風呂で僕に戦争や原爆の話をしてくれた。特攻隊の予科練生であった爺ちゃんの話は、小さい頃の僕には少し怖かったが、そのせいか今もはっきりと覚えている。本当に懐かしい。最後に会ったのは3年前。その時も僕に戦争や原爆の話をしてくれた。
    「爺ちゃんは歳だから、もうこの先いつまで生きられるかわからないけど、今度は新太郎たちが次の世代に戦争と原爆の悲惨さを伝えていってくれよ」最後、爺ちゃんは僕にそう言った。その爺ちゃんがとうとう死んでしまったんだ。
     僕は動かない爺ちゃんの前で力強く手を合わせた。
    「爺ちゃんが僕にしてくれたように、今度は僕が息子や子供たちにに戦争や原爆の話を語り継いでいくからね」

    (了)

  • #278

    関根 雅史 (筆名:石賀 次樹) (月曜日, 04 8月 2014 20:18)


    『片足鳥居』

     結婚の了承を得るため、彼女の故郷である長崎に二人で行った。ご両親ともに、とても穏やかな方たちで、結婚の話は何の問題もなくスムーズに進んだ。その晩は彼女の父上と男同士で一献を傾け、僕は案の定つぶれてしまい、そのまま彼女の家に泊まらせてもらった。

     翌日、ご両親の笑顔に見送られながら、昼前に彼女の実家を二人で出た。歩きながら彼女が、「連れていきたいところがあるの。歩いて十分くらいのところ」と言った。
     僕は最初、チャンポンのおいしい店かなにかを案内してくれるのだろうと思った。しかし、いつもの軽やかな笑顔とは違う、少し大人びた彼女の表情を見て、すぐにそうではないことに気づいた。
     僕は黙って彼女について行く。広い道に出るとそこを左に曲がり、車道沿いの歩道をゆっくり歩いた。五分ほど進むと、彼女は銀行があるところの角の路地に入った。突き当りに石段が見える。彼女はそのまま石段の下まで行き、そして階段を上り始めた。半分くらいまで上ったところで、彼女は立ち止まった。
    「あれ見て。鳥居よ」
     僕は彼女が指さす階段の上の方を見たが、すぐには理解できなかった。
    「右側の足しかないの。片足鳥居」
    「なるほど、そう言われてみれば確かに鳥居だね。でも、どうして片足だけなの?」
    「もとは普通の鳥居だったけど、原爆で左側の足を吹き飛ばされちゃった」
    「えっ?」
     彼女は黙ってまた階段を上り出した。一番上まで行ってそのまま少し進んだところで、「これが左側の足」と言って足元を指し示した。
     道の端に鎖で囲まれて、鳥居の片側の足が横たわっている。僕は何も言葉が出ずに、ただ彼女に導かれるまま歩き続けた。ほどなく、場違いに感じる紫色の建物が見えた。そばに行くと入口に大きく、「山王保育園」と書かれてあった。保育園? こんなところに保育園があるんだ、と僕は少し驚いた。しかし、それが彼女の目的とは関係がないであろうことは、その表情を見てわかった。
     保育園の手前、左側に小さな階段がある。僕たちはそこを上った。神社が見えた。左右に巨大な木が鎮座している。
    「山王神社」と彼女が言った。
    「すごく大きな木があるね」
    「クスノキ。この木も被爆したの。写真で見たんだけど、原爆をあびた当時は黒く焼け焦げてた。それでもがんばって生きて、ここまで元気になったの。戦争の悲惨さと生命力の強さの象徴――。あのね、うちの両親の友達には被爆二世の人がたくさんいるの。それで、私は子供のころから何度も親と一緒にここに来て、戦争の話を聞かされたの」
     僕はやはり何も言葉が出ず、ただ巨大なクスノキをじっと見ていた。
     
     彼女と並んで神社の石段を下りながら、僕は戦争について考えていた。これまでの僕にとって、戦争とはずっと昔のこと、あるいは遠い世界の話でしかなかった。しかし、彼女にとっての戦争とは、もっとずっと身近なものなのだ。おそらく彼女はそのことを僕に伝えたかったのだろう。――家族になるにあたって。
     彼女はきっと長崎とか日本とかに関係なく、人として戦争というものに対して向き合っているに違いない。だから東京生まれの僕にもその気持ちは伝わるはずだと思って、ここに連れて来たのだ。
     僕は戦争に対する自分の意識の低さを痛感し、情けなくなった。しかし、その気付きは一方で、これまでにはなかったような彼女との絆の深まりを感じさせてくれた。

     来た路地を戻りながら彼女は、「お腹すいたでしょう? チャンポンのおいしいお店が近くにあるから行こう」と、いつもの笑顔で言った。
    「――ありがとう」
     僕はいろいろな思いを込めて言った。
     
      (了)

  • #277

    平泉あき (月曜日, 04 8月 2014 17:32)

     私の父は1920年(大正9)の生まれで、戦争中は二十歳前後であった。戦争へ行き、鉄砲をかついで中国大陸を走りまわっていた。戦後の数年間はシベリアに抑留した。
    「出征するときは大勢の人々に見送られたけど、同僚と二人で帰ってきたときは誰もいない。福山の駅でじゃあなっと言って別れた」
    と父は思い出を語ってくれた。

     父の口癖だった「仲良うしぃや!」という言葉を世界に発信したくて文章を書いていると本に書いた私のもとへ「誰とでも仲良くできるもではないでしょ」という抗議の手紙が来たことがある。
     たしかにそうだ。誰とでも仲良くできるはずがない。拳銃で脅してくるような相手とへらへら笑って仲良くすることなどできるわけがない。
     だが、国家間では誰とでも仲良くしなければならない。武力で脅してきた相手とも仲良くしなければいけないのである。仲良くするには、強大な武力を持った相手にこちら側は惨めな姿でひざまずくか、それとも武力で対抗するか。現段階では、国連警察はあてにできない。
     日本はいったいどうすればいいのだろうか? 過去のことをいつまでも引きずって、クヨクヨして生きていくしかないのか、それとも前を向いて、堂々と立ち向かっていくのか、一国のかじ取りを間違えると過ちををまた繰り返すことになるかもしれない。

     父が亡くなる数ヶ月前のこと。私は父とテレビで野球を見た。
     その年、優勝した好調な阪神と5位に終わった広島との対戦だった。広島市民球場は満員、前年まで広島の4番を打っていた金本知憲が阪神で活躍していた。
     広島の4番は不在だった。金本が去った後の4番にはベテランの前田智徳外野手という声が圧倒的で「まだ26歳の新井貴浩内野手には無理だろう」という声が主流だった。それを押し切って、山本監督は新井を主砲に任命した。
     ところが、その新井はこの年、開幕から不振が続き、スタメン落ちしていた。4番の不振で広島は開幕から優勝争いに加われなかった。「チームに散々迷惑かけていますからスタメン落ちは当然です」と新井自身も承知していた。
     2回表に阪神が1点を入れたものの、広島はその裏ですぐに返し、さらに3回裏で2点をあげた。1対3で迎えた6回裏、阪神のピッチャーは伊良部秀輝投手。一死二塁という場面で山本浩二監督は代打として新井を呼んだ。
     伊良部投手には前回も前々回も打ち取られている。今日こそはリベンジする、新井の意気込みは鋭い眼光にあらわれていた。私も父もテレビ画面に映し出される新井の表情にくぎ付けだった。
     1球目は見送ってボール。150キロ近い速球だった。新井は目を見張る。一度バッターボックスから外れて、バットでスパイクを軽く叩く。
     2球目はチェンジアップ。ボールはゆるい放物線を描きながらキャッチャーミットに吸い込まれていく。審判は大げさなポーズでストライクを宣言する。
     3球目はど真ん中の高めにきた。新井が待っていたボールだ。新井は鋭くスイングする。ライナー性の打球は左中間に飛んでいく。新井は走った。必死に走った。ここでアウトになってしまっては申し訳ない。また、チームに迷惑がかかる。新井は猛烈な勢いで1塁を目指す。伊良部投手がグローブをマウンドに投げつける姿など目に入らなかった。2万6000人の歓声が球場内に響いているのも聞こえなかった。
     レフトを守っているのは、かつてのチームメイトである金本。その金本は打球を追いかけていなかった。金本の愛称は「アニキ」。アニキの前で弟分の新井が打った打球はレフトのフェンスを越え、スタンドの中段に突き刺さった。
     もう急いで走る必要がないとわかっても、新井の表情には笑顔がなかった。25試合105打席ぶりの一撃だった。山本監督から贈られた言葉が何度も新井の胸に込み上げてきた。
    「苦しいか? 前を向け。やるしかないんだ」
     4番の苦しみを嫌というほど知っている山本監督から言われた言葉は忘れられなかった。
     過去のことにくよくよしてもしょうがない。前を向いて進むしかないのだ。試合は1対5で広島が勝った。テレビ放送が終わり、父がぽつりと言った。
    「やっぱり、勝負は勝たなきゃいけんのう」
     その言葉が妙に私の胸に突き刺さった。

    (了)

  • #276

    尾作  稔 (月曜日, 04 8月 2014 15:44)

       「愛と生、死をみつめて」
     昭和20年8月1日、東京、八王子を中心とした米軍のB29爆撃機による大空襲である。八王子の中心街から住宅地など激しいドーンという爆発音と爆風そして火柱があちらこちらで上がったら。

     そんな中、家の離れである小さな物置小屋の片隅で極度の恐怖と不安に怯えている親子がいた。佐藤カネ25歳とその息子、佐藤奉義二歳であった。 カネは息子の奉義を必死の思いで抱きしめて守っている。

     空襲が始まって少し経ったであろうかカネの義弟の佐藤正三郎が飛び込むようにカネのところへ息を切らしてきた。「姉さん、ここは危ない、すぐに他へ逃げてくださ~い」と、辛うじて言葉を出している感じの声を震わせながらいう。

     カネは息子の奉義を背負い外へ出るとあちらこちらから火の手が回りどっちへ逃げたらいいのか判断がつかない、正三郎の手招きで「あっち、あっち」と川のある方向へ逃げる。
     すると、カネの回りに火の粉のようなもの、いや火の玉、焼夷弾がカネの前後ろ横と次々と落下してくる。 すぐ近くには川がある正三郎とカネはそこを目指した。 そのときだった、焼夷弾がカネの頭をかすめ背中におんぶしている息子の奉義の背中を直撃したのだ。奉義の背中は火がつき瞬く間に全身に回りはじめた、 カネは「ともよし~、ともよし~」と叫びながら川へ一目散に走る。川にたどり着いたとき泣き叫ぶ我が子を水につけ、全身を冷やすのに無我夢中のカネだった。
    空襲は20分から30分で収まった。
    それからというもの、奉義が母親のカネにかすれた声で「チャーチャン、チャーチャン」と寄りすがる。 このときは医者などない、自分で手当てをするしかない。

     奉義は8月7日小さな命を天に捧げた、その名の通り奉納したのである。この子は何のために生まれてきたのか。 このとき父親の佐藤平吉は徴兵にて沖縄に派兵されていた。
     その後、佐藤カネは80歳、佐藤平吉84歳で旅立った。奉義との喜びの再会をしていることを願わずにはいられない。 
     奉義の妹、尾作 澄子とその夫尾作 稔
     

  • #275

    山内たま(修正版) (木曜日, 31 7月 2014 10:22)

    真夏の夜の約束(修正版)

    23時に小学校の裏門。
    待ち合わせをしてたエリカが現れたのは、15分過ぎてからだった。

    「おっそいよ!」
    「ごめん、ノリ!うちの父親が帰ってくるの遅くて、なかなか寝ないから抜け出せなくて・・・」
    「ちゃんと着替え持ってきた?」
    「もちろん、パンツ一式ね」

    エリカは小学生からの幼なじみで、お互い違う高校に行くようになってからも、たまに地元で遊んでいる。

    ふたりは、少しあいていた裏門から小学校内に潜入した。体育館の脇にあるプレハブを忍者のような小走りで通過し、屋外プールの前までやってきた。
    プールの入り口は、2メートルほど高さのある黒い鉄格子で、もちろん施錠されている。
    お互いの顔を見合わせて、パンツや着替えの入った手荷物と履いていたサンダルを入り口の向こう側へ放り投げた。脇にある金網をガシガシとよじ登ぼりはじめた。
    裸足で降り立ったプールサイドは、ザラっとしてあたたかかった。
    二人ともそのまま、水の中へ音を立てないように飛び込んだ。大声をだして笑いたかったが、警備員にみつかったらタダじゃすまない。

    服をきたまま、プカ~と浮いているノリが「うまくいった」とつぶやいた。
    平泳ぎで近づいてきたエリカが「なんで夜中にプールに入りたくなったの?」と聞いてきたので「なんでだろ?」と答えた。

    「この夏は冒険をします」
    そうラインで誘ったのはノリだった。

    「変なの~。でもスリルがあって、ドキドキするね~」

    そういって、ドブンとエリカが水に潜っていった。

    小学生の時、大嫌いだった水泳の授業。エリカは幼い頃からスイミングスクール通っていたため、水泳の時間となると、まさに水を得た魚のように輝いていた。
    明るくて華やか。運動が苦手だったノリは、そんなエリカをプールサイドで盗むように眺めていた。

    ノリは水面に浮かんだまま夜空をみていた。
    月もなく星も見えず、日中の暑さをためた空気が充満し、雲があるのかさえわからなかった。
    この重苦しくハッキリとしない夜空は、ノリの心の中と一緒なような気がした。

    プールサイドにある、むやみに大きい文字盤の時計は日付が変わっていた。
    今日は海の日だ。

    プハっと浮かび上がってきたエリカに近づいて、

    「ねぇねぇ、10年後の海の日に、またこのプールに忍び込もう!」というと、

    「はっ?十年後!?二十八じゃん!」とエリカが、濡れた髪をかきあげた。

    二人は来年の春に高校を卒業する。ノリは地方の大学へ進学し、エリカは都内の専門学校へ。
    地元を離れたら、これまで通りに会えなくなる。
    ラインで毎日おしゃべりできるけど、十年後もラインってあるのかな?
    十年後のエリカは結婚しているんじゃないかな?
    私たちを繋ぐものが欲しかった。

    エリカは水面にスーッと腕を広げて夜空をみながら、

    「そうだね。十年後の海の日、ここで会おう」と言った。

    そういうエリカの濡れた横顔をみて、そんな日は、きっと来ないだろうなと思った。

    でも毎年海の日に、エリカとプールに忍び込んだことを、思い出して笑うんだろうな。
    この約束があれば、果たされなくても悲しくないと、ノリは重苦しい夜空をみた。

    了(1262W)

  • #274

    翔一 (水曜日, 30 7月 2014 23:55)

    「夏の始まり」
    やっぱ、来るんじゃなかったなぁ。
    かれこれ15分くらい同じ場所に隠れながら、俺はそんなことを考えていた。
    夏休みに入った今日、学校の屋上で近くの花火を見ようと和馬に誘われた俺は夜の学校に潜入した。あとは屋上へとつながる非常階段を登るだけだったのだが、教師に見つかってしまった。二手に分かれるために、俺は近くにいた中条と校舎の裏のほうへと逃げ、倉庫の陰に隠れてしばらく待つことにした。
    「大丈夫か?」
    中条に声をかけてみる。
    「うん。大丈夫。サンダルだから少し足が痛いけど」
    見ると彼女の足はサンダルで靴擦れのようなことを起こしたのだろう。足が少し腫れている。本当に大丈夫なのか聴こうとした時、花火の上がる音がした。倉庫の陰から出てみると、目の前で大輪の花火が花を咲かせていた。俺は中条を呼び、2人で花火を見ていた。
    しばらくの間、俺たちの間で沈黙が続いた。
    「あのさ、真崎君」
    改まった様子で中条が話しかけてきた。花火の明かりのせいか、顔が少し赤く見える。
    「実は話があるんだけど……」

  • #273

    あいけん (水曜日, 30 7月 2014 19:22)

    『花火のあと(修正版)』

     僕の通う鶴川高校では文化祭の最後に毎年恒例の『夜行祭』が行われる。
     夜行祭は花火のプログラムを企画するところから打ち上げまでをすべて生徒だけで行う一大イベントである。そのクライマックスには隅田川花火大会の最初に打ち上げられるような4合玉が校庭の夜空を色鮮やかに彩るのだ。
     僕とユキはこの夜行祭の実行委員だ。学校の屋上に設置された実行委員テントから花火を眺めている。
     校庭にひとつまたひとつと花火があがるたびに、いままでのユキとの出来事がまるで走馬灯のように頭をよぎっていった。
     僕は理系クラスで、ユキは文系クラス。そしてこの夜行祭が終わると受験勉強が本格的に始まる。この夜行祭が終わると、僕とユキの接点はなくなってしまうのだ。
     僕は隣で夜空を見上げるユキの横顔をちらりと見た。花火に照らされてユキの嬉しそうな横顔が見えるたびに胸がきゅっと締まる。
    このまま夜行祭がおわらなきゃいいのにな…。
     しかし、一発、また一発と無情にも花火は夜空を彩っていく。そしてついにクライマックス。ドンという音と共に、4合玉がヒューと夜空へ打ち上がっていくのが見えた。
     ドーン。そしてそれは大きな破裂音と共に黄色く大きな花が夜空一面に広がった。僕とユキはそれをじっとじっと見つめていた。

    「終わっちゃったな」僕は雲の様に流れていく煙を見ながらそうつぶやいた。
    「そうだね」ユキは少しさみしげに答える。
    「俺たちさ…」そう切り出すと、ユキは首をかしげながら僕の方を向いた。
    「これで最後かな?」痒くもない頬を人差し指でぽりぽりと掻きながら僕は言った。
     すると、ユキは小さく頷きながら僕の手を取った。
    「最後じゃないよ」
     僕とユキは手をつなぎながら、もうなにもなくなった夜空をそっと見上げた。

  • #272

    山口 倫可 (水曜日, 30 7月 2014 10:43)

    「螢影」

    祐輝さんと結ばれたら天国、結ばれなかったら地獄。
    実はこういうこと。
    私は、人形作家の祐輝さんの手によって作られた、操人形の白菊。
    叶わぬ想いと知りながら、いつしか私は祐輝さんに恋心を抱くようになっていた。彼の美しい指で繰られ舞うたびに、その心は熱く激しく燃え上がる。この想いを伝えたい・・・。
    深大寺の鬼灯祭の日、参道に並ぶ露天商の横でギロックの「悲しいワルツ」に合わせて踊っていると、一瞬激しい風が私の身体をなぶるように通りすぎていった。
    その夜、箱の中で眠りにつけずにいると、ドクロの胸飾りに象皮の袴をはいた恐ろしい形相の人物が現れてこう告げた。
    「明日ひと晩だけ、夜中の零時までお前を人間の姿にしてやろう。彼がお前に気づいたならば、永遠に人間の姿となり彼と添い遂げることができよう。しかしもし、彼が気づかなければ、お前はこの世界から身も心も消え、私のものとなるのだ」

    オレンジ色のほおずきが、境内に所狭しと並んでいる。鬼灯祭最後の日となる今日は、店店の明かりに照らされてほおずきが一段と輝きを増している。あんず飴を持つ親子連れや浴衣姿の恋人同士が、並べられたほおずきの鉢を手にしながらどれにしようかとあれこれ迷っている。
    紺地に流水と淡い薄紅菊が描かれた浴衣を纏った白菊は、深大寺の境内を彷徨い歩いていた。涼やかな風鈴の音が風に乗って聞こえてくる。祐輝さんはどこにいるんだろう・・・ここに来てくれているのだろうか?人混みの中を祈る想いで歩き続けた。「祐輝さんに逢いたい・・・」たとえ願いが叶わなくとも、彼のそばに寄り添えるだけでもいい・・・。
    時はすでに11時をまわっていた。疲れ果てた白菊は、深沙大王堂の前でしゃがみ込んでしまった。どこへ行けば、祐輝さんに逢えるのだろう・・・苦しい想いに耐えきれず、頬に涙が伝う。
    そのとき、空が赤く光り轟が鳴り響いた。同時に大粒の雨が叩きつけるように降りだした。白菊は慌てて近くの大黒天像の屋根の下に入ろうとすると、左の下駄の花尾が切れた。そこへびしょ濡れになった、もうひとつの影が飛び込んできた。祐輝だった。
    「ひどい雨ですねぇ」祐輝に話しかけられ、白菊の心臓は激しく高鳴る。
    胸が苦しすぎて何も話すことができない。
    「あ、下駄の花尾が。ちょっと貸してください。ぼく、直してあげますよ」
    祐輝は腰のポケットから、いつも使っているバンダナを取り出し、器用に下駄の花尾をすげ替えた。そして、白菊の足元に差し出し顔を見上げると、
    「あれ?どこかでお会いしたことがあったような・・・」
    再び、激しい落雷音が辺りに鳴り響いた。
    「きゃ!」白菊は祐輝の胸に飛びこみ小さく震えた。温かい祐輝の体温が伝わってくる。このまま、彼の胸の中で息が絶えるまでいられたらどんなに幸せだろう。
    激しく降り続く雨は止む様子もない。二人は抱き合ったまま身を小さくして屋根の下でじっとしていた。
    「大丈夫ですよ。ここには雷は落ちないから。この場所は、深沙大王堂の神様に守られているんですよ」祐輝は白菊を落ち着かせるように優しく言った。
    このまま時が過ぎればいい。祐輝の甘い香りを嗅ぎながら白菊は目をつぶった。
    けれども、時計の針は無情に時を刻んでいく。白菊が言葉を発しようとしたそのとき、通りの方から車のライトがこちらを照らした。
    真っ赤なバンのウィンドウが開き、ポニーテールの女性がこちらに向かって叫んだ。
    「祐輝、大丈夫?連絡つかないから、ここじゃないかと思って迎えに来たよ!」
    「あー里奈、助かったよ!」祐輝は白菊から身体を離し、大きく手を振った。
    「もうひとり、乗っけてもらいたい人がいるんだ。君、家まで送るから・・・」祐輝が振り返ると、そこにはもう白菊の姿はなかった。

    「なにいってんの?祐輝、あんた最初から一人だったよ。鬼灯祭の最後の夜になにかに取り憑かれた?」運転をしながらカラカラと笑う里奈に、祐輝は確かにそこに彼女がいたと言い張った。誰かによく似た・・・祐輝はハッとした。そうだ、自分が作った人形の白菊に似ていたのだ。

    翌日の夜、祐輝は深沙大王堂の前に行ってみた。確かに彼女はここにいた。そしてぼくの胸に抱かれていたんだ。未だ記憶の中にあるその温もりを感じながら、祐輝は佇んでいた。すると、深沙大王堂の奥にある池から、儚げな青白い光りを放ち、なにかがふわっ、ふわっと飛んできた。
    「ホタルだ・・・」
    ホタルは、もの言いたげに祐輝の周りを数回舞うように飛ぶと、遠くに聞こえる風鈴の音がする方へと風に乗り去っていった。

    (了)

    (1850文字)

  • #271

    尾作  稔 (火曜日, 29 7月 2014 14:06)

       「真夏の蛍の恋」

     狭山丘陵の南側に六道山という山がある。その山は高い山ではないが多摩湖まで延々と鬱蒼とした雑木林が続く。尾作 稔は林の夜道をとぼとぼと何かを求めて、歩いている。出てきてほしい、声が聞きたい、もう一度あの声を。 

     高校三年の尾作は授業が終わった後、体育館でバレーボールの部活動をしていた。ライバル高との試合が近い、級友で同じ部活の久米 則夫が「もっと気迫だせ」と激をとばす。練習は暗くなるまで続いた。
     部活担任の先生が「今日はこの辺で終わりにしよう」との掛け声でみな帰り支度を始めた。
     尾作は着替えを終わり校庭にでた。午後8時を回ったであろうか、すっかり暗くなっている。 尾作はなんともいえない、やりようのない寂しさを覚えた、半年ほど前であった、、、。 
     いつも、尾作が部活の練習中「がんばって~」と、手を振る彼女がいた、彼女は一級下の後輩の須藤友香だった。部活が終わると校舎正門前で一人で待っていた、学校の裏山から六道山の中腹まで歩きながら話しをした。彼女は、「夜空を舞い光を放つ蛍になりたいな、宙を舞って周りを照らしたい」などと、尾作には妙に現実離れした不可思議とも思える言葉に聞こえてならなかった。 そういう真顔で話す彼女がなんとも愛らしい存在でしかなかった。

     尾作は一人六道山を歩く、すると、自分のすぐ横に小さな光の小豆大の青く光るものが尾作の横にピッタリと付いてくる。「これはいったい」と思いつつ、その光は大きさを増し宙を舞い尾作の歩く方向を照らし始めた。
     尾作は口に出すまいとこらえていたが「あっ、須藤友香か?」と叫んだ。尾作は嬉しさや懐かしさの感情が入り混じり涙が吹き出してきた、涙で目を覆い先が見えずその場でうずくまるとどことなく声が聞こえてくる。 「おざくさ~ん、がんばって~」
    「その声は友香」
     須藤友香は中学入学して間もなく白血病を患い憧れのバレーボール部にも入れずなんとか高校進学したものの、入院、通院を繰り返しながらもなんとか通学し放課後尾作のバレーボールをみにきていた。
     須藤友香は半年前ついに昇天したのである。尾作はその直前まで白血病を患っていることはしらなかった。

     了

  • #270

    尾作  稔 (火曜日, 29 7月 2014 13:56)

       「真夏の蛍の恋」

     狭山丘陵の南側に六道山という山がある。その山は高い山ではないが多摩湖まで延々と鬱蒼とした雑木林が続く。尾作 稔は林の夜道をとぼとぼと何かを求めて、歩いている。出てきてほしい、声が聞きたい、もう一度あの声を。 

     高校三年の尾作は授業が終わった後、体育館でバレーボールの部活動をしていた。ライバル高との試合が近い、級友で同じ部活の久米 則夫が「もっと気迫だせ」と激をとばす。練習は暗くなるまで続いた。
     部活担任の先生が「今日はこの辺で終わりにしよう」との掛け声でみな帰り支度を始めた。
     尾作は着替えを終わり校庭にでた。午後8時を回ったであろうか、すっかり暗くなっている。 尾作はなんともいえない、やりようのない寂しさを覚えた、半年ほど前であった、、、。 
     いつも、尾作が部活の練習中「がんばって~」と、手を振る彼女がいた、彼女は一級下の後輩の須藤友香だった。部活が終わると校舎正門前で一人で待っていた、学校の裏山から六道山の中腹まで歩きながら話しをした。彼女は、「夜空を舞い光を放つ蛍になりたいな、宙を舞って周りを照らしたい」などと、尾作には妙に現実離れした不可思議とも思える言葉に聞こえてならなかった。 そういう真顔で話す彼女がなんとも愛らしい存在でしかなかった。

     尾作は一人六道山を歩く、すると、自分のすぐ横に小さな光の小豆大の青く光るものが尾作の横にピッタリと付いてくる。「これはいったい」と思いつつ、その光は大きさを増し宙を舞い尾作の歩く方向を照らし始めた。
     尾作は口に出すまいとこらえていたが「あっ、須藤友香か?」と叫んだ。尾作は嬉しさや懐かしさの感情が入り混じ   「真夏の蛍の恋」

     狭山丘陵の南側に六道山という山がある。その山は高い山ではないが多摩湖まで延々と鬱蒼とした雑木林が続く。尾作 稔は林の夜道をとぼとぼと何かを求めて、歩いている。出てきてほしい、声が聞きたい、もう一度あの声を。 

     高校三年の尾作は授業が終わった後、体育館でバレーボールの部活動をしていた。ライバル高との試合が近い、級友で同じ部活の久米 則夫が「もっと気迫だせ」と激をとばす。練習は暗くなるまで続いた。
     部活担任の先生が「今日はこの辺で終わりにしよう」との掛け声でみな帰り支度を始めた。
     尾作は着替えを終わり校庭にでた。午後8時を回ったであろうか、すっかり暗くなっている。 尾作はなんともいえない、やりようのない寂しさを覚えた、半年ほど前であった、、、。 
     いつも、尾作が部活の練習中「がんばって~」と、手を振る彼女がいた、彼女は一級下の後輩の須藤友香だった。部活が終わると校舎正門前で一人で待っていた、学校の裏山から六道山の中腹まで歩きながら話しをした。彼女は、「夜空を舞い光を放つ蛍になりたいな、宙を舞って周りを照らしたい」などと、尾作には妙に現実離れした不可思議とも思える言葉に聞こえてならなかった。 そういう真顔で話す彼女がなんとも愛らしい存在でしかなかった。

     尾作は一人六道山を歩く、すると、自分のすぐ横に小さな光の小豆大の青く光るものが尾作の横にピッタリと付いてくる。「これはいったい」と思いつつ、その光は大きさを増し宙を舞い尾作の歩く方向を照らし始めた。
     尾作は口に出すまいとこらえていたが「あっ、須藤友香か?」と叫んだ。尾作は嬉しさや懐かしさの感情が入り混じり涙が吹き出してきた、涙で目を覆い先が見えずその場でうずくまるとどことなく声が聞こえてくる。 「おざくさ~ん、がんばって~」
    「その声は友香」
     須藤友香は中学入学して間もなく白血病を患い憧れのバレーボール部にも入れずなんとか高校進学したものの、入院、通院を繰り返しながらもなんとか通学し放課後尾作のバレーボールをみにきていた。
     須藤友香は半年前ついに昇天したのである。尾作はその直前まで白血病を患っていることはしらなかった。

     了 、涙で目を覆い先が見えずその場でうずくまるとどことなく声が聞こえてくる。 「おざくさ~ん、がんばって~」
    「その声は友香」
     須藤友香は中学入学して間もなく白血病を患い憧れのバレーボール部にも入れずなんとか高校進学したものの、入院、通院を繰り返しながらもなんとか通学し放課後尾作のバレーボールをみにきていた。
     須藤友香は半年前ついに昇天したのである。尾作はその直前まで白血病を患っていることはしらなかった。

     了

  • #269

    fujii (月曜日, 28 7月 2014 11:19)

    【真夏の夜の芸人たち】

    西原は、相方の加納と共に、芸人デビューしたいという夢があった。
    中学生の時にコンビを組み、芸人を目指して十年連れ添った親友同士でもある。その加納が交通事故で亡くなったと連絡を受けたのはほんの数時間前だ。
    例年以上の真夏日和で、己の吐き出す息さえも暑さを上昇させるような日だった。
    西原は木棺の前でぽかんと口を開けたまま呆然としていた。
    長年の夢と友人、両方をいっぺんに失ってしまい、どうしていいのか分からなかった。
    しかも明後日は、大切なオーディションが控えているのだ。
    虚無感と絶望感が胸を占めていて、涙すら出て来なかった。
    『こんなとこで何しとんねん、自分』
    聞こえてきた声に顔を上げると、死んだはずの加納が目の前に座っていた。
    加納は心底呆れた表情をしている。
    『アホみたいな面なってんで。んな暇あったら、ネタ完璧に仕上げんかい』
    「アホ言うなや!」
    透けている体を屈折させて、加納はケラケラと笑っていた。
    西原より悲観そうにしていてもおかしくない。死してなお明るく前向きな加納を見ていると西原の中にあった暗い気持ちも薄れて行った。
    それから西原はオーディション用のネタを仕上げる為に徹夜で練習した。
    幸いな事に、加納が消えなかったので、普段通りの練習が出来た。
    だが、それに伴い、障害もいくつかあった。
    加納は西原以外には見えていない。西原が一人二役をする。前のように上手くは行かないという事。
    二つ目は、現状を理解してくれる人がいないと言う事。
    三つ目は、ソロでコンビとしてデビューするのが難しいという事。
    それでも西原はコンビとしてオーディションを受けたかった。
    実質的にはソロでも、芸名だけはどうしてもコンビ名にしたかった。
    そのせいで、オーディションは受けさせても貰えなかった。
    だけど西原は諦めない。何度断られても、加藤にソロで行けと言われても一人二役を貫き通した。
    結果はこうだ。
    西原が目に見えない誰かと話しているという事が噂になって広がり、真夏の怪談体験コーナーで加藤と共にオンエアされることになったのだ。
    視聴者から「加藤の姿が本当に見えた」という電話が殺到し、視聴率が異常に跳ね上がった。二人は真夏限定の幽霊芸人として世に名を轟かせたのである。

    (了)

  • #268

    山口倫可 (月曜日, 28 7月 2014 00:05)

    「螢影」

    祐輝さんと結ばれたら天国、結ばれなかったら地獄。
    実はこういうこと。
    私は祐輝さんによって手作りされた、操り人形の白菊。叶わぬ想いと知りながら、いつしか私は祐輝さんに恋心を抱くようになった。舞うたびにその心は熱く燃え上がる。
    布多天神社市でギロックの悲しいワルツに乗って舞った日の夜、箱の中で眠りにつけずにいると、どくろの胸飾りをつけ象皮の袴をはいた恐ろしい形相の神が現れてこう告げた。
    「鬼灯市の一晩だけ、真夜中の零時までお前を人間の姿にしてやろう。彼がお前に気づいたならば、永遠に人間の姿となり彼と添い遂げることができよう。しかしもし、彼が気づかなければ、お前はこの世界から身も心も消え、私のものとなる」

    オレンジ色の鬼灯が、境内に所狭しと並んでいる。最後の日となる今日は、店店の明かりに照らされて鬼灯が一段と輝きを増している。親子連れや恋人同士が、どれにしようかと並べられた鬼灯の鉢をあれこれと迷っている。
    紺地に川に流れていく菊が描かれた浴衣を纏った白菊は、深大寺の境内を彷徨い歩いていた。涼やかな風鈴の音が風に乗って聞こえてくる。祐輝さんはどこにいるんだろう・・・この祭に来てくれているのだろうか?人混みの中を祈る想いで歩き続けた。「祐輝さんに逢いたい・・・」たとえ願いが叶わなくとも、彼のそばに寄り添えるだけでもいい・・・。
    時はすでに11時をまわっていた。
    いつのまにか市が開かれた広場まで来ていた。そのとき、空が赤く光り轟が鳴り響いた。同時に大粒の雨が叩きつけるように降りだした。白菊は慌てて近くの大黒像の屋根の下に入ろうとすると、左の下駄の花尾が切れた。そこへびしょ濡れになった、もうひとつの影が飛び込んできた。祐輝だった。
    「ひどい雨ですねぇ」祐輝に話しかけられ、白菊の心臓は激しく高鳴った。
    胸が苦しくすぎて何も話すことができない。
    「あ、下駄の花尾が。ちょっと貸してください。ぼく、直してあげますよ」
    祐輝は腰のポケットから、いつも使っているバンダナを取り出し、器用に下駄の花尾をすげ替えた。そして、白菊の足元に差し出し顔を見上げると、
    「あれ?どこかでお会いしたことあったような・・・」
    そのときまた、激しい落雷の音が鳴り響いた。
    「きゃ!」白菊は祐輝の胸に飛びこみ小さく震えた。温かい祐輝の体温が伝わってくる。このまま、彼の胸の中で息が絶えるまでいられたらどんなに幸せだろう。
    激しく降り続く雨は止む様子もない。二人は抱き合ったまま身を小さくして大黒蔵の前でじっとしていた。
    「大丈夫ですよ。ここには雷は落ちないから。ここはあの、深沙大王堂の神様に守られているんですよ」祐輝は白菊を落ち着かせるように優しく言った。
    このまま時が過ぎればいい。祐輝の甘い香りを嗅ぎながら白菊は目をつぶった。
    時計の針は無情に時を刻んでいく。白菊が言葉を発しようとしたそのとき、通りの方から車のライトがこちらを照らした。赤いバンの開いたウィンドウから「祐輝、大丈夫?連絡つかないから、ここじゃないかと思って迎えに来たよ!」とポニーテールの女性がこちらに向かって叫んだ。
    「あー里奈、助かったよ!」祐輝は白菊から身体を離し、大きく手を振った。
    「もうひとり、乗っけてもらいたい人が居るんだ。君、家まで送るから・・・」祐輝が振り返ると、そこにはもう白菊の姿はなかった。

    「なにいってんの?祐輝、あんた最初から一人だったよ。鬼灯市の夜になにかに取り憑かれた?」運転をしながらカラカラと笑う里奈に、祐輝は確かにそこに彼女が居たと言い張った。誰かによく似た・・・そのとき祐輝は気づいた。そうだ。自分がつくった白菊に似ていたのだ。

    翌日の夜、祐輝は深沙大王堂の前に行ってみた。確かに彼女はここにいた。そしてぼくの胸に抱かれていたんだ。未だ記憶の中にあるその温もりを感じながら、祐輝は佇んでいた。すると、深沙大王堂の後にある池から、儚げな青白い光りを放ちふわっ、ふわっとホタルが飛んできた。

    ホタルは、もの言いたげに祐輝の周りを数度舞うように飛ぶと、遠くに去っていった。

    (了)

  • #267

    関根 雅史 (筆名:石賀 次樹) (日曜日, 27 7月 2014 09:18)


    『夏の夜の想い出』

     僕がまだ高校生だったころの話だ。

     夜中に息苦しくて目覚めた。目を開けてもぼやけて視界がはっきりしない。目覚まし時計を見ようと首だけ右側に傾けると、蚊取り線香の赤い火が見えた。しかし、それは蒲団の近くにある「乗せ皿」の上ではなく、少し離れた畳の上に直接おかれて赤く光っていた。

     ようやく目が慣れてきて異常に気がついた。部屋の中が煙に覆われている。蚊取り線香の煙とは明らかに違って、就寝灯の中でもはっきりと黒く見える煙だった。体を起こして部屋全体を見回すと、足元にかかっているタオルケットにも虫食い状態で火がくすぶっている。僕は慌ててタオルケットを蹴飛ばして、飛び起きた。

     パニックに陥りながらも、僕はすぐにそのタオルケットを丸めて風呂場まで持っていき、浴槽の残り湯の中に押し込む。かすかに「ジュッ」という音が聞こえた。それから手桶に水を入れてまた寝室に戻り、畳の上でもしっかり仕事をしている蚊取り線香に水を浴びせかけた。

     それで少し落ちついて、部屋の電気をつけてみた。想像以上の煙が充満しているのがわかり、僕はすぐに窓を全開にした。改めて部屋の中を見ると、火は消えていたが他にも何箇所か畳が焦げているところがあった。常日頃から父親に、「蚊取り線香の火には十分注意しろ」と言われていたのを思い出した。

     時計を見ると三時過ぎだった。家族はまだ皆寝ていて、このボヤ騒ぎには誰も気がついてない。僕はこの件を家族に正直に話すか、それとも証拠を隠滅して黙っているか迷った。父親にこっぴどく説教されている情景が頭に浮かぶ。想像しただけで嫌だった。正直なところ、黙ってとぼけようと思えばなんとかやり通す自信はあった。しかし、この件に関してはきちんと説教を受けるべきだと、なぜかそのときの僕はそう思った。

     夜が明けて、家族の皆が朝食の席に着いたときに、僕は自分が起こしたボヤのことを話した。父親のカミナリを覚悟していたのだが、意外にも「以後、気をつけるように」の一言ですんだ。僕はかえってそれで、「本当にこれから気をつけよう」と心の中で強く思った。

     父親が他界してから、もうすぐ二十五回目のお盆を迎える。

  • #266

    山内たま (日曜日, 27 7月 2014 02:00)

    「真夏の夜の約束」

    午後十一時、小学校の裏門で待ち合わせをしてたエリカが現れたのは、十五分過ぎてからだった。
    「おっそいよ!」
    「ごめん、ノリ!うちの父親が帰ってくるの遅くて、なかなか寝ないから、出てこれなくて・・・」
    「ちゃんと着替え持ってきた?」
    「もちろん、パンツ一式ね」
    ノリとエリカは、少しあいていた裏門から小学校内に潜入した。
    体育館の脇にあるプレハブを忍者のような小走りで通過し、屋外プールの前までやってきた。
    二メートルほど高さがある鉄格子のプールの入り口は、もちろん施錠されている。二人は顔を見合わせて、パンツや着替えの入った手荷物と履いていたサンダルを入り口の向こう側へ放り投げた。
    脇にある三メートルの金網をガシガシとよじ登ぼりはじめた。
    無事にプールサイドにたどり着いた途端、二人ともそのまま、水の中へ飛び込んだ。
    大声をだして笑いたかったが、警備員にみつかったらタダじゃすまない。
    服をきたまま、プカ~と浮いていたノリが「うまくいった」とつぶやいた。
    平泳ぎで近づいてきたエリカが「なんで夜中にプールに入りたくなったの?」と聞いてきたので「なんでだろ?」と答えた。
    小学生の時、大嫌いだった水泳の授業。なんでこんなリスクを犯しながら、プールに入っているんだろう。
    「質問を質問で返さないでよ。変なの。でもドキドキするね~」
    そういって、ドブンとエリカが水に潜っていった。
    ノリは水面に浮かんだまま夜空をみていた。月もなく星も見えず、日中の暑さをためた空気が充満し、雲があるのかさえわからなかった。
    プールサイドにある、むやみに大きい文字盤の時計は日付が変わっていた。今日は海の日だ。
    プハっと浮かび上がってきたエリカに近づいて、
    「ねぇねぇ、十年後の海の日に、またこのプールに忍び込もう!」というと、
    「はっ?十年後!?二十八じゃん!」と髪の毛をかきあげて答えた。
    二人は来年の春に高校を卒業する。ノリは地方の大学へ進学し、エリカは都内の専門学校へ。
    ラインで毎日おしゃべりできるけど、十年後もラインってあるのかな?
    わたしたち、十年後も友達でいられるかな。
    「そうだね。十年後の海の日、ここで会おう」そういうエリカの濡れた横顔をみて、そんな日は来ないだろうなと思った。でも、悲しくはなかった。
    きっと、こうやってエリカとプールに忍び込んだことを、毎年、海の日に思い出して、笑うんだろうな。
    了(973W)

  • #265

    ザクロ (土曜日, 26 7月 2014 21:16)

    「鬼灯」
    なぜ、自分ばかりが辛い目に
    合わねばならないのかと、
    お徳は恨めしい気持ちを宥め
    るように小さく溜息をついた。

    お盆には、必須のもので。
    自分は嫁いだばかりの新参者。
    あの家にとって使い勝手の良
    い労働力。
    彼らにとっては牛馬の方が、
    上だろう。
    それでも。

    「ウチの体で自分だけ楽し
     んだあげくに…」

    縁合って添った夫は、知らん
    顔して、姑の嫌がらせ地味た
    命令を止めてくれなかった。

    ただでさえ蒸し暑い空気は
    そよ、とも動かず。
    人気の無い暗闇に怖れる余
    り早足になる体は、不快な
    程汗ばんでいる。
    頼りになるのが胸に抱えた
    ホオズキが放つ弱く淡い赤光
    だけというのも癪に障る。

    お盆の精霊飾りで使うから
    買ってこい、と。
    そう姑は言ったけれど。

    「ウチに、使うくせに」
    今の時期に孕(はら)んだら
    秋に使い物にならない。
    牛馬以下の労働力にそれは
    許されない事なのだろう。

    けれど。
    ああ、けれど。

    自分本位の繋がりしか、し
    ない夫も。
    無理矢理奪った舅(しゅうと)
    も。
    いびり倒す姑(しゅうとめ)も。
    労働力としか見ていない小姑
    も。

    みんなみんな。
    「死んでしまえばよいのに」

    胸に抱えた鬱屈(うっくつ)を
    吐き出す度にホオズキが赤く
    鈍く光を増していく。

    歩いていく先に、ごうごうと
    炎の燃え盛る音が聞こえる。

    「熱や、熱や」

    焼けただれた皮膚(ひふ)を
    晒(さら)した影達が、炎の中
    で踊っていた。

  • #264

    ザクロ (土曜日, 26 7月 2014 21:15)

    「盆踊り」
    たん、たとん
    軽く跳ね踊る太鼓の音が響く。 

    ひいひょうと絡まり合うように
    笛の音が華やかに踊りの輪へと
    誘う。

    たん、たとん。
    櫓(やぐら)の周りで人々が楽し
    そうに楽の音に合わせ踊って
    いる。
    盆踊り、だろうか?

    篝火だけの薄ぼんやりと浮かび
    上がって見える空間に、誘われ
    るがままに足を踏み入れた。

    煌々と照らす満月の静かな灯り
    の中から一転、浮かれた熱気に
    包まれた肌に、ねっとりとした
    空気が絡みつきつるり、と汗が
    滑り落ちた。

    その感触に、ふと我に返った。

    ここは、どこだ?

    見渡す限り、篝火の外には暗闇
    しか見えない。
    満月の明るい光が、あるのに。
    いや、違う。

    なぜ、満月の光がこれ程はっき
    りわかるのか?
    だって。
    だって。ついさっきまで歩いて
    いたのは街灯もビルのネオンも
    煌々と輝く街中だった筈なのに!

    たん、たとん。
    さっきまで軽やかに楽しそうに
    聞こえた太鼓の音が、嘲笑うよ
    うに響いた。

    ざわめきも、衣擦れの音も、
    草履(ぞうり)が踏みしめる土が
    奏でる音も無いまま、お面を
    付けた彼らはただ、舞い踊る。

    静寂の中、ひぃひょうとナク
    楽の音だけが響いていた。

  • #263

    高山雄大(髙荷一良) (金曜日, 25 7月 2014 20:32)

    「祭りの夜は熟女パブ」

    「おい、もう1軒いこう」
    「えっ。まだ飲むってぇのか?」
    「何を言ってんだよ。次は屋形だよ、屋形」
    「えっ、あそこか。おまえも好きだねぇ」
    今日は七夕。
    色とりどりに飾られた短冊を見て歩いたのはほんの数分。あちこちの屋台に立ち寄っては、焼きそば、焼きトウモロコシ、イカげそ、そしてビール。
    「やっぱり浴衣はいいなぁ。どんな女でも美人に見える」
    「そうだな。なにせ仕種にハッとするよ。すそを整えて斜めにしゃがむ姿がいんだよなぁ」
    飾り物などほとんど眼中になく、食べ物飲み物、品定めと男の相場は決まっているようだ。

    そう、屋形と言う店。文字通り屋形船のようにしつらえられた室内に入れば、美人の女の子の接客が受けられる。浴衣が制服なのも祭りの後には格好の店でもある。うなじのほつれ毛が妙になまめかしい。
    想像をたくましくして2人は店の前に立った。

    「あれっ、名前が変わってる」
    「えっ、…ほんとだ。何、熟女パブ!?」
    顔を見合わせる2人。しばし沈黙。
    「おまえ、どうなんだ。30代、40代を熟女というらしいぞ」
    「おれは苦手だなぁ。あんまり気が進まないけど。でももしかしたら色気ムンムンということもあるかもな」
    好奇心旺盛な2人は店内に入ってみようかという雰囲気だ。20代後半、恐れを知らぬ年頃だ。

    階段をよろめきながら上がった2人は、扉をゆっくりと開けた。
    暗い。と思った瞬間、
    「いらっしゃいませ~」
    次々と言葉のシャワーがふってくる。
    と同時にすばやく腕をつかまれた2人はそのまま強制連行のように連れ去られた。

    暗がりになれた2人は、隣に座った女性をまじまじと見つめた。
    40代の感じがしたが、どうにも体型が2人の好みではなかった。
    「おねえさん、ちょっと悪いんだけどチェンジしてくれない?俺たちスレンダーな女性が好みなんだよ」
    「あら、そうなの。ではまたね」
    お尻をゆさゆささせて去っていく。

    ところが、次の人も同じような体型。チェンジ。次も同じ。
    いったいどうなってるんだと酔った勢いで店長を呼び出す。
    「店長さん。オレたちスレンダーな人を呼んでくれと言っているんだけど、ちっとも来ないんだよ」
    「それはお客様、大変失礼いたしました。ですが、女の子がお渡しする名刺をよ~くご覧いただくと嬉しいのでございますが」
    2人とももらった名刺を確認する。すると、
    「スレンダー美女 ユキ」と確かにある。だが、よく目を凝らしてみるとその横に小さく「スレンダー美女を目指すユキ」と書いてあるではないか。
    思わず顔を見合す2人。
    受け取った名刺を次々にみると
    「昔スレンダー美女 エリ」「20代はスレンダー美女 ラン」「スレンダー美女だったらよかったトモ」
    「こんなのありですか」
    「すみませんねぇお客様。こうした冗談が分かるお客様を集めてパブをやっているもので」
    「もういいよ。酔いがさめちまったよ。仕方がない。お酒持ってきて、飲み直しだ」
    「かしこまりました」

    で、出てきたのが、ほしぶどうだらけのチューハイとしなびたキノコの浮いた日本酒。
    「なにこれ?」
    「お客さま。ここは熟女の集まりですよ。ほしブドウだらけじゃないですか。それを見たお客様のあそこはしなびたキノコというわけですよ」




  • #262

    あいけん (火曜日, 22 7月 2014 23:42)

    『花火のあと』

     鶴川高校では文化祭の最後に生徒自身が花火を上げる。そのため別名『夜行祭』と呼ばれている。
     生徒自身で花火のプログラムを企画し、クライマックスには4合玉が校庭に色鮮やかに花開くのだ。
     普通の花火大会の最初に打ち上げられるような4合玉がこの校庭の夜空に上がるのだから、生徒はみんなこの夜行祭を楽しみにしていた。
     僕とユキはこの夜行祭の実行委員だ。学校の屋上に設置された実行委員テントから花火を眺めている。
     今まで何度諦めかけたことだろう。何度言い争ったことだろう。校庭にひとつまたひとつと花火があがるたびに、いままでの出来事がまるで走馬灯のようによぎっていった。
     僕は隣で夜空を見上げるユキの横顔をちらりと見た。花火に照らされてユキの顔が見えるたびに胸がきゅっと締まる。
     そして、ついに最後の4合玉がヒューと上がっていくのが見えた。
     ドーン、という大きな音と共に黄色く大きな花が夜空に咲く。僕とユキはそれをじっと見つめていた。

    「終わっちゃったな」僕は夜空にうっすら消えていく火花を見ながらそうつぶやいた。
    「そうだね」ユキは少しさみしげに答える。
    「俺たちさ…」そう切り出すと、ユキは僕の方をゆっくりと向いた。
    「…変われるかな?」痒くもない頬を人差し指でぽりぽりと掻きながら僕は言った。
     すると、ユキは小さく頷きながら僕の手を取った。
    「変われるよ、きっと」
     僕とユキは手をつなぎながら、もうなにもなくなった夜空をそっと見上げた。

  • #261

    平泉あき (火曜日, 22 7月 2014 17:36)

    『嵐の夜に』

    夜はふけていく。闇が深まるにつれて、雨足は強くなるばかりだった。
    台風が近づいていた。強風にあおられて、古い漁師小屋はミシミシと音を立てていた。台風が直撃したら、ひとたまりもないだろう。
    今世紀最大規模といわれる台風が、着々と伊豆半島に接近していた。あと1時間もすれば、この漁師小屋の真上を通過する。
    文雄と秋子の耳朶には、強風の音も、小屋の悲鳴も、雨音も、何も聞こえない。聞こえるのは、激しく乱打する心臓の音だけだった。
    「濡れただろ、こっちへ来て火にあたれし」
    文雄が心配そうに言う。葉山の豪邸に住むお嬢様と貧しい漁師じゃ、不釣り合いすぎる。村の人たちに知れたら、文雄はこっぴどく叱られるだろう。でもでも…。
    神々しく輝く秋子の美しさを直視できず、下を向く文雄だった。

    台風直撃まで、あと30分。雨漏りがひどくなり、床に水たまりができはじめた。
    「お嬢様に風邪ひかせたら、オラが叱られるだ。頼むから、火にあたってくれちゃ」
    「わたくしは、文雄さまを、お慕い申しております」
    恥ずかしそうに秋子が言う。
    「お慕い? それはなんぞな」

    台風直撃まで、あと15分。漁師小屋の外の何かが吹き飛ばされていく音が響いた。
    文雄と秋子の胸には、すべての喧騒がかき消され、2人の息遣いだけが、実感として、そこにあった。
    「お願いです。目を閉じてくださいまし」
    そう言って、秋子は白いブラウスを脱ぎ、薄いシュミーズ姿になり、ブラウスを火にかけて乾かした。
    目を閉じている文雄は、
    「もういいだか?」と目を開けそうになる。
    「ダメです!」
    秋子はピシャリと言う。そして、静かにゆっくりと長い髪から雫を垂らしながら秋子は文雄に近づいた。

    台風直撃まで、あと10分。あと5分。
    焚火の炎がめらめらと揺れ、目を閉じた文雄の頬をテカテカと照らしていた。秋子は、文雄の横に座り、その横顔をジッと見つめる。そして、唇から先に近寄って行った。

    あと3分。2分。1分。
    秋子の唇の柔らかい感触が文雄の唇に触れる。
    と、そのとき、メリメリっというすさまじい音がした。暴風によって、漁師小屋が吹き飛ばされたのである。
    文雄は秋子をかばって瓦礫の下敷きになった。
    「文雄さま! 文雄さま!」
    文雄の体躯にすがって秋子は何度もゆすった。
    「文雄さま、目をお覚ましになって、お願い、お願いです!」
    ぐったりした文雄の体を秋子は抱きしめる。
    「神様、お願いです。どうか、どうか、文雄さまをお助けくださいまし」
    文雄の頬に、秋子は頬を擦り寄せて、熱く抱擁する。雨が降ろうが、風が吹こうが、そんなことは関係ない。瓦礫の山から残骸が飛んで行こうが、秋子は文雄の体の温もりを感じたかった。秋子は愛する人を抱きしめることしかできなかった。
    「うっ、うっ」
    文雄が目を覚ました。
    「はあ、よかった」
    秋子は頬を流れる涙をぶぐうこともせず、文雄をさらに強く抱きしめた。

    (了)

  • #260

    おかだなつこ (月曜日, 21 7月 2014 23:04)

    「熱帯夜」

    イライラするのは暑さのせいで、ムカムカするのも暑さのせいで、だから 頬をつたう涙が生ぬるいのも暑さのせいだ。こんなに暑い夜なのについ今しがた壊れたクーラーを見てるだけで、無性に悔しくて涙がさらに出てきて止まらない。

    だって、時計は午前一時をさしているのに、窓を全開にしたところで 風一つ入ってきやしないし、TVから流れる深夜の天気予報のおじさんは人の気も知らないで「本日も引き続き熱帯夜となり・・・」なんて大きなお世話なことをクーラーのばっちり聞いたスタジオで言っている。

    あぁ、なんだか、TVのむこうが妙に腹立しくってまたまた悔し涙が両目からあふれてくる。でも、声はあげられない。だって今は真夜中の一時で、窓は全開。こんな時間に女のすすり泣きが聞えたりしたら、まるで現代版番町皿屋敷。とんでもない近所迷惑になること位わかってる。

    声を大にして泣きたいのはやまやまなれど、そうはいかないこの現実。こんなどうしようもないときでも、きちんと常識の枠からはみ出さない自分にうんざりっていうか、呆れるっていうか、さらに落ち込んで、涙とともにため息がこぼれてしまった。

    あぁ、ほんとは今日はガンガン冷房入れて、窓を締め切って思いっきり泣こうと思っていたのに・・・。思ってたのに、な。そう、思いっきり泣いて、瞼晴らして、全部涙と一緒に流してすっきりしたら、気持ち晴れやかにアイツのことなんて忘れて寝ようと思ってたのに。でも、そんなささやかな願いさえかなえてくれないなんて。もう、神様なんて信じないよ。

    仕方なしに声を殺して泣いてみる。うーん、イマイチだ。どうにも気分は盛り上がらない。イマイチどころかイマニ、イマサンって気分になってさらにどん底気分。あぁ、嫌になっちゃうよ、これじゃすっきりどころかもやもやしすぎてどうしようもない。せめてもうちょっと涼しかったら、窓を閉めて思いっきり泣けるのに・・・。

    忌々しい熱帯夜め、と窓の外に目をやると、アイツの忘れていったシャツがベランダの物干しにひらひらしていた。やだ、捨てなくちゃ。冗談じゃない。思い出の品なんていらないんだから。終わった二人の間に残しておいたりしたら次になんて進めないんだから。力いっぱい物干しから剥ぎ取って、ゴミ箱にありったけの力を込めて突っ込んでみた。

    あぁ、あわれなシャツの末路。置いていかれるのがのが悪いのよ。私も君も運が悪かったね、バイバイ。ふと気がつくと一人、シャツに語り掛ける女に成り下がっている。なんか怖いね、このシチュエーション。そう思ったら、今度は急に笑いたくなった。でも、こんな時間だ、声を出して笑える訳がない。でも、思いっきり笑っちゃおうかな。笑いたいな。ここで笑えれば、全部過去にできそうな気がするから。

    今夜は熱帯夜。窓は全開の午前一時。上下左右のお隣さんがどうぞ、窓を閉めてますように。そう願いながら、せめて今日だけは思いっきり泣いて笑ってしまおう。明日、目が覚めてアイツがいない朝が、一人の朝がちゃんと迎えられるように、ううん、迎えられますよう、に。

  • #259

    おかだなつこ(PN:ひなのさき) (月曜日, 21 7月 2014 22:59)

    「浴衣と妄想と三尺玉」

    花火大会に行こうと待ち合わせをしたその場所に現れた浴衣姿の彼女を目の前にして、あまりにもの色気にすっかりやられた俺はどうしても彼女とHしたいと思った。

    でもそれには障害がある。

    ひとつ目は付き合い始めて初めてのデートだからだ。純情で世間知らずのお嬢様の彼女だ。のっけからホテルに誘ったらドン引かれるのがオチな気がしてならない、

    ふたつ目はあわよくホテルに行けたとしても、彼女の浴衣を脱がせても、ことが終わった後に着るのが大変なんじゃないかってことが気になって気になって仕方ないのだ。着付けができなかったら…。脱がさずにやればいいのか?それはそれで興奮するけど、でも、しわくちゃになってしまったら可哀そうだ。そもそも着たままでやるなんて受け入れてもらえるほど、遊びなれた感じの子じゃないし。そこが好きなんだし。あぁ、でも、俺はあきらめきれない。妄想モードが止まらない。

    ドンッと花火の上がる音がする度、俺の心臓もドンッとなる。

    「綺麗だね。」

    俺の気も知らないで彼女は上目づかいで微笑みかけてくる。かわいいじゃないか。くそぅ。もう、ここで押し倒してやりたい気分だ。もう、こうなったら意を決して誘おう。

    「あのさ、二人きりになれるところに行かない?」

    すると、彼女はじっと僕の眼を見てこう言った。

    「あのね、浴衣の下って下着つけないのが粋なの。知ってた?」

    そういって彼女ははにかみながら俺の腕にそっと胸を押し付けてきた。柔らかい胸の感触を感じた瞬間、今夜一番の大玉、三尺玉が夜空を彩った。

  • #258

    fujii (木曜日, 17 7月 2014 12:59)

    【 ま た ね 】

    「お疲れ~。お前今日は一人か。気を付けて帰りなよ」
    「はーい、ありがとうございます。お疲れ様でした」
    いつもは同期の女性社員と一緒に帰るのだが、この日、彼女は体調不良で休んでいた。
    心配して声を掛けてきたマネージャーと挨拶を交わして、私は一人で帰路を辿る。夜間と言えども、街灯や店のネオンに照らされ周囲は明るい。人通りも多いので、安心感もあった。
    途中で、じっと見つめられているような視線を感じ、私はふと右側に視線を向けた。そこには携帯を耳に当てている男性の姿があった。視線が絡んだ瞬間会釈をされたので、私も軽く会釈を返し、私は歩を進ませた。
    その場所から十分も掛からない距離に私が住んでいるアパートがある。玄関ホールに入って、エレベーターのボタンを押した。
    すると尻目に、男の人の姿が見えた。さっき見かけた男性だ。同じアパートに住む住人だったのか、と思い私は到着したエレベーターに乗り込んだ。男性もエレベーターに近づいてくる。男性はまだ携帯で何かを話していた。
    「乗りますか?」
    声をかけたが無視された。男性はそのまま私に背を向ける。乗らないのだと判断した私は(閉)ボタンを押した。
    完全に扉が閉まる直前、男性がエレベーターの扉に向かってきた。扉が完全に閉まる、僅か十五センチの隙間しかなかった。男性の携帯から通話相手の声が漏れ、聞こえてきた。
    「十時四十五分十二秒をお知らせします」
    男性は時報に向けて話していたのだ。
    私は一瞬で全身が凍り付くのを感じた。全身の毛穴から嫌な汗がどっと沸きだし、思考が停止する。体が動かなかった。悲鳴を上げる事も出来なかった。
    エレベーターの扉が閉まる。一部がガラスになっている扉越しに、男性が私を見つめていた。死んだ魚のように色彩のない眼が、私の全身を絡み取っていく。男性の唇が動いた。

    「ま た ね」

    (了)

  • #257

    dainosuque (木曜日, 17 7月 2014 12:01)

    『あげは』
     地方出張の楽しみのひとつは、やはり現地の人々と交流することだ。
     僕は業者の人と二人で夕方食事をし、そのあとお水の店に行った。(お代は業者が全部もってくれた)
     キャバクラというと小さくスナックと言うと大きかった。その中間くらいの店だった。
     常連客らしき人がカラオケを熱唱していた。
     僕の横に女性がついた。彼女は笑顔ではじめましてと挨拶した。名前は『あげは』だと言った。真っ黒なドレスを着ていたのでクロアゲハが頭に浮かんだ。
    「どこから来たのですか?」
    「神奈川県」
    「横浜ですか?」
     この返しは横浜市民以外の神奈川県民の機嫌を損ねる。僕はその下の市に住んでると言った。
     彼女は長いストレートの黒髪が印象的で、肌は真っ白だった。どこかと言うと女優の柴崎コウと中島美嘉を足して二で割ったようなイメージだった。
    年齢は肌の質感から見て、二十代後半から三十代前半といったところだ。
    「最近、怖い経験したんですよ」
     どんなの? そう言い僕は煙草を灰皿に置きグラスの中の水割りを口に入れた。
    「ママがその日のキャストの人数を確認するため指差しながら数えたんですよ。十人のはずが十一人いた。おかしいなと思い……」
     彼女が僕のほうを向き、こんな話しでも続けていいですか? と尋ねたので、大丈夫と僕は答えた。
    「おかしいなと思い、もう一度数えたら、十人なんですって」
     と言い彼女は笑う。
    「あとたまにママが接客していると、すぅーっと人影が通るんですって。必ず黒のドレスを着ている。黒のドレスなんてキャストにはいないのに……」
     僕と彼女は目が合った。彼女は笑った。
    「なんか、この店にはそういうなにかがいるみたいなんですよ。コワイ~! あっちょっとトイレ行ってきてもいいですか?」
     僕はいいよと行った。彼女は立ち上がり店の暗闇に消えるように、トイレへ行った。
     と、今度は別の女性があわてて僕の横に座る。
    「ごめんなさい。待たせすぎちゃいましたね。今日忙しいみたいなの」
     と言い水割りを急いで作りだした。僕は先ほど『あげは』という名の女性が着いたと言った。
    「お客さん何冗談言ってるんです? うちには『あげは』なんていう名のキャストはいませんよ」
     と言った。僕は同じテーブルに腰掛けてた業者に、さっきついてた女性のことを確認した。
    「何言ってるんです。僕たちずっと待たされてたんで、あと五分このままだったら帰ろうって言ってたじゃないですか? 
    でも、こんなに綺麗な人がついてくれてラッキーですね」
     と何事もなかったかのように話した。
     その時、何か黒い物体が僕の横をすり抜けた気がした。
     僕の背中にスゥーっと寒気が走った。

  • #256

    山内たま (木曜日, 17 7月 2014 05:27)

    「もう一人のお誕生会」

    「ねぇ、知ってる?公園の先にある誰も住んでない古いお家って、幽霊がでるだって〜!」

    きゃ〜!と、大勢の女の子たちの叫びに近い声が辺り中に響いた。

    今日がお誕生日のリナちゃんの家へ、小学校帰りにみんなで向かっているところだった。

    お兄ちゃんから聞いたという幽霊の話をマリちゃんが続ける。

    父親がアルコール中毒で働かず、家庭内で暴力をふるっていたため、妻が子どもの誕生日に自宅で無理心中してしまったそうだ。その後、父親がどうしたのかはわからないが、その家はずっと空き家になっている。

    「マリちゃん、いまからそこの家の前を通るのに、なんでそんな話するの〜!!!」

    「通るから思い出しちゃったんだもん・・・」

    公園のまえを通りすぎたところで、みんなが息を止めるように、そうっと空家の前を通過しようとしていたとき、リナがふと玄関に目をやってしまった。

    木製玄関の下の方はすりガラスになっていて、そのすりガラスに真っ赤なワンピース来た女の子の足が薄らとみえていた。
    背筋がぞぉっとして、声も出なかった・・・

    「めっちゃ怖かった〜」
    「私、目瞑って歩いちゃった!」
    「リナちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」

    いまから自分の家で、楽しい誕生日会をするのだと思い、何でもないよ・・・と、額にじっとりとかいた汗を拭った。

    「みんな、いらっしゃーい」

    今日のため仕事を休んで、誕生日会の準備をしてくれた母親が出迎えてくれた。
    おジャマしまーすとみんながリビングへ入っていった。
    ランドセルをおいたら、お手伝いしてねといわれ、部屋から戻って来たら、母親が玄関で出かけるとことだった。

    「ちょっとリナ!なんでお友達増えたの教えてくれないの?ケーキが一つ足りないから急いで買ってくる」
    「え?増えてないよ・・・」
    「リビングに13人座ってるわよ!ジュース出しておいて!」

    リナがリビングにいくと、みんながワイワイ騒いでいる中、いつもの自分の手前の席に、赤いワンピースをきた女の子が俯いていた座っていた。



  • #255

    おかだなつこ (水曜日, 16 7月 2014 00:47)

    「忘れないで…。」

    その悲報は、正月早々、突然やってきた。
    普段はメールで連絡を取ってくる登山クラブの友人からの電話に私は絶句した。

    クラブの中でもベテラン中のベテランの仲間5人が北アルプスの山頂の付近で大規模な雪崩に遭遇し、奇跡的に3人人は助かったものの、2人は行方不明。さらに天候が悪化したため、生存者を収容するのが精いっぱいで捜索も打ち切りになったとのことだった。

    翌日も、翌々日も天候は回復せず、捜索隊が雪崩が起きたポイントにたどり着けたのは事故発生から4日後。
    山岳救助隊は勿論、私たち登山クラブに他の山岳クラブの有志の協力も仰いで1週間近く捜索が行われたが、結局行方不明の二人を見つけるどころか遺品の一つも探し出すことができなかった。

    捜索最後の日、残された家族の方々が、山岳救助隊やボランティアで捜索に参加してくれたクラブの一人ひとりに深々と頭を下げている姿が涙を誘わないわけがなかった。

    それから数か月後。季節は移りすぎ、夏山のシーズンがやってきた。相変わらずあの二人は見つかることがなく、すっかり山に飲み込まれたままになってしまっている。

    誰からともなく、彼らに会いに北アルプスに行かないか?ということになった。運が良ければ見つけることができるかもしれない。見つからなくても、せめて彼らが眠るあの場所に行ってみようじゃないかということになり、慰霊登山にでかけることになった。

    雪崩が起きた場所で、みんなで集合写真を撮った。いつもの笑顔はじける姿ではなく、全員が神妙な面持ちで
    写真に納まった後、周りを捜索してみたが、結局二人を見つけられることもなく、雪崩が起きた場所に手を合わせて冥福を祈ることしかできなかった。

    数日後。慰霊登山に参加した全員に招集がかかった。幹事からはなぜ集まるかは当日話すからとにかく来てほしいということだった。

    いつもミーティングをする居酒屋ののれんをくぐると、私以外、全員がすでに揃っていて重苦しい空気が漂っている。

    「送れてごめん。いったいどうしたの?」


    そういうと、すっと一枚の写真を差し出された瞬間ぞっとした。

    そこには神妙な面持ちの私たちのはるか後ろに、山に飲み込まれたはずの二人がすっくりと立ってこちらを見ているのだ。

    「まだ、自分たちが死んだこともわかってないのかな?」

    誰かがそうつぶやいた。幹事は目に涙をいっぱいためていた。

    それきり、あの二人は見つかっていない。見つけてあげたいけれど、どんなに探しても見つからない。

    でも、それからずっと、毎夏に北アルプスで撮る集合写真に二人は映りつづけている。

    いつか見つかるその日まで、彼らは映りつづけるのだろう。忘れないで・・・という思いをもとに。

  • #254

    夏来 みか (火曜日, 15 7月 2014 21:37)

    『帰路』

    自宅の最寄りの駅にたどり着いた。
    「は〜今日も終わった〜」と思わずつぶやく。
     自宅まで、徒歩15分の川沿いの、いつも通る道をのんびりと歩いていた。

     ふと気がつくと、背後からコツコツコツと、私の足音と同じリズムを刻む足音が聞こえてきた。背後から人がついてくる。
     
     追い越してもらうために止まった。その、コツコツコツという足音も、ピタリと止まる。足音は聞こえてこない。それならばと、また歩き出した。すると、その足音も、同じく歩き始める。コツコツという音が、ピタリとついてくる。

     後ろを振り返り、その足音の主を確認したい。けれども、振り返ると、私が気づいたと知らせてしまう。だから、振り返る事ができない。それならばと、少し早足で歩く。その足音も、全く同じく早足になる。足音がピタリと共振する。
    「絶対追いかけられている」
     
     誰が私を追いかけているのだろう?
    ストーカーだろうか?
    物取りだろうか?
    それとも?もっと恐ろしい何かだろうか?
     
     どれもご免だと、私は、走り出した。すると、背後の足音も同じように走り出した。正真正銘、追いかけられている。こんな時は、人のいるところへ行かなくては。自宅は通り過ぎる。コンビニエンスストアが見えてきた。後ろの足音は、徐々に距離をつめている。息があがってくる。苦しい。でも、コンビニまで、たどり着かなくては。もはや全力疾走だ。

     コンビニに飛び込む。すると、その足音の主も飛び込んでくる。振り向くと、そのには。。。私がいた。

     まったく同じペパーミントグリーンのシャツに、白のスカート。洋服まで同じだ。コンビニの店員が
    「双子さんですか?」
    と能天気に言う。私は
    「双子の訳ないじゃないですか」
    と叫ぶ。追いかけてきた、私も全く同じく叫んでいる。
    「ぎゃ〜」と叫び、コンビニを後にし、全力疾走する。私の足音が追いかけてくる。足音は、どんどん距離をつめている。
    あれが、ドッペルゲンガーだ。出会うと死ぬという。

     足音は、どんどんどんどんと距離をつめてくる。足音は、背後3メートルだ。走る力がつきてくる。足がもつれる。靴が片方脱げた。足音はもうすぐ背後だ。つまづいて、転んだ。足音は、そこだ。そして。
    -Black Out-

  • #253

    山口倫可 (火曜日, 15 7月 2014 17:47)

    『変身』

    私は緊張していた。
    体はガチガチに固くなっていた。
    顕微鏡レンズを除いたまま動けない。
    この組織は、確かに見たことがある…。

    背中に冷たい汗が流れていく。
    指先が緊張し強ばっている。
    頭の中は真っ白だ。心の中はパニックだ。

    皮膚組織が、変化してきている。
    おできのような、どす黒い塊が
    体の柔らかい部分にでき始めたのは3日前からだった。



    1ヶ月前、ブラジルの洞窟で
    新種の昆虫が発見された。
    チャタテムシに似たその昆虫は、
    グロテスクな体に、変わった生体を持っていたが、
    タンパク質含有量は、鶏肉に匹敵するものだった。

    高タンパク低カロリーの食材として、
    私は、ミザリ-と名付けたラットと共に
    自分の体を使って、人体実験に入った。

    一週間後、ミザリ-は酷く興奮するようになった。
    二週間が過ぎた頃、攻撃性が増し
    同じゲージに入っているラットを喰い殺した。

    私は怖くなったが、研究者としての血が騒ぎ
    研究をやめることができなかった。

    三週間目、ミザリ-はゲージを食い破り
    逃げ出した・・・。



    私は怖々、体にできた黒い皮膚の組織を
    削ってシャーレに乗せてみた。

    それは、間違いなく新種の昆虫と同じ
    皮膚組織だった。

    副作用があるかもしれないと思ってはいたが、
    こんなことになるなんて・・・。
    喉がカラカラに乾いて、呼吸もうまくできない。
    胃の中から、酸の臭いが上がってくる。
    強い吐き気を覚えた瞬間、私は意識を失った。

    「茂黒教授、この昆虫、すごい勢いで増えますよねぇ。これなら、食糧不足の今、次期食材として期待大ですね!ところで、西川教授、どうしたんでしょう?あんなに研究熱心だったのに・・・」

    「疲れて、休暇でも取りたくなったんじゃないか?ずっと詰めていたからなぁ。それにしてもこの昆虫の生態は変わってるなぁ。50時間から70時間も交尾している。メスがオスの体をがっちりつかんで離さない。あ、メスとオスが逆だったな。雌雄逆転した生物ってのも興味深いなぁ・・・」



    ガサゴソガサゴソと、大きな物音がする。
    暗い部屋で目を覚ますと、腹の上にあの昆虫が乗っていた。
    いや、あの昆虫じゃない。
    こいつは、ミザリ-だ!!

    彼女は、
    私の体を雁字搦めにし、
    大きなペニスのような器官を振りあげたかと思うと
    私の股間に開いた穴に、深く深く差し込んでいった・・・。

    『た・す・け・て・・・』
    私は声を振り絞って叫んだ。

    「あれ?茂黒教授、今、なんか聞こえませんでしたか?」

  • #252

    林夏子 (火曜日, 15 7月 2014 17:32)

    タクシー配信依頼(修正版)

    ベテランタクシー乗務員の堤は、ある夏の夕方、配車依頼があった廃墟のホテルに向かっていた。
    そこはバブル時代に建てられ、バブル崩壊とともに廃業したリゾートホテルだった。廃墟のホテルに到着した頃には辺りは薄暗い闇が包み始めていた。
    待っていたお客は若い女だった。

    堤は不思議に思った。
    一つ目は、女のファッションに違和感を感じた。女のスタイルはバブルの頃流行った、ワンレンボディコンであること。
    二つ目は、真っ赤な口紅と青くみえるほどの肌の白さばかりが目立ち、とても健康な若者には見えないこと。
    二つ目は、こんな人気のない場所で何をしていたのかということだ。


    女は犬戻岬まで、と小さな声でいい、堤はこれまたずいぶん辺鄙な場所だと思ったが、黙って車を滑らせた。

    岬までの道は曲がりくねった急なのぼり坂になっていた。
    ガードレールのない道路で、急なカーブが続く。熟練ドライバーとはいえ、ひとつ間違えば崖の下に真っ逆さまだ。
    幾つかカーブを慎重に曲がり、ようやく岬の手前まで来た。

    「ここでいいんですか。」という堤の問いを遮るように女は黙って清算を済ませ車を降りた。
    堤は、ドアを閉めながら、こんな場所に若い女性一人残して大丈夫だろうか、とバックミラーで女の姿を確認しようとしたがそこに女の姿はなかった。
    あれ?と思って視線を前方に移すと、フロントガラスに頬を擦りつけて女が笑っていた。すでに人間の姿ではなく、恐ろしい悪霊の姿だった。
    恐ろしさのあまり車を発進させようとアクセルを力いっぱい踏んだが、効かない。
    「いっしょにおいでぇぇ」
    ロックしてあるはずのドアが開き、ものすごい力で車から引き摺り降ろそうとしてきた。か弱い女の力ではない。堤はハンドルにしがみついていたが下半身が引き出されてしまっている。
    「ち、千切れる・・・」ハンドルを握る指先が激しく痛んだ。もはや・・・と思った瞬間、バックミラーに引っ掛けてある交通安全のお守りを引きちぎって投げつけた。
    ぎゃあぁぁっという恐ろしい叫び唸り声とともに女は消えた。

    しばらく後、犬戻岬の崖下で20年ほど前に転落した車が発見されたというニュースを耳にした。
    中には女の白骨化した遺体が発見され、車のナンバーから廃墟になったホテルのオーナーの奥さんだと分かった。
    日夜問わず借金取りに追われ、行方不明になっていたものだった。

  • #251

    fujii (火曜日, 15 7月 2014 13:45)

    【サイコパス】

    背中にある鍵穴にこの鍵を差し込む事が出来れば天国。出来なければ地獄が続く。
    実はこういう事だ。
    成人した頃から、真二には自分以外の人の背に黒くて丸い穴が開いているのが見えるようになっていた。昔からの友人に相談すると、木製の取っ手がついた鍵を貸してくれた。
    いつも気が付けば隣にいる不思議な友人だ。
    その友人が言うには、背中に黒い穴のある人間は、悪霊に憑りつかれている証らしい。また真二にも友人同様に祓う力があると言うのだ。
    リビングから父と母のヒステリックな声が聞こえてくる。グラスが割れる音も響いていた。
    力の限り暴れている。真二は決心すると、リビングに向けて歩を進ませ、こっそりと様子を盗み見た。二人とも悪鬼のような表情をしている。
    鍵は一つしかない。一人ずつ何とかしなければ……。
    真二はとても冷静だった。一人になった時を見計らって、それぞれに鍵を差し込んだ。
    結果はこうだ。
    真二は、初めてリビングで家族団らんを楽しむ事が出来た。
    人の言う事は頭ごなしに否定していた二人が真二の話にじっと耳を傾けている。真二はかつてない程に喋った。
    時折雨漏りでもしているような水音が響く。真二は構わずに話し続ける。子供のように両足をパタパタと動かして、嬉しさをアピールした。気分は高揚していた。
    「ねえ、さっきからどうして何も言わないの?」
    リビングの床には、真っ赤な池が出来ていた。

    (了)

  • #250

    fujii (火曜日, 15 7月 2014 10:48)

    【イマカラ イキマス】

    『いまからいきます。R』
    務めている会社の同僚(木下)に入って来たLINEメッセージが始まりだった。
    その日、隆は会社の毎年恒例行事と化した夏のバーベキューを楽しんでいる最中だった。幹事だった隆にもLINEの話が回ってきたが、Rという名前の女性社員は記憶になかった。それに男性十人、女性八人。来る予定だったメンバーは既に全員集まっている。誰かが送信するIDを間違えたのだろうと言う事で話は流れた。
    数時間後。木下が海で溺れて亡くなった。木下は運動神経抜群で、水泳も得意としていただけに皆信じきれない思いでいっぱいだった。その時だった。現場に居た女性社員(若狭)にLINEが入ってきた。
    『いまからいきます。R』
    次の日、若狭が亡くなったと隆の元に知らせが入った。そして、同様に次々と社員が謎の死を遂げた。
    会社で一番仲の良い友人、瀬尾と一緒にいた隆は相談を持ち掛けられる。瀬尾のスマホにも『いまからいきます。R』というメッセージが残っていた。偶然だと言って別れたが、次の日瀬尾も亡くなった。
    ピピピ……。
    隆のスマホからプッシュ通知音が鳴った。
    『いまからいきます。R』
    隆は悲鳴を上げて、スマホの電源を切った。ピンポン、ピンポンと玄関のインターフォンが鳴り響く。ドアノブもガチャガチャと激しく動いていた。
    膝が震えてその場から動けない。隆はリビングに蹲ったまま目を閉じると、頭を抱えて身を震わせた。
    五分後。
    ピンポンラッシュが止んで、閑散とした空気が流れた。隆は震えている体を起こした。
    だが、瞼を開けた瞬間、視界いっぱいに女性の黒い髪の毛が広がっていた。意志を持って蠢くそれは、隆の全身を巻き取って行く。
    「むかえに……きたよ」
    隆は声にならない悲鳴を上げた。

    (了)

  • #249

    大の助兵衛 (火曜日, 15 7月 2014 10:09)


    僕はBARでたまたま隣に座った女性を口説いてしまった。彼女はホテルに行く気満々だ。 ホテルに一緒に行くか行かないかで悩んでいた。

    実はこういうことだ。

    僕には人には言えない過去がある。それが原因彼女に迷惑をかけるかもしれない。

    最終結論は閉店までの30分後だ。それまでに答えを出さなくてはならない。

    ホテルに行けばこうなる。僕は彼女とあんなことやこんなことをする。しかし気をつけないと彼女は取り返しのつかないことになる。

    ホテルに行かなければこうなる。次に店に行ったとき、彼女は僕に冷たい態度を取るだろう。

    いよいよ決断の時が来た。

    僕は彼女とホテルに行った。ホテルで飲んだ赤ワインが利いたのか、それとも彼女が精力がアップするといって飲まされた薬が効きすぎてしまったのだろうか、記憶がプッツリと切れて覚えていない。

    朝、目が覚めると鏡に血のように真っ赤なルージュで『エイズの世界へようこそ』と書かれていた。彼女の姿はない。

    ……一瞬固まる。そして、
    僕は笑い続けた。笑いすぎて嘔吐してしまった。昨日の赤ワインが出て血を吐いているようになった。それでも嘔吐し続けた。

    ようやく落ち着いた僕は、一言つぶやいた。

    「とうの昔に感染してるよ……」
    そして鏡に映る自分の顔が一瞬悪魔のように見えたのだった。

  • #248

    長谷川知宏 (月曜日, 14 7月 2014 23:59)

    原石13号:テーマ「ホラー」
    --------------------------------------
    「作家」

     (ああ、どうしようどうしよう)
     山下はエアコンも扇風機のない、暑い4畳一間の部屋の中で、一人頭を抱えていた。
     明日締め切りの長編小説が、まだ一枚も進んでいないのだ。10年近く書いてそろそろもっと名をあげたいという気持ちがあった山下も、話をもらったときには一も二もなく飛びついたのだった。
    (しかし、どうする・・・あと、5時間しかない・・・。これでなにも書けなければそれこそ今の仕事まで打ち切られてしまう・・・)
    そのときだった。
    「ドン!」
    山下は座っていたその場所から驚き、飛び上がった。山下が手元の置き時計を見ると、夜中の13時を指していた。
    山下は怒りのあまり、文句を言おうと非常識かと思ったが隣の部屋のドアを叩いた。
    「すいませーん。大きなおと出さないでくださいますー!ねー、ちょっとー」
    しかし、誰も出てくる気配が一向にない。
    (おっかしーな、誰かいるはずなんだよな・・・)
    山下が不審に思い、失礼かと思ったがポスト受けから中をのぞいてみた。すると、中で月明かりに照らされた人影と床に倒れている人影が見えた。さらに山下が目をよーくこらしてみると・・・手元には光るものが・・・。山下が恐怖のあまりその場で立ち尽くすしていると、中の女が突然、
    「何見てんだ!!」
    と向かってきた。

    「ひええええっ」
    いつもなら出さないような、情けない声を出し、
    慌てて部屋へ戻り、急いで鍵をかけた。

    あとでわかったことだが、隣では男が死んでおり、
    一緒に住んでいた女が不明だと言う。

  • #247

    あいけん (月曜日, 14 7月 2014 23:28)

    『じいちゃん』
     私はその夜、息子の正太郎の激しい息の音で目を覚ました。正太郎は「じぃじが、じぃじが……」とウンウンうなされている。すごい熱だ。すぐに救急車を。
    「うわっ!」
     振り返り私は絶句した。なんとそこには一年前に死んだはずの父が真っ黒な姿で立っていたのだ。父はまるで正太郎を呪い殺さんとしているかのようなおぞましい形相で正太郎をじっと睨みつけている。あんなに正太郎を可愛がっていた父さんがどうして正太郎を…。
     実はこの日、私は正太郎の部屋で一緒に寝ていたのだった。数日前から正太郎は「じぃじが怖い顔をして枕元に立っている」と怯え、夜眠れない日が続いていた。寝不足が続き正太郎はすっかり衰弱してしまっていたのだ。
     正太朗の息はどんどんと激しさを増してゆく。ついに私は父に向かって叫んだ。
    「父さんもうやめて! もうこれ以上正太郎を苦しめないで! 」
     気がつくと朝になっていた。隣で正太郎はまるで何事もなかったかの様にすやすやと寝ていた。私は正太郎のおでこに手を当てる。私はホッと肩をなでおろした。どうやら熱は下がっているようだ。
    「あっ!」
     ふと時計を見て、私は愕然とした。なんともう朝8時を過ぎていたのだ。幼稚園バスにはもう間に合わない。私はハァとため息をつきテレビをつけた。
    「速報です。今朝7時半頃西山幼稚園の送迎バスが、対向車線にはみ出したトラックと衝突し、側道の用水路に転落した模様です。乗車していたバスの運転手と保育士含む園児23人が死傷する大惨事となりました。繰り返します。今朝7時半頃……」
     私は耳を疑った。西山幼稚園の送迎バス。それは正太郎が毎日乗っているバスだ。そして今日も乗る予定だったバス。今日、いつもどうりあのバスに乗っていたら正太郎は今頃。
     私はゆっくりと父の仏壇の方を見た。父は写真の中で幸せそうに笑っていた。

    (了)

  • #246

    関根 雅史 (筆名:石賀 次樹) (日曜日, 13 7月 2014 00:32)


    『従弟』

     ある初夏の午前中、隆は自転車に乗って役場に向かっていた。五十過ぎで会社をリストラされ、国民健康保険の手続きをしに行くところだった。この林道を通るのは久しぶりだ。そういえば自転車にもしばらく乗っていなかった。田舎道をのんびりとペダルを漕いで進むのは、サラリーマン時代の忙しい日々で荒んだ心を癒してくれた。
     ふと左前方の道端に妙なものが見えた。近づくと体調1メートルほどの蛇だった。隆はギョッとしたが、あえて知らんぷりをしてそのままのスピードで通り過ぎる。少し進んでから振り返ってみた。蛇はまだ同じところでじっとしている。隆はホッとした。「帰りは別の道を通ろう」と思いながら、自転車の速度を少し上げた。
     五分程そのまま走っていると、妙な音がするのに気がついた。まさかと思って恐る恐る音がする方を見ると、自転車の真横をあの蛇が並走している。隆は得も言われぬ恐怖を覚え、力の限りペダルを漕いで逃げた。しかし、どれだけスピードを上げても、蛇は隆の横にピタリとついてきた。
    「たかちゃん、遊んでよ」という声が聞こえた。見ると蛇がこっちを向いている。隆はもうただ真正面を向いて懸命に自転車を走らせた。生暖かい風を受けて前進しているときに、さっきの声の主を思い出した。あれは、死んだ従弟の拓巳の声だ。
     拓巳は隆より三つ年下で、子どものころ近所に住んでいた。いつも、「たかちゃん、遊んでよ」と後をついてきたが、隆はチビの拓巳のことを足手まといだと思い、そのたびに自転車に乗って彼を振り切って逃げていた。そんなある日、拓巳はひとりで遊んでいて用水路に落ちて溺れ死んだ。そう、ちょうどこんな初夏の出来事だった。
     役場に着くともう蛇はいなかった。そういえばこっちを見たときの蛇の目は、拓巳が泣いたときの目にそっくりだと隆は思った。そして、彼は拓巳が巳年だったことを思い出した。

  • #245

    ザクロ (土曜日, 12 7月 2014 18:26)

    「幸福論」
    扉の向こうから、彼の妻の
    悲痛な叫びが途切れ途切れ
    に響いている。

    胸元で小さく震える手を組
    みながら、男はじっとその
    扉を睨むように見据えなが
    ら立ち尽くしていた。

    後どれ位で子供が産まれる
    のだろうか?

    数分後だろうか?
    それとも数時間後だろうか?
    もしくは数日?

    イヤな予感ばかりが浮かび上
    がり、男は更にぶるぶると体
    を震わせ始めた。

    衝動的に雄叫びを上げて暴れ
    回りたいという感情がこみ上
    げ、男はパニックに陥った。

    自分がそんな感情を抱くわけ
    がないのだから。

    「落ち着いて下さい」

    血走った目をした男の側に
    穏やかな笑顔を貼り付けた
    青年がそっと近づき、さり
    気なく男を拘束しながら
    周囲に視線を走らせた。

    周囲にいた青年と同じよう
    に白衣と穏やかな笑顔を
    纏った彼らは、何気なく
    2人を囲むように近づき、
    男の退路を断った。

    そうした上で幾人かが笑顔
    でがっしりと男の体を拘束
    し、最初に近づいた青年が
    素早く男に何かを注射した。

    途端に男の瞳からも雰囲気
    からも凶暴な気配が消え失せ、
    青年達は用心しながらほんの
    少し男から距離を取り、慎重
    に問いかけた。


    「気分はいかがですか?」
    「………大丈夫です。
     すみません。お手数をおか
     けしました」

    一転して青年達と同じような
    笑顔を貼り付けた男は穏やか
    にそう返した。

    「もしかしてそろそろ投薬の
     時間だったのでは?」

    青年の質問に、はっとしたよ
    うな表情を浮かべて腕時計に
    視線を走らせた男は、時間を
    確認すると、恥じらうような
    苦笑を浮かべた。

    「……すみません。心配の余り
     うっかりしてました」
    「大切に思うのをやめろとま
     では言いませんが、忘れる
     程のめり込むのはどうかと
     思いますよ。執着は罪です。
     他人に感情を動かされる事
     は、争いの元です。きちん
     と投薬し、強い感情は 捨て
     る事こそ、正しい国民の在
     り方です」

    青年が穏やかな声のままそう
    言うと、男もまた穏やかに頷
    いた。

    「ええ。この制度のおかげで
     戦争など遠い御伽噺になり
     ました。何より常に穏やか
     でいられますからね。
     正しい国民でいればこそ、
     です」

    男は何の憂いもない、という
    晴れ晴れとした表情で言うと、
    扉に背を向けて歩き出した。

    未だ、彼の妻が扉の向こうで
    陣痛と戦っていることも。
    それを心配していたことも。

    記憶はあっても、感情は男の
    中からさっぱりと消え失せて
    いた。
    男の中にあるのは純粋な幸福
    感のみだった。