小説『サバイバル』


「サバイバル」 

 

Tracy

 

 恵比寿の五差路を代官山方面に曲ったところにあるカフェレストラン「モントレー」。

 金曜夜の店内は着飾った若い女性グループでにぎわっていた。各テーブルには小さなキャンドルが置かれ、開け放たれたオープンテラスからは、夏の夜風がそよそよと心地よく流れ込んでいた。


 エリがようやく店に入ってきたのは、私が携帯の画面を見飽きて他のテーブルの客達をぼんやり眺めていた時だった。

 

「ごめーん」

 右手を振りながらテーブルに近寄ってくるエリ。

「連絡しようと思ってたんだけど。本当にゴメンね、雅美」

「いいよ。別に。私も今来たとこだし」

 

 私は携帯をパタンとたたみながら答える。

 エリはピンク色のショルダーバッグをテーブルの下のカゴに入れ、席に座る。

 

「何かちょっと雰囲気変わったね」

 エリの顔を覗き込みながら言う。

「え?そっかなー。別に何にもないんだけど」

 とエリは肩をすくめる。

 

 隣のテーブルからペスカトーレのいい匂いが漂ってきた。

 1杯目は生ビールで乾杯した。

 

 さんざん迷った末、前菜2品とパスタ、メインを1品づつ注文する。前菜のバーニャカウダを食べ終えたところでエリが最近頻繁に参加するようになったお見合いパーティの話を始める。

 

「それって、お金目当てってことじゃん」

 私は思わず声をあげた。

「やだ、そんな大きな声ださないでよ、雅美」

 周囲の様子を見回すエリ。

 

「エリ、お医者様と結婚するつもりなの?」

「そうよ」

 当然といった調子で言う。

 

「お金持と結婚したいって思っちゃいけない?」

 取分けたカルボナーラをフォークでくるくる巻くエリ。卵の黄身がホワイトクリームの中で渦巻きを描く。

 

「結局ね、自由になるお金がいくらあるかで幸せが決まるのよ。最近悟ったの私」

 パスタを巻いていた手を止め、2杯目のワインに手を伸ばす。

 

「私は医者と結婚して、何不自由ない暮らしがしたい。そのためなら何でもする」

 あごを上に向けてシャルドネを喉の奥に流し込む。

 

「それってどうなの? 相手の気持ちはいいわけ? お金目当てで自分と結婚したんだってわかったら、相手は傷つくんじゃないの?」

 私はちょっとムキになって聞いた。

 

「あはははは」

 笑い出すエリ。

 

「傷つく?ありえない! だって、彼らの周りにはお金目当てで寄ってくる女がうじゃうじゃいるのよ。彼らにしてみれば、お金があれば女は寄ってくるって身にしみてわかっているの。選択権は彼らにあるのよ。だから女はみんな選ばれようと必死よ」

 両目を大きく見開いて言うエリ。

 

「へぇー。で、その女たちは今のエリみたいにつけまつ毛付けて、モテ髪にするわけだ。ご苦労様ね」

 私は軽蔑するような口調でそう言うと、横を向いてワイングラスを口元に運ぶ。

 

 エリが動かなくなった。

 

 両唇を内側に巻き込んでうつむいている。

「エリ?」

「雅美、その言い方ひどすぎる」

 低い声で絞り出すように言う。

 

「え?」

「雅美にはわかりっこない」

「え?」

「頭が良くて気が利いて何でもすいすいできちゃう雅美にはわかりっこない」

 エリの頭が小刻みに左右に揺れる。

 

「そんなことないよ。エリだって...」

「ううん。私、社会人5年間やってみて分かった。このまま自分に仕事が続けられるわけないって。そうしたらあとはもう結婚しかないじゃない。打算的って言われても構わない。世の中サバイバルだもの」

 

サバイバル。

 

 柔和で可愛いらしい雰囲気のエリからそんな雄々しい言葉が出てくるとは予想もしていなかった。

 

「私だって今後の事じっくり考えてみたのよ。このままでいいのかって。一応正社員だけど、後から入社した人の方がよっぽど仕事できるし、同じ事何度も注意されるし。これじゃダメだって思った。今ならまだ若さが武器になる。使わない手はないじゃない?」

 

「ぶ、武器?」

 

 エリはいつからこんな凄味のある言葉を使うようになったのだろう。

 

「お待たせしました。イベリコ豚の網焼きマスタード風味です」 メインディッシュが運ばれてきた。

 

「私もう疲れたよ。楽がしたい」

 付け合わせのじゃがいもをフォークの先で転がしながらエリがつぶやく。

 

「エリまだ27じゃん」

「27だと疲れないわけ?」

「いや、そういう意味じゃなくて....」

 

「もういいよ。雅美。もういい」

 

 その夜私ははなかなか寝付けなかった。

 今夜も熱帯夜だ。ベッドに仰向けになって天井を見つめる。開けっぱなしにしてあったベランダの窓の外からポツポツという雨の音が聞こえてくる。

 

 私は起き上がり、ベランダの手前に立つと、夜空を見上げた。月のない夜だった。サバイバル。女性は何をきっかけにそんな言葉を使うようになるのだろう。

 

 湿った熱気が体にまとわりつく。私はアルミ製のガラス窓の縁に手をかけ、横にスライドさせて閉めると、鍵をかけ、白いカーテンをジャっと引いた。

 

(了)