定子と拓也

定子と拓也

 

桑山 元

 

 

 

電話のベルが鳴った。

 

定子は眺めていた新聞記事を丁寧に置くと、受話器を上げた。

 

「あ、ばあちゃん。俺」

 

「おや、拓也かい? そろそろ電話が来るような気がしてたんだよ」

 

「ばあちゃん、実は大変なことになっちゃって……」

 

「そんな気がしていたよ」

定子は受話器を握ったまま、うんうんと頷き、拓也の涙声を聞いていた。

 

「電車の中に会社の小切手が入った鞄を忘れてきちゃって……鞄は出てきたんだけど……小切手は、小切手は……」

 

拓也のすすり泣きは続いた。

 

 

定子は夏祭りを思い出していた。

 

4歳の拓也はばあちゃんと一緒に夏祭りに出かけた。

太鼓の音を遠くに聞きながら、ぎゅっと手を掴み、二人で顔を見合わせて笑った。

 

拓也は初めて自分でお金を払って、夜店でりんご飴を買った。

りんご飴を誇らしげに定子に見せた。

 

頭上に上がった花火を見上げた瞬間、拓也の手からりんご飴が滑り落ちた。

 

「あ……」

短く呟いた拓也は、砂にまみれたりんご飴を眺めていた。

ただ立ち尽くし、眺めていた。

 

 

チリーン。

 

 

どこかで風鈴が鳴った。

 

拓也はふいに顔を上げた。

両の眼にみるみる涙が盛り上がってきた。

 

「りんご飴が……りんご飴が……」

拓也はすすり泣いた。

 

定子はうんうんと頷いた。

 

「大丈夫、大丈夫。ばあちゃんがいるから。ばあちゃんがなんとかしてあげるから」

 

チリーン。

 

庭先で風鈴が鳴った。

 

 

 

すすり泣きを包み込むように定子は言った。

 

「大丈夫、大丈夫。ばあちゃんがいるから。ばあちゃんがなんとかしてあげるから」

 

拓也のすすり泣きは小さくなっていった。

 

「小切手を明後日までに決済しなくちゃいけないんだ。でも、俺、お金がなくて……」

 

「いくらなんだい?」

 

「さ、300万なんだ……」

 

定子は言葉に詰まった。

耳の後ろから汗がつつーっと流れ落ちた。

 

その汗は猛暑でも、エアコンを使っていないからではなかった。

 

1ヶ月あたり8万円の年金生活。

定子にとっては、それでも充分だった。

 

一日一食。

茶碗一杯の白米、ちりめんじゃこと醤油。

水出しの麦茶。

 

もう17年も、それで貫いている。

粗食健康法を実践しているわけではなかった。

単に欲求がなかった。

 

自然、お金は貯まった。

貯まり方はたかがしれていたが、50万ほど蓄えがあった。

しかし300万には程遠い。

 

「いや、全部ばあちゃんに出してもらおうなんて思ってないよ」

 

「拓也は昔から優しいね。ばあちゃん、50万くらいしかなくてね。ごめんね、ごめんね」

郵便局の小包で送れば明日には拓也の元に届く。

 

「なんだか振り込め詐欺みたいだね」

定子はそう言って拓也と共に笑った。

 

郵便局から帰ってきた定子はまた新聞記事に目を落とした。

 

 

今までに何度も読み返した17年前の新聞記事。

 

 

 

―― 6歳男児、溺死。

祖母が目を離した隙に池に転落か? ――

 

 

 

今日からまたちょっとずつ蓄えなければならない。

また次に拓也が困ったときの為に。

 

「大丈夫、大丈夫。ばあちゃんがいるから」

 

定子は新聞記事に語りかけた。

 

 

チリーン。

 

庭先でまた風鈴が鳴った。

 

 

(了)

 

 

コメント: 7
  • #7

    イマチャン (土曜日, 26 9月 2015 09:39)

    高橋さんからのメールであらためて候補の三作品読みました。
    三作品の中で一番印象が残りました。
    読んだ後、ちょっと切ない気持になりました。
    振込詐欺や認知症とか今の起きている社会問題を考えさせられました。
    小説はネガティブな事でも、微かに救いが感じられるストーリーがいいのかもしれないなど思ったりしました。

  • #6

    広告漫画家・似顔絵師さや☆えんどう (金曜日, 25 9月 2015 22:12)

    しんだばあちゃんが、ボケはじめたときの話。

    何年か前に亡くなったおじさん(息子)の事を
    「昨日●雄が訪ねてきてあーだこーだ」って言ってて
    母が
    「ほんとにそうだったらいいのに」って思いつつ聞いてたって。
    思い出しました。

    このばーちゃんもボケてるんでは?と
    一瞬思ってしまう私でした^^;
    よく読むとそうじゃないんですけどね。

  • #5

    ひろと (金曜日, 25 9月 2015 15:03)

    ショートでありながら全てのシーンの色や音、風景が目に浮かぶ作品
    そこに流れるにおいさえもかすかに感じる
    定子は孫の死の責任を17年間背負い、拓也が亡くなった自覚を持ちながらも彼への愛おしさを芯に生きているのがわかる
    仮の拓也を助ける(騙される)ことに生きがいを感じることが定子が人生を続ける意義になっている切なさが感じられる
    反面、自己の生活は亡き者のように
    時にこういった祖父母に預けた子供が悲しい事故で亡くなるニュースは耳にする
    その後の祖父母・父母・親族・周囲の人々の怒りや失望、後悔、中傷をも思い起こさせ、「悲しい」「切ない」まして「良いお話」という言葉では表現できないストーリー
    最後に新聞に載っているであろう拓也の顔写真に向けられた定子の静かな微笑みが見えるような、胸を締め付けられる作品
    素晴らしい

  • #4

    のりっちょ (水曜日, 23 9月 2015 14:21)

    定子はすべてを悟っているのですよね?あるいは、罪滅ぼしのつもりなのか。
    回想と今をつなぐ風鈴の音が居た堪れなさを増幅させて、とても切なくなりました。オレオレ詐欺と贖罪という全く異質な行いが、今この世相だからこそ絡み合うのですね。素晴らしい作品だと思いました!

  • #3

    みか (水曜日, 23 9月 2015 09:51)

    昨日もうちに、振り込め詐欺っぽい電話がかかってきました。
    ちょっと乗ってあげようかと思ったけれど、
    あまりの気持ち悪い波動に
    「110番しますけど」
    と言ってしまいました。
    振り込め詐欺はさておき、このお話は、世界の縮図で、
    世界は実はこのように、回っているかもしれないなと、
    思わされる内容でした。

  • #2

    鈴木康之 (水曜日, 16 9月 2015 21:47)

    自分の解釈が間違っていなければ、拓也は17年前になくなっているんですよねえ。そのいない拓也のためにおれおれ詐欺にかかった婆さんって本当に
    悲しすぎます。

  • #1

    リンカ (水曜日, 16 9月 2015 16:55)


    次の拓也が困ったときのために…というくだりで泣けました。